『降りる思想―江戸・ブータンに学ぶ』(田中 優子、辻 信一著)からの転載です。
本書でぼくと対話する田中優子は、江戸時代の研究者としてかねがね、「前向き」という言葉の危険性に警告を発してきた。なぜなら、それは「直線的な価値観」というマインドセットを象徴する言葉だから、と。
―人類は「進化」し歴史は「進歩」している、という考えを導き出しているのも、直線的発想である。
「前向き」はまるで戦場での激励のようだ。後ろを振り返るな、ひるむな、逃げるな、ひたすら前に向かって明るく前進せよ、そうすればその先にご褒美が待っている、というわけだ。このような直線的時空観念の支配によって、私たちは江戸時代までの日本を忘れてしまった。(『未来のための江戸学』二三八~二三九頁)
この言い方にならえば、「経済成長」という〈上向き〉で〈前向き〉な考えを支えているのも直線的な発想であり、それは江戸時代をはじめ、伝統社会に広く見られた「『因果』『循環』という重要な思想」(二二六~三二七頁)の対極をなすものにほかならない。
「前へ」「上へ」「進む」などがどれも観念であるにすぎないように、そもそも時問を直線的なものに見立てて、生きるということをひとつの方向へ向かうことであると考えるのも、思いこみである。近代化とはそういう思いこみを広く世界的に共有しようというプロセスだったといえよう。「科学技術の不断の進歩」や「無限の経済成長」といった観念は近代を貫き、そして今も世界中に広く、深く浸透している。でも、この思いこみは、どんなに立派に見えてもやはり単なる思いこみにしかすぎないのである。
――江戸時代とは戦国時代から価値観を大きく転換した時代であり、それこそが江戸時代から未来を考える理由なのである。それを「拡大から縮小へ」という言葉で表現しておこう。(同上、二五頁) 破滅へと向かわざるを得ない拡大志向に代えて、社会の持続可能性へと向けて舵をとる。それが田中の言う江戸時代の「縮小」である。それから四〇〇年、崩壊へと向かいつつある未来を食いつくすかに見えるグーバリズムの時代に、いかにして持続可能性を手にすることができるか、というぼくたち現代人にとってもっとも痛切な課題において、江戸時代から学ぶべきことは少なくない。
本書の中にも登場する思想家サティシュークマールの教えを援用しながら、田中は二〇〇九年に書かれた自著『未来のための江戸学』の中で、ぼくたちが〈降りていくべき〉江戸時代の文化的な特質についてこう言っていた。「自己と他者を同時に考えられる文化、生命の関連と相互作用を感じ取る文化、江戸社会と己を育て与える文化、『貪欲と浪費』より『配慮と節度』を重んじる価値観が、ひそんでいたのではないか」そして、そうした特質をとり戻し、現代に甦らせようというのが、「未来のための江戸学」なのだ、と。(同上、五二頁)