昨29日『大乗』 平成5年1月号が送付されてきました。「フオーカス仏教ライフ」は、執筆者無記名ですが私の執筆です。以下転載。
画讃(がさん)
お釈迦様から親鸞聖人へ
「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗850年慶賛法要」がつとまる記念の年が始まった。親鸞聖人のご廟所である大谷廟堂の親鸞聖人のご影には讃が讃が記されている。その讃を画讃といい、報恩講などのときに声明の音律にのせておつとめされている。
韜名愚禿畏人知(とうべいぐとくいじんち)
「名を愚禿に韜(かく)して人のしるをおそる」
高徳弥彰澆季時(こうとくみしょうぎょうきじ)
「高徳、弥彰(いよいよ)彰(あら)わる澆季の時」
誰了如来興世意(すいりょうにょらいこうせいい)
「だれか了(しら)ん如来興世の意」
直標淨典囑今師(ちょくひょうじょうてんぞくこんし)「直ちに淨典を標して今師に属す」
意味は、「親鸞聖人は自ら愚禿と名のり、名利を求めることなく、名もなき民衆と生きていかれた方です。しかしそのご功績や高徳は時代と共に知れわたり、讃迎されるようになりました。どなたかご存知ですか。釈迦仏がこの私たちの世にお生まれになった真意を。それは歴史の流れの中で、直接、『無量寿経』という教典を聖人に手渡す為だったのです」ということだ。
「無量寿経」には、すべてのいのちあるものを救うというみ教えが説かれてる。
地球が誕生して46億年。当初、地球は微惑星の衝突エネルギーによってマグマの海となり、二酸化炭素やチッソ、水蒸気などのガスに覆われていたという。そして少しずつ冷えてくると大気の8割を占めていた水蒸気が雨となって降り注ぎ、海ができ、その水中に生命が誕生した。
神奈川県立 生命の星・地球博物館に35億年前の地球最古のバクテリアの化石が展示されている。すでに光合成を営み酸素を排出する複雑な構造をもつとのこと。この化石から推測して、生命の歴史は38億年とも40億年ともいわれる。
以来、生命の連鎖は、弱肉強食というなかで常に強くあれという方向に向かい環境に適応して今日に至りった。
より多くの子孫を残す。これはすべての生物を貫いている願望であり、花であれ人間であれ、それは同じだ。しかし、自分の子孫を残そうとする行動は自己愛に他ならず、自分を愛するという背面には、無数の命の犠牲があったことは言うまでもない。
平和の礎
『涅槃経』に、「弱く愚かゆえに終わっていた人が流した涙は大海の潮より多く、苦しみの中に流した血液は大海の潮より多い」とある。
この苦悩の涙の中に終わっていった命は、阿弥陀如来の願いとは無縁ではない。
親鸞聖人は、
如来(にょらい)の作願(さがん)をたづぬれば
苦悩(くのう)の有情(うじょう)をすてずして
回向(えこう)を首(しゅ)としたまひて
大悲心(だいひしん)をば成就(じょうじゅ)せ
(正像末和讃『浄土真宗聖典「註釈版」』606頁)
と、阿弥陀如来の大悲の起こるおおもとに、このような無数の命の存在があったと詠われている。この大海のごとき苦しみや悲しみの涙の中に終わっていった無数のいのちを、隔てなく救わんとする、阿弥陀如来の願いが説かれているのが『無量寿経』だ。
画讃にある「直ちに淨典を標して今師に属す」とは、お釈迦さまはこのみ教えを直接、親鸞聖人にお渡しになるためにこの世にご誕生されたというものだ。
混迷を深める世界の平和は、それぞれに自己愛を持ち、考え方や価値観が異なる者同士が、その違いと互いの弱さを尊重していけるのかどうか。これは世界人類の課題だ。
この記念の年に際して、「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と仰せられた聖人の言葉を胸に刻み、愛憎を超え、すべての人に開かれている阿弥陀如来の願い平和への礎としなければならない。