神戸のマンションのJ-COMのインターネット回線が故障しているため。
先日、アダプタを新品に交換してもつながらないので、明日朝、来てもらうことに。
回線の故障って、すぐになおるのか疑問。
というわけで、コメント承認は、早くて朝。遅いと事務所のパソコンでとなるので、午後2時ごろとなります。
神戸のマンションのJ-COMのインターネット回線が故障しているため。
先日、アダプタを新品に交換してもつながらないので、明日朝、来てもらうことに。
回線の故障って、すぐになおるのか疑問。
というわけで、コメント承認は、早くて朝。遅いと事務所のパソコンでとなるので、午後2時ごろとなります。
先日、カードカルト三国ヶ丘店の店員やメイドエステ萌の店長などをしていた大学4年の田渕君が遊びに来ました。
テニスサークル仲間の塚田君を連れてきました。
ちなみに、テニスサークルは、大学の枠を取り払った横断的なもので、田渕君も塚田君も近畿大学生ではありません。それぞれ別の大学の学生です。
塚田君は、小学校から高校まで鳥取県ナンバーワンのテニスプレーヤーで、中国地方でも代表格でした。
田渕君は、中学時代テニス部の主将で、堺市の大会でベスト8入り。ただ、対戦相手が優勝したので、実質、堺市でナンバー2の腕前とか。
それで、堺市の実質ナンバー2位と鳥取県のナンバーワンとが、互角でいつも戦っているとかで仲良くなったみたいです。
人口的に言うと、堺市の方が鳥取県より人口が多いので、そうなるのだなぁと思われました。
また、田渕君の親が倉吉市出身なので、米子市出身の塚田君と仲良くなれたという見方もあります。
塚田君には、水着モデルをお願いしようと考えていました。
また、塚田君の慶応義塾大学に行っている弟も身長180センチ越えのイケメンということで、使えるなあと考えていました。
連絡先を交換しようとしましたが、お互いアドレスを打つのがめんどくさいので、田渕君のライン経由で連絡を取り合おうというという事になりました。
田渕君に、「食事でもと誘って」と依頼すると、田渕君からは、「誘っておきました。本人は行く気満々です。」という返答が。
それで、たまたま、ツイッターで塚田君のものが目に入ったので、つぶやこうと思って。「会いたいよー」と入れたわけです。
私は、ツイッターの仕組みがよくわかっていないので、ツイートすると、本人しかみないと思ったのですが、
第三者に見られて、
しかも、彼の実名も暴露されて。
近大のテニスサークルのユーチューブが2チャンネルなど、各所に張り付けられて。この中にいるとか。
ごめんなさいとしか言いようがありません。
私は、インターネットについては、プロ。LINEについては、素人。フェイスブックについては、初心者。ツイッターについては、入門者。です。
ツイッターで書き込んだ、「会いたいよー」とたったひとことのつぶやきで、各方面の皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
以下が塚田君です。よって、近大のテニスサークルのユーチューブを貼りつけるのはおやめください。
本日は、大阪の家から来たので、真田山プール。
真田山プールに行くときは、必ず、高津宮(こうづぐう)の前を通ります。
大阪では、高偏差値の高津(こうづ)高校が近くにあり、普通の人は、高校名を知っているので、高津をこうづと読めます。
高津宮の夏祭りの時は、道に屋台が並ぶのでわかります。
ただ、7月は、原則、神戸の王子プールで1200メートル泳ぐことに。大阪の実家に泊まった週2日のみ真田山プール行きとなります。
よって、高津宮の夏祭りは、2日間だけなので、真田山プールに行く日が、夏祭りの日に遭遇する年と遭遇しない年があります。
今年は、たまたま、遭遇したわけです。
行きしなに屋台が並んでいたので、真田山プールの帰りに、高津宮に立ち寄ることに。
↓いつも真田山プールに行くとき通る道に屋台が、、(ちなみに、この道は行きしなだけに通る道で、帰りしなには通らない道です。)
北側の入口から入ります。北坂と呼ばれています。
登ると神輿担ぎの人が、、。全員、同じ短パンで、下からスパッツがはみ出している人が結構いたので、どこかの高校の運動系のクラブのメンバーだと思われました。
↓舞台では、おはやしが。
南からの参道から入るのが正式な入口のようで、茅の輪がありました。
八の字を書くようにくぐりました。
奥に見えるのが本殿です。
由来にはこう書かれています。
「 当宮は浪速の地を皇都(高津宮)と定められ大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を王神と仰ぐ神社であります。
仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて庶民を救済されました御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。・・・・」
本殿横にある高倉稲荷神社など境内にあるすべてり摂社・末社にごあいさつ。
おみくじ(200円)をひくと43番吉でした。
高津宮は、古典落語の「高津の富」の舞台となった場所ということです。
本殿横には、5代目桂文枝の碑が。
そして、いつもの道に出ました。
屋台がだいぶ続き、多くの人がいました。