骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

如意山宝珠院観音寺を骨で聴く

2008-05-14 11:00:57 | 骨で聴く巡礼旅

 以前に真岡鐵道や益子焼を取り上げたことがあります。

  真岡鐵道を骨で聴く

  益子焼を骨で聴く

 今度は観音寺つながりで益子を取り上げます。如意山宝珠院観音寺です。

  大慈山観音寺を骨で聴く

  大悲山観音寺を骨で聴く

 真岡鐵道の益子駅は、観光で訪れる人たちを優しく出迎えてくれます。綺麗な駅です。大きな特徴のある駅ではありませんが、非日常の入り口に入ろうとする人には悪くありません。

         
 
 益子駅から徒歩で約15分。
 益子焼を求めて賑わう街中から、観音寺石段の参道に足を踏み入れると、そこはまったく別世界が待っています。

 鐘楼を見上げながら石段をゆっくり登り切ると、本堂が正面に見えてきます。左手には弘法大師空海の御像があります。ここはケヤキの老樹に覆われた台地です。弘法大師御像からさらに視線を左に向けると、そこには地蔵堂、反対方向には客殿と納経所があります。

 決して広い境内ではありませんが、まとまっていて、心地よい気分にさせてくれます。

        

 この益子観音寺は宝珠院といい、本尊が如意輪観世音菩薩です。栃木県の重要文化財に指定されています。
 開基は天平9年(737)、行基によります。延暦年間には弘法大師が巡錫し、如意輪観世音を奉安し、山号も如意山になったといわれています。

 文明元年(1469)には、住職の弘賢により、密教の学問所としても栄えたといいます。
 明治に入り、益子下大羽の宝蔵寺の本堂を移築した地蔵堂内には、子安地蔵尊が祀られています。


  【ご詠歌】
   にょいさんの てらのみまえに
    まいりきて かんのんぼさつを おがむもろひと


 《巡拝データ》
 ・如意山 宝珠院 観音寺(真言宗豊山派)
  栃木県芳賀郡益子町益子2935
   真岡鐵道益子駅 徒歩15分

 骨で聴く巡礼旅では、メジャーな寺院も取り上げますが、観音寺のような位置づけで訪れることが結構あります。これは神社にしても同様です。仮に地元の人しか訪れないような聖域でも、骨で聴くことで脳波をシータ波にし、少し異なる体験が出来ればという思いからです。

 実際、米軍の最先端で使われている特許技術を扱っているにも関わらず、伝統的な神社仏閣をこれだけ取り上げるブログは他にないでしょう。この稀有な位置づけは堅持していきたいと思っています。

  そこで骨伝導とは何かを調べる

 さらに、この地味なことを続けていることにより、昨日は三波豊和さんが主宰されているサイトから生稲晃子さんをレポーターとして取材させて欲しいというお話がありました。現在検討中です。

 なぜ検討しているのかというと、実は企業や店舗・施設向けのCO2削減、コスト削減の事業があまりに多忙を極めているからです。

  

 今後の発展を考えつつ、骨で聴く旅も続けていこうと思います。 


大悲山観音寺を骨で聴く

2008-05-14 00:35:04 | 骨で聴く巡礼旅


 前回の観音寺と1文字違いの寺院を訪ねます。
 大慈山観音寺から大悲山観音寺へと移動です。⇒ 大慈山観音寺はこちら

 栃木県の芳賀町が舞台です。
 この町は1954年に祖母井町・南高根沢村・水橋村の3つの町村が合併して誕生した町ですから、平成の大合併で生まれた町ではありません。人口は約1万6千人ほどで、栃木県都の宇都宮市郊外であることから、果樹や野菜類、施設園芸、畜産といった都市近郊型農業も盛んです。そして栃木県内でも代表的な米どころとして、水田地帯が広がっています。

 宇都宮市中心部から東に向かうと、のどかな田園風景が広がる手前に、大規模な工業団地の姿も目にします。この地域は台地となっています。

 鉄道には恵まれていません。JRも私鉄も駅はありません。JRのバスが芳賀町の中心部は祖母井(うばがい)を通り、茂木町のツインリンクもてぎに通じています。祖母井の手前には道の駅「はが」と、隣接して日帰り温泉施設「ロマンの湯」があります。

 目的地の芳賀観音寺は、祖母井から4キロ程度南下した田園地帯にあります。

 五行川に沿って元与能小学校のすぐ近くにあるお寺です。
 室町時代末期に観音堂過去帳の一部を残して焼失し、堂塔をすべて失ってしまったことから、創立不詳となっています。ただ寺伝によれば、大同3年(808)の徳一法師と伝えられます。小本寺格を有していたようです。
 再興は文化2年(1805)、宇都宮の能延寺老僧で大阿闇梨・学天によります。
 そして文政2年(1819)には、大阿闇梨・学天が仮本堂を建立したようです。

 明治6年(1873)からは、寺小屋教育の場となりました。これが近くにある与能小学校の前身となります。
 昭和49年から53年の間には、庫裡、本堂、庭園を再建し、さらに56年には観音堂を大修復しました。

 本尊は、金剛界大日如来です。野州続谷(現在の市貝町)の大仏師・荒井数篤の作です。

 正面にある観音堂は朱塗りの宝形造り三間四面、向拝の彫刻は目を見張るものがあります。行基作と伝わる聖観世音菩薩立像が奉安されています。これは栃木県指定有形文化財です。

 観音堂の左側には、昭和四十八年に再建された本堂があります。入母屋造り瓦葺、五間四面です。

 さらに庫裡があり、綺麗に整備された庭園もあります。天然記念物「イロハもみじ」の大樹が茂っています。

 またここは、ぼけ封じ観音・関東三十三観音霊場の二十七番札所にもなっています。

          

 のどかな田園地帯にある観音寺は、地域住民にとって、はかり知れないほどの存在感を示しています。それは、開運厄除虫切り観音子育ての霊験あらたかとして信仰されているからです。「与能の観音様」とも呼ばれ、近隣だけでなく、遠方からも参拝者は訪れるそうです。

 ひっそりとした境内、静寂でのどかな田園地帯、そんな素朴な場所へ参拝者が絶えないというのも、素敵なことだと思います。

 芳賀町には栃木ヘリポートもあり、ここは観音寺の境内とはまったく異質な騒音があります。ここでは骨伝導が必要なようです。ついでに観音寺でも虫の声を骨で聴くのも良いかもしれません。

 ⇒ そこで骨伝導について調べてみる

   【ご詠歌】
    みほとけの ふかきちかいを たずねきて
           よしやよのうと きくもうれしき


 《巡拝データ》
  大悲山 観音寺 (真言宗智山派)
  栃木県芳賀郡芳賀町与芭5
  JR東北本線・日光線・烏山線
  宇都宮駅からバスで45分