骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

豪徳寺を骨で聴く

2008-02-25 16:52:45 | 骨で聴く巡礼旅

 大渓山豪徳寺は東京の世田谷区にあります。
 井伊直弼の墓があることで有名です。

 井伊直弼といえば、江戸幕府の大老として安政の大獄を行ない、反対派を処罰しました。このとき、事実上の幕府最高権力者となっていたのです。しかし大獄に対する反発から桜田門外で水戸浪士らに暗殺されるという最期を迎えました。

 豪徳寺に墓があるということは、井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備したことに関係します。また「招福猫児(まねぎねこ)」 、要するに「招き猫」発祥の地ともいわれますが、これは別の機会にしましょう。

 閑静な住宅地を貫く城山通りから豪徳寺の山門に入ります。
 正面に仏殿があり、奥に本堂があります。

 本尊は釈迦如来です。
 以下、簡単な歴史を振り返ってみます。


 文明12年(1480)吉良頼高の娘で同政忠の伯母にあたる弘徳院のために城内に創建された小庵で、初め臨済宗に属していました。この当時は弘徳院と称したと伝えられています。

 しかし天正12年(1584)に同じj禅宗でも臨済宗から曹洞宗に転じました。
 寛永10年(1633)に世田谷領を領した近江彦根藩主井伊直孝が大檀那となって堂宇、殿社を造営、井伊家代々の江戸菩提寺となります。

 万治2年(1659)井伊直孝が没すると、その法号久昌院殿豪徳天英居士にちなみ豪徳寺と寺名を変えました。

 万延元年(1860)江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼が豪徳寺に葬られました。ちなみに直弼の墓は都指定史跡になっています。

               

 正面右手には最近完成した塔があります。
 かなり綺麗で、優美な姿です。
 禅宗の寺院は地味な印象が強いのですが、この塔は存在そのものが華やかな感じがして不思議な感じです。

 大伽藍の豪徳寺を骨で聴きます。
 世田谷八幡神社の近くなので、骨伝導ヘッドセットを装着したまま豪徳寺に参拝にきてもかまいません。

 ⇒ 世田谷八幡神社を骨で聴く

 そして耳からでは聞こえない音を聴いてください。必ずそこに歴史と癒しの声があります。脳波も普段とは少し異なるようになるでしょう。

 そして次は招き猫へと向かいます(続く)

 ⇒ 骨伝導驚異の秘密

            

水澤観音を骨で聴く

2008-02-25 11:43:55 | 骨で聴く巡礼旅

 観音巡礼と骨伝導との結びつきについては以前にご紹介しました。

 ⇒ 観音巡礼を骨で聴く

 榛名山や伊香保温泉もご紹介しました。このときも骨伝導を使って骨で聴き、大きな意味を見出しました。

 ⇒ 榛名富士を骨で聴く
 ⇒ 湖畔の宿を骨で聴く
 ⇒ 源泉地を骨で聴く
 ⇒ 石段街を骨で聴く
 ⇒ 名湯の効能を骨で聴く

 そして今回は、二つを合わせた骨伝導巡礼の旅です。場所は水澤寺です。榛名山や伊香保温泉だけでなく、坂東観音巡礼や水澤うどんとしても有名な古刹です。大阪出身の紀行ライターの文章を一挙公開します。

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 伊香保温泉街から約4キロほど下った場所に五徳山水澤寺、通称、水澤観音がある。坂東観音霊場でも屈指の古刹だ。

               

 駐車場は広いが、早くもかなりの数の車が停まっている。大型バスもある。さすがに有名な寺院だけのことはある。
 真新しい平成13年建立の釋迦堂は、駐車場の横にある。まずはここから参拝。志納金は500円。

 貴重な仏像が荘厳な雰囲気の中に並んでいる。二つの仁王尊の間を抜け、正面に見えるのが、金色に輝く釋迦三尊像だ。釋迦如来を挟んで右に文殊菩薩、左に普賢菩薩。静かに合掌すると、頭の中に厳粛な真言が聞こえてくるようだ。
 必見なのは円空作の高さ53.3センチの阿弥陀如来像。荒削りな円空独特の彫刻がよく分かる。釋迦三尊像の右手の仏像の間にある。
 奥の間には、坂東三十三観音霊場の観音像が一列に祀られている。掛軸の間はこの反対側にある。

      
        

 さて、釈迦堂からいよいよ境内へと足を踏み入れる。駐車場からだと、仁王門から石段を上がった場所に出る。

 最初に目にするのが納札堂。古くなったお札だけでなく、古い人形やぬいぐるみまで納められている。

 次に十二支守り本尊が並んでいる場所の前に立った。干支により自分の守護本尊が定まっているというのは、古来より続く民間信仰の一種だ。古刹の境内で対面すると、歴史を刻んだ空気にまで守られているようだ。気持ちを引き締める。

        

 すぐ隣にあるのが六角二十塔。六地蔵を安置していることから、六角堂とも呼ばれている。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道を守る地蔵尊が、六道輪廻の相を表している。その上の二階に相当する場所には大日如来が安置されている。

        

 地蔵尊信仰では日本を代表する建築物であるが、その珍しさは六地蔵尊自体が回転するという点だろう。この開運六地蔵尊の前には、「左に三回廻して、あなたの真心の供養を望みます」と書かれた立て札がある。
 巡礼者も観光客も順番待ちをしてまで廻そうとしている。

       

 私も三回廻してから本堂へ向かおうとしたところ、実はここでびっくりすることになった。周囲で私以外に驚いている人は誰もいない。別に幽霊を見たわけではない。想像していなかったものを目にしただけだ。

 その驚愕をよんだものとは、小さく目立たないながら、弘法大師堂があったことである。この出会いは全く想像の範疇を超えていた。

 五徳山水澤寺は天台宗だが、弘法大師を祀る寺院には宗派が関係ない場合が多い。だからそれ自体は驚くに当たらない。
 私が驚嘆したのは、この旅の下調べの際、弘法倶楽部の取材だということで、水澤寺と弘法大師との接点はないかと徹底的に調査し、その結果、皆無であると結論したからだ。

          

 そもそも水澤観音の由来というのは、推古天皇の時代に遡る。

 上野国の国司である高野辺左大将家成には、姫君三人がいた。北の方が亡くなると、継母はこの三人の姫を殺そうと謀り、末娘の伊香保姫を淵に沈めようとしたとき、姫の持仏の千手観音が姫を助けたという。
伊香保姫はのちに高光中将に嫁いだ。この夫こそが水澤寺を創建し、本尊が伊香保姫を救った千手観音だった。開山については、推古天皇、持統天皇の勅願により、高麗の高僧・恵灌によった。
本尊の千手観音は、七難即滅七福即生のご利益があり、古くから信仰されてきた。
 現在の建物は江戸中期の大改築によるものだが、かつては堂宇三十余という巨大な寺院だった。
 
 歴史的な背景とは別に、違和感なく大師堂があることに何か意味があるのだろうか? 

 謎の答えは、実に簡単なものだった

 これは個人の方が奉納したものだという。四国八十八ヵ所の結願から、坂東三十三観音の巡礼者に対する、ある種のはなむけのようなものかもしれない。巡礼・遍路の時代にふさわしい贈物だろう。

 弘法大師の伝説という点では、他の地域でも多くあるパターンがすぐ近くにあるのは事実だ。九十九の谷で百に一つ足りないので、高野山のような寺院を建立出来なかったというもの。
 水澤の先に船尾滝があるが、これは九十九谷の北端にある滝だという。帰りに寄ってみるのもいいかもしれない。落差が72メートルもあるという。

            

 さていよいよ本堂へ。
 本尊は伊香保姫の持仏だったという千手観音だが、古来より「融通観世音」として知られている。「衆生の一切の願を融通し、救いの手を差しのべて下さいます」という。

 この本尊・十一面千手観世音菩薩は秘仏で、前立が江戸時代の作だという。
 本堂の周囲は線香の煙が舞い、幻想的な雰囲気まで醸し出している。

 関西人は京都と奈良という古都が身近にあるせいか、東国の神社仏閣に価値を見出さない人がいる。そんな人を、ぜひともここへ連れて来たいものだ。

 本堂の反対側が石段になっていて、本来の入り口である仁王門と参道が眼下に見える。
 その参道脇に御札堂、さらに隣に龍王辨財天がある。霊泉が注がれた泉の中央に辨財天が優雅な姿を見せている。

            

 霊泉はお水取りにくる方でも賑わっている。
 関東屈指のうどんの名所も水澤であるが、このような霊泉湧く地であることも関係しているのだろう。
 鐘楼の鐘は「大和(たいわ)の鐘」と命名されたもので、昭和五十年に完成したものだ。

 再び駐車場に戻り、車のドアを開ける前に境内を振り返る。

 西国観音霊場とは趣の異なる坂東巡礼旅だった気がする。しかし観音信仰に東西の区別はなく、霊験あらたかな場には共通する「気」があるのかもしれない。

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 その「気」を感じ取るために、耳だけでなく骨で音声を聴こうとした点が、今までにない巡礼スタイルでした。骨伝導巡礼です。

 改めて骨で聴くことのすごさを感じ欲しいと、ごく単純に思ってしまいます。

 ⇒ 骨伝導について