骨で聴く異世界

耳を使わずに「聴く」世界を旅します。耳をふさいでいても聴こえる世界です。

太田駅を骨で聴く

2014-01-06 18:01:32 | 骨で聴く鉄道駅
東武線の主要駅で、伊勢崎線、桐生線、小泉線の3路線が乗り入れている太田駅は。富士重工業(SUBARU)の企業城下町であり、北関東随一の工業都市の表玄関です。
実際、太田市は群馬県内では、高崎市、前橋市に続き3番目に多い人口を誇る特例市です。
東京都心からは北西に直線距離で約80kmという位置ですが、東武鉄道の始発・浅草駅から太田駅までは94.7kmになります。

島式ホーム3面6線の高架駅ですが、プラットホームの番線は10番まであります。
1番線と7番線、2番線と8番線、4番線と10番線はそれぞれ同じ線路を共有していて、6、7番線は単独になっているので、極めて珍しい構造といえます。この配線は京阪本線淀屋橋駅の1・4番線と同じ構造ですが、淀屋橋駅と決定的に異なるのは、番線ごとに閉塞が分割されていない点です。
また、以前の地上駅の時代には0番線がありました。



クルマの保有率が最も高い群馬県で、しかも富士重工業のお膝元ということから、駅の規模に対して乗降客数は決して多いとはいえません。1日平均乗降人員は10,329人です。
それでも群馬県内の東武線の駅としては館林に次ぐ第2位で、県庁所在地のJR前橋駅より多く、高崎駅の3分の1程度です。



北口には、タクシー乗り場の先に新田義貞と脇屋義助の銅像があります。
新田義貞は鎌倉幕府を滅ぼした地元の英雄という扱いになります。弟が脇屋義助で、ともに後醍醐天皇側の南朝で戦った武将です。

しかし天下をとったわけではなく、義貞は恒良親王と尊良親王を奉じて越前国敦賀へ下向したところ、戦死してしまいます。享年 38歳。
脇屋義助も義貞の戦死後も奮戦しますが、南朝勢力回復に至らず、伊予で戦死しています。

江戸時代には大光院の門前町・日光例幣使街道の宿場町として発達した街ですから、戦国時代以降は、武士の街ではありませんでした。そんな太田市の玄関口を、南北朝の新田義貞が見守る光景は、意外と風情があるのかもしれません。



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