いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

財津作品の文学性。 literarism of Zaitsu works

2021-05-08 20:07:43 | 日記
 (1)直木賞作家の東山彰良さんの新作紹介コラムで見た本人の写真を見て、当初はそうは思わなかったが「アレッ」と財津和夫さんの青年期の頃の顔によく似てきたなと直感した。同じ西南学院大出身で時代を音楽と文学でけん引する二人だ。

 前髪を垂らして、眼鏡と奥の目の感じ、バランス、しっかりアゴの張った感じが青年期の精悍な財津さんによく似ていた。

 (2)そこで財津和夫さんの音楽を文学にたとえるなら、どういうことになるのか考えてみた。ボブ・ディランがノーベル文学賞を授賞する時代だから、音楽も文学も芸術として領域は重なり合う。村上春樹さんも若いころ音楽喫茶を経営した経験もあり、ディスクジョッキーもこなして、作品にビートルズ曲などがふんだんに重要に登場する文学と音楽のシナジスト(synergist)だ。

 (3)財津さんのつくりだす言葉、詞は映像美学に優れて、言葉、詞を聞くとスッと映像が目の前にあらわれる特性がある。これが長く愛される理由だが、「サボテンの花」のささいなことでケンカして家を飛び出した女性の「洗いかけの洗濯もの シャボンの泡がゆれていた 君のかおりがゆれていた」で、これだけで二人の今までの関係が思いがすべて表現、語り尽くされていて光景が映像となって目の前にひろがり、音楽と文学のシナジーな世界観を見事につくり出している「小説」だ。

 (4)「切手のないおくりもの」では、タイトルからスッと入ってきてすばらしいが、「純文学」のわかりやすい、ていねいな言葉でピュア(pure)な人間世界観、心象を表現している。わかりやすい、ていねいは音感、メロディでも同じで、限りないひろがりを感じさせる奥行き、奥の深さがみえる。

 (5)財津和夫さんの「文学」は小説から純文学まで幅広く、奥行き、奥の深さがあり、作家としても時代をけん引しただろう。財津さんは時代と自らの音楽をつくりだした先駆者(pioneer)ではあるが、斬新な音楽、メロディに注目が集まるが、財津さんの作詞家としての評価は高い。

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