(1)九電川内原発の運転差し止め訴訟で福岡高裁宮崎支部は同運転停止請求を認めない判断を示した。ともに原規委の新規制基準による再稼働審査合格を受けた福井県の高浜原発は再稼働停止の仮処分決定となり、今回の川内原発は再稼働を容認する相反する判決となった。
川内原発の運転差し止め請求を認めなかった福岡高裁宮崎支部は判決冒頭で「どのような事象でも原子炉施設から放射性物質が放出されることのない安全性を確保することは、少なくとも現在の科学技術水準では不可能だ」(判決要旨報道)と述べている。
(2)われわれの通念(common sense)では、だから安全が確立し保障されない原発再稼働は認められずに停止すべきだという論理になるのだが、福岡高裁は「わが国の社会がどの程度の危険性があれば容認するのかの『社会通念』(『』は本ブログ注)を基準として判断するほかにない」(同)と結論付けている。
つまりはどんな危険をともなうものであっても完璧に安全を守ることなどできない相談なので、及ぶ被害の範囲が国民の多くがやむを得ないと判断できる基準で考えるべきだということのようだ。
(3)つまりこの世の中は事件、事故が毎日どこかで起きており被害者は存在するので、それに比較して原発事故発生の比率、確率を考えて判断すべきだということのようだ。
交通事故や犯罪被害と原発事故を同じ危険性基準で判断しようというのだから、福岡高裁の判断には土台無理がある。福井県高浜原発再稼働差し止めの仮処分決定では、福島第一原発事故処理が事故から5年たっても一向に進展しない中で、事故原因の究明もままならない中での原発再稼働を将来のベースロード電源として推進している政府の対応を厳しく批判した判断とは大きな違いがあった。
(4)それはまた原発が日本社会で電力供給源として必要不可欠なものなのかの司法判断、理由、根拠が必要だと考えるが述べられていない。「どの程度の危険性があれば容認するかの社会通念を基準」とするのなら、原発が国民生活の有力電源として必要不可欠なのか国民の多くがそう求めているのかの司法判断も必要だ。
原発再稼働に国民の過半数が反対(世論調査)する中で、またほとんどの原発が稼働しない中でも今夏の電力安定供給も電力事業各社では問題はない(報道)という発表があった。
(5)さらに4月からは電力自由化制度が始まり電力供給選択肢は各段に増えており、こうした社会情勢の中で多角的な(実際に原発被害影響を受けた地震災害国の原発安全性など)原発評価、分析、検証(verification)が必要だった。
福岡高裁の判決は火山の危険性、竜巻、テロなどによるその他の危険について極めてまれである(破局的噴火火山は約1万年に1回程度ー判決)として直ちに国民の人格権を侵害するものではないと結論付けている。
(6)しかし福島第一原発事故原因の東日本大震災は千年に1度の大震災といわれて、今日的日本社会が直面した原発事故被害でいまだに帰宅困難地域が残り、廃炉には今後40年以上もかかるといわれる国民人格権への重大な被害影響を及ぼしている。
川内原発再稼働を容認した福岡高裁判断は、偶然性を根拠とした合理性のない判決(unjustifiable and unexpected a judical decision)だ。
川内原発の運転差し止め請求を認めなかった福岡高裁宮崎支部は判決冒頭で「どのような事象でも原子炉施設から放射性物質が放出されることのない安全性を確保することは、少なくとも現在の科学技術水準では不可能だ」(判決要旨報道)と述べている。
(2)われわれの通念(common sense)では、だから安全が確立し保障されない原発再稼働は認められずに停止すべきだという論理になるのだが、福岡高裁は「わが国の社会がどの程度の危険性があれば容認するのかの『社会通念』(『』は本ブログ注)を基準として判断するほかにない」(同)と結論付けている。
つまりはどんな危険をともなうものであっても完璧に安全を守ることなどできない相談なので、及ぶ被害の範囲が国民の多くがやむを得ないと判断できる基準で考えるべきだということのようだ。
(3)つまりこの世の中は事件、事故が毎日どこかで起きており被害者は存在するので、それに比較して原発事故発生の比率、確率を考えて判断すべきだということのようだ。
交通事故や犯罪被害と原発事故を同じ危険性基準で判断しようというのだから、福岡高裁の判断には土台無理がある。福井県高浜原発再稼働差し止めの仮処分決定では、福島第一原発事故処理が事故から5年たっても一向に進展しない中で、事故原因の究明もままならない中での原発再稼働を将来のベースロード電源として推進している政府の対応を厳しく批判した判断とは大きな違いがあった。
(4)それはまた原発が日本社会で電力供給源として必要不可欠なものなのかの司法判断、理由、根拠が必要だと考えるが述べられていない。「どの程度の危険性があれば容認するかの社会通念を基準」とするのなら、原発が国民生活の有力電源として必要不可欠なのか国民の多くがそう求めているのかの司法判断も必要だ。
原発再稼働に国民の過半数が反対(世論調査)する中で、またほとんどの原発が稼働しない中でも今夏の電力安定供給も電力事業各社では問題はない(報道)という発表があった。
(5)さらに4月からは電力自由化制度が始まり電力供給選択肢は各段に増えており、こうした社会情勢の中で多角的な(実際に原発被害影響を受けた地震災害国の原発安全性など)原発評価、分析、検証(verification)が必要だった。
福岡高裁の判決は火山の危険性、竜巻、テロなどによるその他の危険について極めてまれである(破局的噴火火山は約1万年に1回程度ー判決)として直ちに国民の人格権を侵害するものではないと結論付けている。
(6)しかし福島第一原発事故原因の東日本大震災は千年に1度の大震災といわれて、今日的日本社会が直面した原発事故被害でいまだに帰宅困難地域が残り、廃炉には今後40年以上もかかるといわれる国民人格権への重大な被害影響を及ぼしている。
川内原発再稼働を容認した福岡高裁判断は、偶然性を根拠とした合理性のない判決(unjustifiable and unexpected a judical decision)だ。