いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

社会の縮図とボランティア論。 society in miniature and volunteer power

2016-04-24 20:03:08 | 日記
 (1)世の中は利害関係が複雑、多様に対立する個人の集まりだから、そもそもギスギスした関係社会だ。陽が当たるところがあれば、陰になるところも必ずある。そうした陰陽社会の調和、協調、調整をはかるのが政治の役割、使命のひとつであるが、解決の仕方は税金、保障、権利、制度など多様にわたるものがあるが、国民にとっては個人の生活が中心になるからどうしても「ひとりよがり」なものに陥りやすい。

 (2)国家目標が戦後の復興期のように高度経済成長、賃上げに集約されているときには、国民が目標に向かってひたすら努力する向上心で個人の不平、不満はさして問題にされなる(いいか悪いかは別にして)ことはない。

 つまり誰しもが恵まれもせずに、誰しもが満足もしていない社会の中で「ひとり」だけが疎外されてもいない、公平、公正、平等な社会観でもある。

 (3)高度経済成長を遂げて国民生活が一定水準で満たされてくると、目標はそれぞれに多様、多岐に分散してひとりひとりの価値観が優先される個人主義社会を構成して、政治の調整、調和能力にも限界が見えて当然のように個人利益優先の衝突でギスギスした社会構造となってくる。

 最近でも主婦の稼ぎが必要な家庭で子どもが保育所に入れない親がブログで不平不満を政府にぶっつけて、一方で子どもの声がうるさいと住宅地域内の保育所、幼稚園建設に住民が反対するという社会利益の相反するギスギスした社会構造が話題になった。

 (4)共働き、ひとり親家庭の経済事情、やはり子どもは親、家庭が育てるものという理念、閑静な生活環境の中で過ごしたい願望もある中で、個人が国民の権利として国に保障を求める個人主義社会だ。

 かってケネディ元米大統領は、国家が国民に何をするかではなく、国民が国家に何ができるのかを問うて極端な個人主義社会に警鐘を鳴らしたことがあった。

 熊本地震被災地では災害報道機関に対して、被災者から見せものではない、邪魔だからどけ(報道趣旨)という発言があったといわれる。避難所生活のストレスから険悪になっている現場の様子が見えるが、被災地、避難者にとっては現状を広く報道して国民に知ってもらうことは災害復興、支援協力に大事なことであり、災害報道には不都合はあっても協力してもらいたい。

 (5)熊本ではようやく全国からの災害ボランティアの受け付けが始まった。初日から500人の予定のところに1000人を超すボランティアがかけつけて(報道)、現地では対応に追われている。

 すべての受け付けボランティアが指定場所に出発したのは受付から3時間後(同)といわれて、指定された場所に行くと「必要ない」(同)と断られたケースもあったといわれている。
 被災地での初日とはそういう混乱もあるもので、2日目からは担当者も現場が見渡せて軌道に乗っていくものだ。

 (6)別に災害ボランティアの人的余裕があるのなら、ひとりでできるところを複数人でやれば時間の効果、仕上がり効果もよくなるものだから、災害ボランティアの善意(good intentions)を最大限に活用すべきだ。

 やはり受付センター、ボランティアそれぞれの責任、連絡体制を確立して、最大限「力」を発揮してもらうことが被災地復興協力には必要だ。
 
 (7)被災地は社会の縮図(society in miniature)だから、災害利害関係が複雑にからんでよりギスギスした人間関係にはあることを理解して最大限のボランティア「力」を発揮してほしいものだ。

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