いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

違憲の最高裁。 unconstitutional the supreme court

2016-04-27 20:08:59 | 日記
 (1)法の下での平等は民主主義の根幹をなすものだ。いかなる人でも法律によって差別されることなく、等しく自由に生きる権利を有する。
 この当然の人格権が最高裁では長らく放置されて、慢性感染症のハンセン病患者の被疑者が隔離施設の中に設置された「特別法廷」で裁判審理が行われてきたことが、「60年ごろには治療薬の普及で確実に治る病気になっていた」(報道)のに「特別法廷」での審理が続けられてきたとして、今回最高裁が裁判所法に違反していたとして謝罪した。

 (2)最高裁は法律に合致するのか違反するのかの行為の司法判断の最終決定機関であり、あらゆる法律行為をとりまとめた憲法の精神性を具現化する責務と責任を有する社会正義のパラダイム(paradigm)となるものだ。

 その最高裁が長らくにわたってハンセン病被疑者の裁判審理を他と区別して特別法廷で行ってきたことを裁判所法に違反する「違憲の疑い」があると謝罪したことは驚きだった。

 (3)国による慢性感染症ハンセン病患者の隔離政策(isolated policy)の中で、これを司法判断として疑うこともなく追随して差別的対応を長く続けてきたことはこれまでの最高裁としての立場、使命、責務、責任を大きくくつがえすもので、民主主義社会の信頼、信用を大きく傷つける結果となった。

 慢性感染症のハンセン病は当初は不治の病として患者は政策的(らい予防法ー報道)に隔離されて差別化されてきたが、この国の政策が人権侵害なのか法の下の平等に反しないのかを司法判断すべきであったが、最高裁は踏み込まずに隔離施設での特別法廷という手続きで長らくその責務と責任を放置してきた。

 (4)多分に国の隔離政策の中で、当時の国民、社会の中でも感染症対策としてやむを得ない対応として人権、法の下での平等が見過ごされてきたことは考えられる。
 そういう社会の中でこそ司法、最高裁として医学的、科学的実証検証、立証での法の下の平等の判断に取り組むべきことであった。

 今回の裁判所法に違反するとした最高裁の謝罪は、しかし「違憲の疑い」があるとして憲法判断は明確にしなかった。

 (5)ハンセン病の医学的、科学的裏付け実証検証もせずに(しかも特効薬で完治するようになった後もー報道)国の隔離政策を追随した特別法廷手続きは法の下の平等を定めた憲法に違反(unconstitutional the supreme court)することは避けようもないところだが、あらゆる法律行為をとりまとめた憲法の精神性を具現化する最高裁としてはそれでは存在そのものを自己否定することになるので、極めてあいまいな表明(違憲の疑い)となった。

 (6)ハンセン病(患者被疑者)に対する最高裁の取り組みは司法としての独立性、独自性を発揮してこなかったが、問題がどこにあって見直されてこなかったのか、歴史検証する意味でもあいまいな違憲の疑い表明ではなくて憲法上あってはならないこととして反省、謝罪すべきことでなければならないことだ。

 

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