(1)刑訴法では犯罪には「時効(prescription)」があって、時効の過ぎたものは過去に遡(さかのぼ)って処罰されないことになっていた。逮捕されずに一定長期間が過ぎれば犯罪者にも積年の逃亡捜査の圧力、自責の念が募(つの)って社会的制裁を受けるという期待と、捜査の継続性、証拠保存に限界があることから時効制度が設けられていた。
しかし殺人罪など凶悪事件犯罪については、被害者家族にとってはいつまでも心の傷がいやされることもなく、せめて加害犯罪者がいつかは逮捕され法的責任を受けさせることによって、被害者の積年のうらみを晴らすことが望みでもある。
(2)こうした声に応えるように政府は2010年に刑訴法を改正して、殺人や強盗殺人など凶悪犯罪に対しての公訴時効が廃止された。通常は法改正は信義則(sense of faith)から過去に遡らずに改正時からの適用が通例であるが、2010年の公訴時効改正あたっては過去に起きた凶悪事件犯罪に対しても遡って時効廃止を決定したものだった。
被害者家族の積年のうらみ、心の傷を晴らすことに応える法改正としては、改正時を境に以前と以後の事件犯罪で刑事責任の重さを区別することなどできない相談の単なる公訴手続き上、有効性の問題などではない、被害者家族の心情を思いやる普遍的なものでもあったのだ。
(3)ところが1997年の強盗殺人事件(当時の法律で時効15年)で2012年に時効成立のところ、10年法改正での時効廃止により捜査が継続(報道)されて13年に同事件加害犯罪者が逮捕され起訴された。
被告側は事件発生時の刑訴法では時効が成立しており、その後のあらたな10年法改正による時効廃止適用は憲法が保障する過去の犯罪行為を遡って処罰することを禁じた規定に違反すると上告していた。
(4)法律も施行時の適用が信義則として原理原則であり、後になって当時としては考えもつかない、思いもよらない法律改正で遡って自由権、人権が拘束される処罰が行われては信義則に反するという考え方もある。
時効は捜査する側、処罰する側のある意味都合のいい論理であって、普遍的な犯罪行為に対する責任追及や被害者家族に対する心情にとっては消えることのない、それに逆行するあってはならない不公平、不平等の信義則でしかない。
(5)それでも加害犯罪者のせめてもの「立場」を考慮するなら本来それは裁判での刑期の軽重で判断されるもので、犯罪行為の責任をある時点(法改正)を境に帳消しにするようなことではない。
上述の強盗殺人事件にかかわる免訴の上告審では「時効の廃止や延長によって、犯罪行為に違法性の評価や責任の重さが変更されるわけではない」(判決報道)と法改正による時効廃止が過去に遡る規定を最高裁が初めて「合憲」と判断した。
(6)時効という捜査側、処罰する側の都合のいい論理に対して、裁判が普遍的な正義則(sense of justice)を守るべきものとして時効廃止の遡及性を認めた判断、判決である。
人が人を裁く裁判はそれだけで不条理(unreasonableness)なものではあるが、人の心情に寄り添える人間味も併せ持つものでもある。
しかし殺人罪など凶悪事件犯罪については、被害者家族にとってはいつまでも心の傷がいやされることもなく、せめて加害犯罪者がいつかは逮捕され法的責任を受けさせることによって、被害者の積年のうらみを晴らすことが望みでもある。
(2)こうした声に応えるように政府は2010年に刑訴法を改正して、殺人や強盗殺人など凶悪犯罪に対しての公訴時効が廃止された。通常は法改正は信義則(sense of faith)から過去に遡らずに改正時からの適用が通例であるが、2010年の公訴時効改正あたっては過去に起きた凶悪事件犯罪に対しても遡って時効廃止を決定したものだった。
被害者家族の積年のうらみ、心の傷を晴らすことに応える法改正としては、改正時を境に以前と以後の事件犯罪で刑事責任の重さを区別することなどできない相談の単なる公訴手続き上、有効性の問題などではない、被害者家族の心情を思いやる普遍的なものでもあったのだ。
(3)ところが1997年の強盗殺人事件(当時の法律で時効15年)で2012年に時効成立のところ、10年法改正での時効廃止により捜査が継続(報道)されて13年に同事件加害犯罪者が逮捕され起訴された。
被告側は事件発生時の刑訴法では時効が成立しており、その後のあらたな10年法改正による時効廃止適用は憲法が保障する過去の犯罪行為を遡って処罰することを禁じた規定に違反すると上告していた。
(4)法律も施行時の適用が信義則として原理原則であり、後になって当時としては考えもつかない、思いもよらない法律改正で遡って自由権、人権が拘束される処罰が行われては信義則に反するという考え方もある。
時効は捜査する側、処罰する側のある意味都合のいい論理であって、普遍的な犯罪行為に対する責任追及や被害者家族に対する心情にとっては消えることのない、それに逆行するあってはならない不公平、不平等の信義則でしかない。
(5)それでも加害犯罪者のせめてもの「立場」を考慮するなら本来それは裁判での刑期の軽重で判断されるもので、犯罪行為の責任をある時点(法改正)を境に帳消しにするようなことではない。
上述の強盗殺人事件にかかわる免訴の上告審では「時効の廃止や延長によって、犯罪行為に違法性の評価や責任の重さが変更されるわけではない」(判決報道)と法改正による時効廃止が過去に遡る規定を最高裁が初めて「合憲」と判断した。
(6)時効という捜査側、処罰する側の都合のいい論理に対して、裁判が普遍的な正義則(sense of justice)を守るべきものとして時効廃止の遡及性を認めた判断、判決である。
人が人を裁く裁判はそれだけで不条理(unreasonableness)なものではあるが、人の心情に寄り添える人間味も併せ持つものでもある。