(1)チューリップは89年にオリジナルメンバーからオーナーの財津和夫さんだけが残って新しいメンバーと活動していたバンドを「やりつくした」として解散した。
その後、97年にほぼオリジナルメンバーによるチューリップを再集結して今年まで6回の全国コンサートを開催している。
昨年9月から今年7月にかけて1年近くのバンド結成40年記念コンサートは全国40か所の大ホールをそのほとんどをソールドアウトにして、全員60才を超えた5人のチューリップだけで音楽性、技術力(skill)の高いホールコンサートで応えてみせた。メンバーは誰も「元」チューリップなどと呼ばれないし、今も5人でバンド・チューリップだ。
(2)長編アニメ映画監督の宮崎駿(はやお)さんが今年最新作「風立ちぬ」を完成して、9月に引退(move off)を宣言した。
過去に何度か引退を宣言しては撤回してきたが今回は「本気」です(本人談)と引退会見を開いて子どものような笑顔を見せて、「僕は自由です。やらない自由もあるんです。」と強調してみせた。
(3)宮崎駿さん(72)は84年の「風の谷のナウシカ」、88年の「となりのトトロ」と自然と人間の生物多様性、相互に依存しあう共生の大切さをテーマに印象的な長編アニメ映画を先導して97年の「もののけ姫」、01年の「千と千尋の神隠し」からは興行成績、動員数も破格に伸びて、世界に誇る日本のアニメソフト文化、産業、劇場アニメ映画をリードし続け、発信する代表的アーティスト、フロント・ランナー(front runner)だ。
(4)長編アニメ映画はチームとしての製作現場ではあるが本当におびただしい数の絵コンテの作成が基本であり、編集、脚本、構成、製作、監督と縦横無尽の仕事ぶりの宮崎さんにして年令からくるこの作業の連続の過重負担には逆らえないものがあったのは理解できる。
さらに日本アニメソフト文化、産業が一代産業として世界市場をリードする立場にまで押し上げて、これから若手アーティストにさらに多くの機会、飛躍チャンスを与える役割も果たしたのではないのか。
(5)宮崎さんは、映画監督は誰も「前」とか「元」とか付けて言われることのない終生映画監督なんだと言っていた。
引退会見でも、これからも自由にアトリエ通いを続けて長編アニメとは違うあたらしい仕事に携(たずさ)わっていく抱負も述べている。終生映画監督に引退宣言など必要もなかった。
(6)「自由」に芸術創作活動に携わっていく、そういうこれまでのやり方とただ違うスタンス(stance)で取り組む自由でいいのではないのか。
映画監督が、宮崎さんの言うとおりそうであるように、芸術家、アーティストに時代の区切りの引退宣言など必要もないし、ふさわしいものでもない。
(7)冒頭のチューリップもアーティストとして同じ軌跡を辿(たど)ったようでもあり、しかしバリバリの永遠のバンド・チューリップとしての確かな存在感を示し続けて、アーティストに引退宣言は必要ないことを広く示しているようでもある。
財津和夫さんは常々、「ひとり」でも見に来て、聴きに来てくれる人がいる限り、体力が続く限りは音楽活動は続けなければならない職業と述べている。
見事な引き際(move off the front runner)論だ。
その後、97年にほぼオリジナルメンバーによるチューリップを再集結して今年まで6回の全国コンサートを開催している。
昨年9月から今年7月にかけて1年近くのバンド結成40年記念コンサートは全国40か所の大ホールをそのほとんどをソールドアウトにして、全員60才を超えた5人のチューリップだけで音楽性、技術力(skill)の高いホールコンサートで応えてみせた。メンバーは誰も「元」チューリップなどと呼ばれないし、今も5人でバンド・チューリップだ。
(2)長編アニメ映画監督の宮崎駿(はやお)さんが今年最新作「風立ちぬ」を完成して、9月に引退(move off)を宣言した。
過去に何度か引退を宣言しては撤回してきたが今回は「本気」です(本人談)と引退会見を開いて子どものような笑顔を見せて、「僕は自由です。やらない自由もあるんです。」と強調してみせた。
(3)宮崎駿さん(72)は84年の「風の谷のナウシカ」、88年の「となりのトトロ」と自然と人間の生物多様性、相互に依存しあう共生の大切さをテーマに印象的な長編アニメ映画を先導して97年の「もののけ姫」、01年の「千と千尋の神隠し」からは興行成績、動員数も破格に伸びて、世界に誇る日本のアニメソフト文化、産業、劇場アニメ映画をリードし続け、発信する代表的アーティスト、フロント・ランナー(front runner)だ。
(4)長編アニメ映画はチームとしての製作現場ではあるが本当におびただしい数の絵コンテの作成が基本であり、編集、脚本、構成、製作、監督と縦横無尽の仕事ぶりの宮崎さんにして年令からくるこの作業の連続の過重負担には逆らえないものがあったのは理解できる。
さらに日本アニメソフト文化、産業が一代産業として世界市場をリードする立場にまで押し上げて、これから若手アーティストにさらに多くの機会、飛躍チャンスを与える役割も果たしたのではないのか。
(5)宮崎さんは、映画監督は誰も「前」とか「元」とか付けて言われることのない終生映画監督なんだと言っていた。
引退会見でも、これからも自由にアトリエ通いを続けて長編アニメとは違うあたらしい仕事に携(たずさ)わっていく抱負も述べている。終生映画監督に引退宣言など必要もなかった。
(6)「自由」に芸術創作活動に携わっていく、そういうこれまでのやり方とただ違うスタンス(stance)で取り組む自由でいいのではないのか。
映画監督が、宮崎さんの言うとおりそうであるように、芸術家、アーティストに時代の区切りの引退宣言など必要もないし、ふさわしいものでもない。
(7)冒頭のチューリップもアーティストとして同じ軌跡を辿(たど)ったようでもあり、しかしバリバリの永遠のバンド・チューリップとしての確かな存在感を示し続けて、アーティストに引退宣言は必要ないことを広く示しているようでもある。
財津和夫さんは常々、「ひとり」でも見に来て、聴きに来てくれる人がいる限り、体力が続く限りは音楽活動は続けなければならない職業と述べている。
見事な引き際(move off the front runner)論だ。