いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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衆院選無効判決。(それでも国民審判が必要であった) invalid a general election

2013-03-26 19:48:44 | 日記
 (1)衆院選の1票の格差問題では、11年3月に最高裁が「2倍未満」が許容範囲(平等な国民権利保障の合憲性)との判例を示していたから、昨年末の解散総選挙(dissolution and general election)での1票の格差最大2.43倍はまぎれもなく「違憲(unconstitutionality)」であった。

 司法はこれまでは1票の格差が違憲であってもこれを「違憲状態」判決として、選挙そのものは政治混乱を回避するため今後の国会での見直しに期待して「無効(invalidity)」とはしなかった。

 1票の格差を「違憲」と判断しながらそれに基づく選挙を「無効」としない判決は、法的根拠、論理性、整合性に著しく欠けて、社会正義のパラダイム(paradigm)の司法としては社会悪に対して申し開きの出来ない優柔不断な判断、対応と言わざるを得ないものだった。

 (2)今回、同訴訟裁判(広島1,2区)で広島高裁が史上初めて選挙自体を「無効」とする判決を下した。法律論上は論理性、整合性にそったあるべき当然の判断、判決を示したものだ。
 昨年末の衆院選(解散総選挙)は衆院小選挙区の「0増5減」が法制化されていたが(この程度では是正などできない)選挙区割り変更ができずに、このため1票の格差問題では最高裁判例からは「違憲」のままの選挙であることはわかっていた。

 当時は最高裁判例(1票の格差違憲状態判決)が首相の解散権を縛るものかどうかで議論もあったが、政治(首相判断)は三権分立の立場から首相の特権行為が束縛されることをあえて問題視もせずに、野党の売り言葉に首相の買い言葉(実は野党、第3勢力の選挙準備不足を狙った政局)で解散総選挙に踏み切った。

 (3)首相、政権にとってはこれまでの判例(違憲状態)のとおり、選挙自体の違憲判決は想定しなかったのではないのか。首相の特権事項、政治判断への過信、思いかぶりが過ぎたのだ。
 政治、国会にとっては、最高裁の1票の格差違憲状態の判決から1年半も選挙制度改革を放置してきた責任はあるが、昨年末の解散総選挙は当時の閉そくした政治状況、長引くデフレ円高不況、震災社会の行き詰まった社会、国民生活状況を打開するためには「国民審判(総選挙)」が必要な事態だったのだ。これを司法も含めてどう考えるかだ。

 それまでの1年半、適切な選挙制度見直し改革をしてこなかった政治、国会にすべて責任はあるが、たとえ違憲であっても当時の政治には「国民」の意思、選択、審判がもとめられるべき深刻な政治、社会情勢ではあった。

 (4)今回の「選挙無効」判決では、11月26日までの見直し猶予期間(将来効判決)を認めた。しかし、政治、国会にはそんな余裕はない。夏に実施される参院選もこのままでは「違憲選挙」となるからだ。

 利害当事者の国会に選挙制度改革をまかせては遅々として進まずに、だからその「議員の資格、資質」に対する司法からの強烈な史上初の「無効」判決であった。

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