いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

議員特権と国民基準。 privilege to the diet and national standard

2024-08-19 20:02:38 | 日記
 (1)9月の自民党総裁選は自民党大改革論が求められて、その後の国民の審判(解散か衆院選)を受けることになる。議員の特権(階級)意識は思想、信条、主義にかかわらず世界政治共通の認識であり日本だけのものではないが、議員を「先生」と呼ぶのは日本の特有の言い回しのようでもあり、本来の高学への尊敬を持った言い回しとは別の議員の特権意識を象徴する習性のようだ。

 (2)議員は日本を動かす、支配する権威、権力、権益を有して「先生」と呼ばれて、天にも昇る(かどうかまではわからない)気分で「自分」を見失い、何でも思いどおりになるとの錯覚の中で特権意識は芽生えていく。
 国民主権、民主主義、自由主義の日本では国民生活が社会の規律、基準、基本であり、議員の身分、資格、収入、支出管理は「国民生活」と「同じ」ことが求められて議員はもとより「国民」の「ひとり」なのだから国民と同じ負担、責任、義務を負うのは当然のことだ。

 (3)国民はマイカで自らのあらゆる収入、所得が管理されて、毎年応分の税負担をもとめられて国民としての責任、義務、役割をまっとうして国家、社会を支える。
 議員も同じ国家、社会制度の中で生きるのだから、国民と同じ国家、社会制度にもとづく応分の負担、義務をすればよい。

 (4)政治資金収支報告書では収入も支出も報告せずに自由に使えるカネ(政策活動費)があったり、その公開が10年後にするなど国民の毎年負担、義務では考えられないおかしな基準が公然と決められるなどは特権(階級)意識の特別なものでしかないおかしなカネ、収支管理だ。
 国民主権、民主主義、自由主義国家の日本で、議員活動が不当、不法に管理、制限、不自由にされることなどあってはならないことで、それを理由、口実にしての前述のような議員活動の自由を守ることなど憲法の自由保障の意味でもない。

 (5)国民の政治、政党、議員活動を見る目、意識は近年の円安、物価高、株高で大企業、富裕層の特権階級が優遇されて利益を独占している格差社会に対して疑心暗鬼、不公平感、不平等感、不信が増してマックスに達しており、政治、政党、議員活動に対して厳しい視線が向けられている。
 議員、政治活動は国民の負担、義務、責任と同じ基準、レベルで測られるのは当然だ。
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