(1)原因のない結果はない。事故となればなおさらだ。原因追究、改善、実行が事故を「0」に限りなく近づける。
①福島原発事故では、避難地域が5km、10km、20kmへと二転三転して周辺避難住民に不安と不満を与えた。事故前に避難を想定した訓練が行われたことはない。政府も含めて関係者は、みだりに周辺住民に原発への不安、恐怖を煽(あお)るから行わなかった(報道)と言うことのようだ。
避難訓練が常態化していれば、原発への「不安」と「不満」を行政、住民が正しく共有できて、違った危機管理の「コングロマリット(conglomerate)」が出来あがっていたのではないのか。
②17日に起きた天竜川の川下り遊覧船(down the river in an excursion boat)の転覆事故。2人が亡くなり、今も3人が行方不明だ。
船の前方と後方2人の船頭が巧みなサオさばきで流れの激しい、渦をまく水域を下るスリルと爽快な自然を楽しむレジャーだ。サービス重視で、着用義務のある12才未満の子どもも含めて違反と知りながら(会社)救命胴衣の着用を乗船客に求めなかった。
(船の中は暑くて、着用は乗船客に過重不快感を強いるとの判断だ。)
船頭は経験7年と3年の60才台の2人で(過去の経験は不明)、天竜川の川下りでは年令対効果比較でベテランとは言えない。
ここでも、不測(転覆)の事故に備えた想定した避難訓練は一度も実施されていなかった。(報道) 船頭の実地(川)も含めた「教育」、指導、訓練の実態も不明のままだ。
(2)スリルと爽快な自然を楽しむ急流の川下りレジャーの「安全」対応がすっかり抜けた会社経営の実態だ。
問題は、こういう事故では次から次への経営会社の「安全」への不備不足、欠如の摘発ばかりが目に付くが、それを摘発する行政(消防署)の日頃の監視体制、行政指導、検査体制だ。
通例、少なくとも年1回の避難訓練の実施、報告を義務付けるのが行政の「安全」への対応責任だ。行政(消防署)が急流の川下りレジャーだからの経営会社の「安全運航」の全体対応の把握に努めていれば、事故の抑止力、今回のように犠牲者を出すような事故被害は防げたのではないのかの思いが強い。
川ではよく泳いだ経験があるが、海と違って底に行くに従って流れが早く水温も低い危険も大きいところだ。ましてや急流のスリルを楽しむレジャー、「間違っても安全(fail safe)」の理念(当事者、関係者は救命胴衣を着けていれば助かった人もいたと言っている)が、行政にも経営会社にも必要であった。
原発も川下りも、人の安全のためにパラドックス(paradox)として安全を放棄、回避する無責任が招いた結果だ。
①福島原発事故では、避難地域が5km、10km、20kmへと二転三転して周辺避難住民に不安と不満を与えた。事故前に避難を想定した訓練が行われたことはない。政府も含めて関係者は、みだりに周辺住民に原発への不安、恐怖を煽(あお)るから行わなかった(報道)と言うことのようだ。
避難訓練が常態化していれば、原発への「不安」と「不満」を行政、住民が正しく共有できて、違った危機管理の「コングロマリット(conglomerate)」が出来あがっていたのではないのか。
②17日に起きた天竜川の川下り遊覧船(down the river in an excursion boat)の転覆事故。2人が亡くなり、今も3人が行方不明だ。
船の前方と後方2人の船頭が巧みなサオさばきで流れの激しい、渦をまく水域を下るスリルと爽快な自然を楽しむレジャーだ。サービス重視で、着用義務のある12才未満の子どもも含めて違反と知りながら(会社)救命胴衣の着用を乗船客に求めなかった。
(船の中は暑くて、着用は乗船客に過重不快感を強いるとの判断だ。)
船頭は経験7年と3年の60才台の2人で(過去の経験は不明)、天竜川の川下りでは年令対効果比較でベテランとは言えない。
ここでも、不測(転覆)の事故に備えた想定した避難訓練は一度も実施されていなかった。(報道) 船頭の実地(川)も含めた「教育」、指導、訓練の実態も不明のままだ。
(2)スリルと爽快な自然を楽しむ急流の川下りレジャーの「安全」対応がすっかり抜けた会社経営の実態だ。
問題は、こういう事故では次から次への経営会社の「安全」への不備不足、欠如の摘発ばかりが目に付くが、それを摘発する行政(消防署)の日頃の監視体制、行政指導、検査体制だ。
通例、少なくとも年1回の避難訓練の実施、報告を義務付けるのが行政の「安全」への対応責任だ。行政(消防署)が急流の川下りレジャーだからの経営会社の「安全運航」の全体対応の把握に努めていれば、事故の抑止力、今回のように犠牲者を出すような事故被害は防げたのではないのかの思いが強い。
川ではよく泳いだ経験があるが、海と違って底に行くに従って流れが早く水温も低い危険も大きいところだ。ましてや急流のスリルを楽しむレジャー、「間違っても安全(fail safe)」の理念(当事者、関係者は救命胴衣を着けていれば助かった人もいたと言っている)が、行政にも経営会社にも必要であった。
原発も川下りも、人の安全のためにパラドックス(paradox)として安全を放棄、回避する無責任が招いた結果だ。