いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

国会議長の自由。(フライング) flying of chairman(of house of councilors)

2011-08-11 19:47:35 | 日記
 (1)自由というのはどこまで自由であっていいと思うけれども、自由も横暴になっては不自由だ。
 自由国家に住んでいるからといって、狭い国土に1億2千万人もが生活していれば公共性、公益性、共益性、社会性で自由が制約されるのは、憲法上(公共の福祉)も保障しているとおりだ。
 表現の自由と公共性、公益性の制約問題は、文学や芸術の分野でもそれぞれの「意義」の主張、自由拡大を巡って揺れ動く。

 政治社会の世界は、行政、立法、司法の三権分立のもとに、高度な政治判断による超法規的措置、拒否権(行政)はあるが、それぞれが独立した権限、裁量で組織を責任運営をして、これはチェック・アンド・バランス(check and balance)という理念ではない。

 (2)元自民党議員で民主党でも行動を共にした元幹事長グループに近い参院議長(立法)が公然と首相(行政)批判、退陣発言を展開して、法案審議の国会付託の条件、取り扱いや内閣不信任案の取り扱いについて注文をつけて、ねじれ国会(参院野党多数)の影響力を政治利用しているのは三権分立の趣旨に反している。

 議長本人は「参院の中立性は損なっていない」(報道)と強調して「稀有(けう)な国難に物を言うのは」(本人談)政治家の役割、使命、自由とでも言うのかの、独善、独裁、独走姿勢だ。

 やめる首相の政治手法から参院議長の気持ちはわからない訳でもないけれど、国会(参院)議長の立場上の発言として、独立した「行政」権限裁量への三権分立に反した意図的な介入であって、国会運営の正常化(公平、公正)に障害となる政治行動だ。

 (3)民主主義国家の議院内閣制、三権分立は国民主権に定着しており、これに反する国会議長の独裁、独走裁量姿勢は民主主義国家では受け入れられないあきらかな独立権限への自由横暴な介入フライング(flying)行為だ。
 国会議長としてやることは、国民の80%が機能していないとする「国会」の機能回復、健全運営を与野党に働きかけ、調整し、国民、国益に寄与することだ。

 議長本人に政治的影響力のないこと、また野党が多数を占める参院も議長の首相退陣の政治的発言を利用しようとばかりに、さして議長の権限の独裁、独走裁量の政治的発言が問題化していないが、政治混迷の停滞社会では逸脱した自由横暴、自由のパラダイム(paradigm)を正しておくことが正常化の基本だ。
 国会議長の自由横暴が放置されていることが、社会パラダイムとして問題だ。

 (4)やめる首相が条件をつけたり、その調整、成立のために国会がおきて破りのマニフェスト自己否定で政策合意に奔走する反国民的な政治を弄(もてあそ)ぶ構図などは、どうかしてるし、あってはならない不条理な政治理念だ。

 そういう政治混迷の流れの中での自由横暴な国会(参院)議長の権限、影響力のフライング(flying of chairman of house of councilors)だ。
 政治理念の「タガ(frame work)」の構築が必要だ。とめどもなく国益が損失し流失している。

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