いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

日本の「熱い」夏。 japanese burning summer

2011-08-07 19:45:19 | 日記
 (1)日本の8月は、66年前から毎年、熱い(burning summer)。66年前の6日(広島)と9日(長崎)に人類史上世界で唯一の原爆投下による凄惨な被爆を受けた。
 今年は東日本大震災の福島原発事故による放射性物質汚染の中での8月だ。

 核兵器保有国の原発の安全性(または国民の安全パラダイム)と世界で唯一の被爆国日本との原発の安全性(同)理論は違うと述べてきたが、式典に参加した66か国とEU代表は「核兵器と原発は別問題」(報道)と一様の自己防衛認識を示している。

 人間の都合主義、不条理性の「正義」混在社会、世界の中で生きている。また人間の形式主義は、凄惨な被爆を時代の経年による記憶のセレモニー化(memorial ceremony)、モニュメント化(monument)にして、世界平和に実効性のある情報発信、指導的役割を担(にな)っていない。

 (2)その日本は、エネルギー問題が立ち行かないから未来にわたって危険な原発の必要性が主張されたり、米国の世界戦略に取り込まれての日米安保、同盟関係による安全理論で、沖縄米軍基地の加重負担が語られる。
 
 世界平和と覇権国家の世界戦略の中で、平和憲法の解釈論の中で日本の目に見える貢献(戦力介入)の必要性までもが現実化している。いつしか、日本も核兵器保有国の世界戦略、覇権主義の理念、理論の中で「過去」を忘れて生きている現実だ。

 (3)議院内閣制の先進地域のEUのように、政治、経済、平和の連合体構想の実験化もあり、被爆国日本の政治、平和のスタンスの「置きどころ」がある。
 民主党政権発足当初は、東アジア経済圏地域連合体構想もあった。理念倒れに終わったのも政治と国民の一体感、共有するアイディンティティ(identity)不在の政治未成熟の日本の現実だった。

 (4)8月6日、9日の「原爆の日」では、核兵器のない世界、核(放射性物質汚染)が人間を破壊する世界の「誤り」について、被爆国日本の先進的な情報発信、役割を積極的に担うべきだ。

 「核兵器と原発は別問題」というような不条理な世界の式典参加者に、「平和と核兵器」はどうなんだと問い続ける、8月6日、9日の日本の熱い夏(japanese burning summer)だ。

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