田端義夫さんという、「バタやん」の愛称で親しまれた歌手がいます。戦前から活躍していた古い人なので、結構なオヤジのワタシにとっても「両親世代の、懐メロの人」という認識ですから、ナウなヤング(死語)はご存知ないかもしれません。しかし、TVにはあまり出なくとも、2000年代半ばころまで現役で活躍していたそうです。
その田端義夫さんがラスベガスのスロットマシンで29万ドル(当時の為替レートだと日本円では約6300万円らしい)の大当たりを当てたという報道を新聞で読んだのは、ワタシがまだ未成年だった1979年のことでした。この額は、当時のスロットマシンによる賞金の最高額記録を更新するもので、ギネスブックの記録を塗り替えたとも伝えられました。
ワタシは比較的最近、何かのきっかけで、この件に関する画像を二つ、ネット上で発見しました。一つ目は、NHKの公式サイトの中にある「NHK番組発掘プロジェクト通信」の記事「“バタヤン”こと田端義夫さんのお宝映像」で、当時のニュース映像と思しき画面がカラーで紹介されています。
「NHK番組発掘プロジェクト通信」より、「“バタヤン”こと田端義夫さんのお宝映像」にあったカラー画像。→https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail278.html?fbclid=IwAR3v1hhITDVwu5O29uxC_M2ExTB2EjZfo4XPgqCbFbrxdQMpwjCWHSdOxvs
ここでは、「スロットマシンに挑戦すること2時間、300ドルの元手をかけたところで、目の前に数字の7が5つ並んで大当たりのジャックポットになった」と記述されており、最後は「『400万分の1の確率で手にしたこの大金は、しかしアメリカと日本の両方でかなりの額が税金に消えそうです。』と締めくくられていた」とあります。
300ドル(6万5千円くらい)と言えば、当時の平均的なサラリーマンの月収の1/3くらいに相当します。目を剥くほどではないにしても、二か月分の小遣いくらいではあったでしょう。
背後に写る機械でジャックポットを出したのかどうかはこの記事では確認できませんが、若干不鮮明で全容が見えないこの機械は、Ballyのダラースロットであることは見当が付きます。
二つ目は、動画サイト「Youtube」にアップされていた「田端義夫(アフタヌーンショー) ラスベガス・スロットマシンて大当たりのニュース」の画像でした。
動画サイト「Youtube」の、「田端義夫(アフタヌーンショー) ラスベガス・スロットマシンて大当たりのニュース」にあった画像。→https://www.youtube.com/watch?v=i5TX6iv2MmA
こちらは何かの書籍に掲載されている画像のように見えます。白黒ではありますが機械の全容が写っており、機械の下段には7シンボルが5つ並んでいるのがはっきりと見えます。さらに言えば、NHKの画像とは田端さんの服装が異なっており、NHKの方は後日の取材で撮影されたものであろうと察せられます。
ワタシは、日本のメダルゲーム場に設置されているプログレッシブ・ジャックポット付きのスロットマシンを見る限り、29万ドルもの大当たりを出す機能を持つタイトルに思い当たるものはなく、田端義夫さんが当てた機械は一体どういうものだったのか、大変気になっていたのですが、これによって明らかとなりました。
今回得た画像をもとに、マーシャル・フェイ氏の著書「Bally Slot Machine / Electto-Mechanical 1964-1980」を調べると、59ページに掲載されている、「Model 1202 3-Line 5-Reel Dollar Progressive」がまさにこの機種と同じ顔をしています。
「Bally Slot Machine / Electto-Mechanical 1964-1980」52ページ。左が田端義夫さんが大当たりを出した機種「Model 1202 3-Line 5-Reel Dollar Progressive」。
本機の説明は、「ダラースロットにおける巨大プログレッシブの始まり」と題し、
互いに接続され一つのプログレッシブ・ジャックポットを共有するカルーセル(注・複数のスロットマシンを環状に配置した一群のこと)は1970年代終わりころから一般的になってきた。5リールモデルの1202の1ドルカルーセルでの最高記録は38万5千ドルである」
としています。この本が出版されたのは1990年台(自分用メモ:初版は1990年、第3版は1996年。この画像は第3版のもの)になってからのことなので、その頃には田端義夫さんの記録は更新されてしまっていたようです。それはさておき、田端義夫さんが大当たりを当てた機械は、「リンクド・プログレッシブ」だったことがわかりました。
しかし、田端義夫さんの大当たりは1979年なのに、この本ではモデル1202を1980年の機械としているところが気になります。この「モデル1202」以前に同じ顔をした別モデルが存在していた可能性も考えられないこともありませんが、その存在を確認する資料はありません。なお、同書によれば、1981年にはモデル1202のSS版である「E1202」が発売されたとあります。筐体は「ローボーイ」と呼ばれる背の低いものになっていますが、使われているアートワークは1202と同じです。
E1202の画像。前掲書の67ページより。
プログレッシブ・ジャックポット自体は1960年代の機械からありましたが、それらは他の機械とは連携しない「スタンド・アローン」というタイプで、賞金が積みあがったところでその最高額はたかが知れていました。ワタシがメダルゲームとして見ていた機械はそのようなタイプでした。
複数の機械で一つのプログレッシブを共有する「リンクド・プログレッシブ」は、プログレッシブ・ジャックポットが溜まる速度は増しますが、従来の機械をリンクしたのでは、単に大当たりの出現サイクルが早まるだけです。従来とは桁違いに高い大当たりを提供するためには、ゲームの母数を大きくする必要があります。モデル1202はリールを5つ使うことによって「400万分の1」の母数を実現させていました(ただし、この母数はおそらく概数です。仮に1リールが21ステップだとすると、21の5乗は408万4101通りとなります)。
スロットマシンがEM機であった時代は、この辺が事実上の限界点であったことと思います。しかし、「バーチャルリール」という概念ができてからは、一つのリールのステップ数は機械要素に依存しなくなり、理論的にはいくらでも増やせるようになりました。この概念を応用して、1986年には他のカジノに設置してある機械までリンクして一つのプログレッシブを共有する「ワイドエリア・プログレッシブ」という新たなプログレッシブ・ジャックポットが生まれました。その代表格である「メガバックス(MEGABUCKS)」という機種は、100万ドルからスタートするプログレッシブ・ジャックポットを搭載して、「ひと引きで人生が変わる」と謳いました。
現在のラスベガスでも、ワイドエリアプログレッシブの機械は多数設置されていますが、母数があまりにも大きくなり過ぎた結果(公表はされていないが、数千万分の1とも言われている)「どうせ当たらない」と思われるようになり、一時は隆盛を誇っていたメガバックスも、今では設置しないカジノも出てくるようになっています。
剛力の方のお話は何かでチラっと聞いた覚えがありますが、詳しくは覚えておりません。
カジノは上客と見れば下にも置かぬ扱いをしてくるので、まるで王侯貴族にでもなったかのように勘違いする人もいることと思います。しかしカジノは遊郭と同じで、カネの切れ目が縁の切れ目となります。やはり身丈に合った予算でゲームのスリルを楽しむのが健全な遊び方だと思います。
ついついこういう記事を書かれている方がいらして嬉しくなって色々コメント書かせていただきましたが、ふさわしくないと判断された場合は削除願います。
さてメガバックス、と申しますかカジノでの話というと剛力(山小屋に荷物を運ぶ職業)出身の柏木さんの話もありましたね。
しかも相手は全アメリカ大統領トランプ氏のカジノで大勝負をして勝ったり負けたりですが、いつの間にか不審死を遂げていたという話がありましたね。
自分はそんなハイローラーにはなれませんが
「熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録」
や
「カジノエージェントが見た天国と地獄 (ポプラ新書) 」
を読んでいつかはじっくりカジノでプレイしたいと思いました。
本当にお返事ありがとうございました。
メガバックスに限らず、宝くじやスポーツくじなどでも、当てた人がその後不幸になってしまうという話はいくつかありますね。ワタシの印象に残っているのは、南米の某国でサッカーくじで億万長者になり日本の新聞でも報道されたのに、その10年か20年後に今度は事故で死亡したという記事になった人です。その人は夢よもう一度とくじに夢中になり、死亡した時には無一文になっていたとのことです。
この小説は日本人がメガバックスに絡む人情ドタバタ劇でおもしろかったですが、メガバックスを引き当てたら一部寄付しないと不幸になるというのは本当だったのでしょうか?
原因としての分かりやすさは、リーマンショックの影響で色々あって、ペニーマシンにみんな逃げた、って感じがしますが…
2019年12月時点で107カジノに315台という情報が最終の最新情報となりました。
gaming.nv.gov/modules/showdocument.aspx?documentid=16490
MEGAは1セント~1ドルまで対応機種によって違いがあるので、それぞれのデノミへ吸収されたのでしょうね。
4000万ドルの狂乱を生み出したマシンに、時代の移り変わりを感じます。