オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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新・幻の「アタミセンター」を求めて(3):初日の記録その2

2024年04月14日 15時37分24秒 | 歴史

【前回のあらすじ】
「アタミセンター」の謎解明のため熱海市立図書館で地図を調べたところ、蔵書としては最古の1961年版に「アタミセンター」の名があった。しかし、「アタミセンター」は70年代の地図にもその名前が残されており、どうやら「アタミセンター」が「スーパーホームランゲーム」の「直営宣傳場」だったのはその歴史の一時期に限定されるらしいことがわかった。

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図書館での調査はひとまず終え、今夜資料を整理して不足があればまた明日来ることにして図書館を出たのは昼の12時頃でした。

ところで熱海には、知る人ぞ知るレゲエスポット「和田たばこ店」があると常々聞いていました。図書館から和田たばこ店までは約1kmとのことなので、ひょっとすると「アタミセンター」や「三協音機」(関連記事:「三協音機」って知ってる?(1))についても何かご存じかもしれないとの期待もあり、訪ねてみることにしました。

和田たばこ店については事前にいくらか調査してありました。店主の和田員昌さんは1960年代からゲーム業界に携わるようになり、最盛期には熱海のホテルや旅館に800台ほどのゲーム機をリースしていたそうです。しかし熱海の景気が悪くなって閉業する施設が増えたため撤収し、現在はご自分のたばこ店を兼ねる駄菓子屋と、その隣に建てた小さなゲームセンター「ちょっくらよってたらー」に多少の機械を置いているだけとのことですが、今でも倉庫に400台ほどを稼働が可能な状態で保存しており、それらはコレクターにも売るつもりはないとのことでした。

和田たばこ店を発見し、「ごめん下さい」とあいさつして中に入ると、店内にいた壮年の男性二人に「いらっしゃいませ」と迎えられました。店主の和田員昌さんはご存命なら今年86歳になられるはずなので、ひょっとするとこのお二人はご子息で、お店を継がれたのかと推測しました。

和田たばこ店。テント看板には「熱海の駄菓子屋 店内レトロゲーム・駄菓子がいっぱい」と謳われている。向かって左隣りに建つ黒いたてものが「ちょっくらよってたらー」。所在地は静岡県熱海市昭和町4-27。

狭い店内を見渡すと、いわゆる「駄菓子屋ゲーム」と呼ばれるゲーム機が7、8台くらいあったと思いますが、店頭に「撮影はご遠慮下さい」との張り紙されていることもあり、無理に撮影をお願いするほどでもないと判断し、代わりにお話を聞こうと、お二人に「熱海のゲーム業界について調べているのですが」と話しかけてみました。しかし反応は極めて鈍く、一つ二つ質問もしてみましたが全くわからないとのことで、また話を広げようとする姿勢も感じられません。どうやら和田員昌さんのレガシーはこのお二人には伝承されていないようです。諦めて、今夜ホテルで食べるつもりでいくらかの駄菓子を買い、落胆のうちに和田たばこ店を後にしました。「ちょっくらよってたらー」は施錠されていて入れませんでした。

後にこのことをオールドゲーム界隈のコミュニティでは有名なある方にお話しすると、「それは残念だった、あそこのおやじさんは一つ聞けば喜んで十を話してくれる人だったのに」と慰められました。

【本日のお昼ごはん】

和田たばこ店から銀座町に戻る道すがら発見したインドレストラン「The Taji」で昼食。スペシャルランチセット(バターチキン)。ふつうにおいしい。

銀座町に戻り、「加奈」の建物をあちこちの角度から撮影した後、熱海に唯一残る射的場の「ゆしま遊技場」に立ち寄ってみました。何度も言いますが、温泉場と言えば射的(とストリップ)ですので、文化遺産として貴重な店だとは思いますが、スマートボールコーナーの機械は最近製造された後発品なので、懐古趣味を期待すると裏切られます。ところでこの「スマートボールのジェネリック版」は、風俗第4号営業の認可を受けているのだろうか。

①熱海に唯一残る射的場「ゆしま遊技場」の看板。 ②ゆしま遊技場の入り口。間口は狭い。 ③入って右手の射的コーナー。撃ち落とした品物に得点が付いており、得た総得点で景品と交換するらしい。 ④入って左手のスマートボールコーナー。スマートボールと名乗ってはいるが、ゲーム内容はビンゴのようなラッキーボール系。

ホテルのチェックインにはまだ少し時間があるので、いくらかなりとも聞き込みができればと期待して、「加奈」のすぐ近くにある老舗喫茶店「ボンネット」に入ると、まだ午後2時前だというのに、あと一時間ほどで閉店となるが良いかと聞かれました。繁盛されているようで店内はほぼ満席でしたが、運よく一つテーブルが空いたところだったので、構わないと言って席に着き、つい30分前に昼食を摂ったばかりですがこの店のシグネチャーメニューと思しき「ハンバーガーセット」を注文しました。

①今年営業75年を迎えた老舗喫茶店「ボンネット」の店内の入り口側。 ②同じくボンネット店内の奥側。 ③~④ボンネットのシグネチャーメニューであるハンバーガーセット。

ボンネットは、どうやら家族で運営されているようです。まず、ご息女と思しき女性がコーヒーを運んできたので、話の切っ掛けとして「この近くにあった加奈と言う喫茶店は、その前は何屋さんだったかご存じですか」と聞いてみました。すると女性は、厨房にいる、おそらくは母君と思しき年配の女性にバトンタッチされ、「あそこは前はキャバレーでしたよ」とのお返事がいただけました。

キャバレー? あり得ることだとは思いますが、射的だか空気銃の店とも聞いている関連記事:幻の「アタミセンター」を求めて(2):旧浜町で発見した看板建築)ので、「空気銃のお店だったことはありますか?」と聞いてみたところ、「ああ、射的屋さんだったこともありました」とおっしゃいました。ふむう。空気銃(射撃)ではなく射的か。「ずいぶん大きい射的屋さんですね」と少し突っ込んでみましたが、「そうね、大きい射的屋さんでしたよ」とのお答えで、少なくともこの方の認識としては射的屋でした。

次に、「加奈」が「銀馬車」の後釜だとしたら「加奈」はアタミセンターの2階で営業していたのかもしれないとの思いから、「加奈は2階にあったのですか」と聞くと、「いいえ、加奈は最初から1階ですよ。加奈が閉まってからは今までずっと空き家のままです」とのことでした。と言うことは、「銀馬車」は1階で、2階が「アタミセンター」だった? そして「アタミセンター」がキャバレーで、「銀馬車」が射的屋だった?

謎が謎を呼びますが、他にも客がおり、また閉店時刻が迫っていることもあって、あまり長く捕まえていることも憚られるので、お礼を言って話を切り上げました。小ぶりのハンバーガーは、米国でもたまに見かける、別に添えられているオニオンスライスとレタスを自分で挟むスタイルですが、味は懐かしい昭和のお惣菜ハンバーグの味でした。

帰りのレジで精算していると、店主と思しきご高齢の男性が「ウチは今年で75年になります。私は95」と言って自分を指さしました。店に立って元気に働いていらっしゃる姿はとても95歳とは思えず、驚きでした。明日もまた来ようと思いますと言うと、「ぜひどうぞ、ウチは日曜はお休みですけど、明日はやってますので」とのことでした。気さくなお店で好印象でしたが、営業時間がかなり短いようなのでタイミングを見計らう必要があります。

◆初日午後の収穫:
・アタミセンターはキャバレーだった時期がある。
・アタミセンターは射的屋だった時期がある。
・加奈は開店当初から1Fだった。

(つづく)


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