オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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「三共」についての備忘録(4) 三共精機のAM機

2023年03月12日 17時58分07秒 | メーカー・関連企業

三共遊園設備」から「三共精機」が分離独立したのが1971年、そして両社が再び合併して「三共」となったのが1976年です。この流れがわかれば、資料に記載されている社名からその機械の製造時期をある程度見当をつけることができそうに思えますが、調べを進めるうちにそう簡単にはいかないことがわかってきました。

例えば、当時の業界団体の子会社であった日本出版企画制作1971年9月に発行した「'72コインマシン名鑑」には、三共精機と三共遊園設備の連名で広告が打たれており、そこには前回記事で三共遊園設備製として採り上げた「アポロムーン」の名も掲載されています。

「'72コインマシン名鑑」に掲載されている三共精機と三共遊園設備の連名の広告。「製造品目」の上から三番目に「アポロムーン」が記載されている。

しかし、「'74/'75遊戯機械年鑑」ではアポロムーンは「三共精機」の製品として掲載されており、もし、こちらだけしか見ていなければ、アポロムーンは三共精機が発足した1971年以降の製品であるように思えてしまいます。

「'74/'75遊戯機械名鑑」の「アポロムーン」の部分(47ページ)。「三共精機」の製品ととされている。

1970年代半ば以前の資料は非常に乏しいため、どれがそうであるかを確認することが困難なのですが、他の三共精機製品についてもアポロムーンと同様に三共遊園設備から受け継いでいる可能性はあります。ご高覧くださる皆様におかれましては、その点ご留意いただけますようお願いいたします。

************* これより本文 **************

【1】アタックNo.1(1972以前)

アタックNo.1のフライヤー。「三共精機」の名で頒布されている。

女子バレーボールをテーマとするゲームです。フライヤーの説明によると、こちら側からボールを奥に向かって打ち出して相手コートに入れば1点を得ますが、ネット際ではブロッカーが出たり引っ込んだりしてこれを妨害しようとするようです。ゲームは時間制で、そのタイマーは相手チームの得点として表示されます。相手チームの得点が15点に達する前に自分が15点を入れれば再ゲーム、と言うことのようです。このタイマーは、バレーボールのルールをうまく採り入れていると思います。

フライヤー以外の資料では、1972年10月に刊行された「'73コインマシン名鑑」に記載があるので、この機械は1972年以前には存在していることはわかりました。

しかし、「アタックNo.1」と聞いて一般の人が想起するのは、「週刊マーガレット」誌に連載されTVアニメ化までされた大ヒット漫画の方でしょう。週刊誌連載は1968年1月から1970年12月まで、TVアニメ放映は1969年12月から1971年11月末までで、この機械の製作年が1971年だとすると、いくらか出遅れの感が否めません。

コインマシン名鑑には必ずしも最新機種のみが掲載されているわけではないので、これも「アポロムーン」のように三共遊園設備から三共精機が受け継いだものである可能性をどうしても捨てきれません。とは言うものの、前述の1971年9月に発行された「'72コインマシン名鑑」に掲載されている三共遊園設備と三共精機連名の広告にはその名が見えず、本当に三共精機で作られているのかもしれません。謎です。

【2】キックボクシング(時期不明・1971年以降?)

キックボクシングのフライヤー。

日本で「キックボクシング」なるスポーツ興業がブームとなったのは、1960年代の終わり頃から1970年代初頭にかけてのことでした。沢村忠さんというスーパースターの必殺技「真空飛び膝蹴り」は、戦後復興期における「力道山の空手チョップ」さながらに、多くの日本国民を沸かせたものです。彼を主人公とした漫画「キックの鬼」も折からの「スポ根ブーム」に乗ってヒットし、TVアニメ化もされましたが、それも先述の「アタックNo.1」と同様、三共精機ができる前のことです。

ただ、全日本遊園70年11月号には、これとはまるで異なる三共遊園設備製の「キックボクシング」が同年のAMショウ出展機種として掲載されている(関連記事:第九回アミューズメントマシンショウ(2)出展機種画像1)ので、今回の「キックボクシング」は素直に三共精機製と考えて良いのかもしれません。たて続けに同テーマのゲームを作ろうと思うほど、当時のキックボクシングの人気が高かったということなのでしょう。

全日本遊園70年11月号41ページの、三共遊園設備製の「キックボクシング」の部分。左隣にはやはりキックボクシングテーマの「ジャンボキック」(日本展望娯楽)が掲載されているが、そちらは写真がホープ自動車製の「Baby Gang」に入れ替わっている。

【3】ウルトラマンA(1972~3年?)

ウルトラマンAのフライヤー。

ウルトラマンAがTVで放映されていたのは1972年からだそうですから、これは疑いなく三共精機が作ったものと言ってよさそうです。

フライヤーの説明を読むと、回転するウルトラマンAからボールを発射して取り囲んでいる怪獣に当てると得点になるようですが、この頃のワタシはもう中学生になっており、さすがに怪獣モノへの興味も失っていたせいか、このゲーム機を見ている可能性はあるはずなのに記憶には残っていません。

気になるのは、フライヤーの左下に、三共精機の名とともに「日本娯楽機」の名が記載されている点です。日本娯楽機は、大正時代ににおける自動販売機の発明を皮切りに、戦前からずっと日本の遊園・AM業界の発展をけん引してきた遠藤嘉一さんが社長を務めていた老舗です(関連記事:AM産業と業界誌の謎(2))。

ライバルであるはずの二社がどのような経緯でウルトラマンAの版権を分けることになったのかはわからず、いろいろと想像が広がってしまいます。

【4】アクロバット(1971年以降1976年以前?)

アクロバットのフライヤーと、プレイフィールド部分の拡大図。

10円硬貨を使ったプライズ機です。筐体上部のコイン投入口に10円硬貨を入れると、硬貨は白いガイドに従ってプレイフィールド内に落ちてきます。プレイフィールドの左上部には猫が描かれた回転盤が回っており、その回転盤の長い切れ込みに硬貨が入ると、硬貨は回転盤の4時の方向にある、カギ型のポケットに運ばれます。そこで筐体上の赤いボタンを押すと、硬貨はプレイフィールドの右側に射出され、盤面の三角形のピンに当たりながら落ち、「景品」と書かれた区画に入れば景品が出てきます。回転盤の長い切れ込みに硬貨を入れるのはスキルマターですが、その後は運次第のゲームです。

このゲーム機は、ワタシにとって少々ややこしいです。と言うのも、1970年頃にほぼ同じ内容の「ニューコインパンチ」と言うゲーム機が「サニックコーポレーション」から発売されているのです。

サニックコーポレーションの「コインパンチ」のフライヤー。この回転盤にセクシャルコンテンツが含まれるのでお子様は見てはいけません。

サニックコーポレーションは、1970年に「サニー東京」から社名変更された会社で、サニックコーポレーションの名前で紹介されている製品も三共精機のケースと同様に実は1970年より早い時期から作られていた可能性があります。

アクロバットとニューコインパンチはどちらが先に作られどちらが真似たのかは今のところ不明です。フライヤーのセンスから想像すると、アクロバットの方が後にできているように思えますが、そうだとしても、どのような経緯で同じような機械を作ることになったのかが別の謎として残ります。「ニューコインパンチ」については若干思うところもあるので、いずれ機会を改めて述べたいと思います。

(次回「『三共』についての備忘録(5) 三共のAM機」につづく)