オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(4) セガのスロットマシンその2

2020年04月19日 21時27分46秒 | 歴史

今回は前回に続いて、セガが製造販売していたスロットマシンの第三世代、第四世代の話です。この頃はもうポストセガ時代に入っていますが、まだブロムリー帝国の影響は残っていたようです。特に英国ではゲームアーケードにもスロットマシンが設置できるようになっており、ブロムリー自身もスロットマシンのオペレートでたいへんに儲けていたようです。

■第三世代(1965年以降?~1960年代終わりころ?):コンチネンタルシリーズ
セガは、筐体の外観を除いてほとんどベルシリーズと変わらなかったスターシリーズの次に、「コンチネンタルシリーズ」を開発しました。この新シリーズは、筐体自身には塗装を施さないモダンなデザインに、カスタマイズが可能な前面パネルを備えていました。これには、1964年に米国Bally社によってなされたスロットマシン革命(関連記事:米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(2))の影響もあったのだと思いますが、しかし、内部機構はBallyの革命以前のものと大差はありませんでした。

ワタシの手元には、コンチネンタルシリーズのフライヤーが4枚あり、このうちの3枚が「SEGA Enterprises」名義で、残る1枚が「Club Specialty Overseas」名義になっています。この資料だけでは断言はできませんが、これらから、コンチネンタルシリーズはセガ・エンタープライゼスができた1965年以降に作られたもので、「Club Specialty Overseas」も少なくともそのころまでは存在したものと推測されます。


コンチネンタルシリーズのフライヤー。「Club Specialty Overseas」名義(左)と「SEGA Enterprises」名義(右)の二種。Club Specialty Overseas名義の方はプログレッシブ仕様であるところにも注目される。米国Bally社は少なくとも1965年にはプログレッシブジャックポット機能を搭載した機種を発表しているが、これは果たしてそれよりも早いのか、遅いのか(たぶん遅いとは思う)。

■第三世代2(1960年代半ば?):スターレットシリーズ
スターレットシリーズの登場時期は、コンチネンタルシリーズと同じころのようなのですが、はっきりとはわかりません。しかし、その外見は第二世代のスターシリーズ、いわゆるダルマ筐体そのものです。それと言うのも、「スターレット」はセガが発売する廉価版スロットマシンという位置づけということだったようです。


スターレットのフライヤー。

「廉価版」とするからにはいろいろコストダウンの工夫がありました。このフライヤーでは「セガはどうやってこんなに適正な価格が提示できるのか? 予想する前にこれら5つの手掛かりをお読みください」と謳って、そのヒミツを述べています。超訳すると、

1:装飾と、プレイヤーを混乱させるミステリー・ペイアウトを排した。
2:機構から余分な機能を排した。
3:照明を取り外すことで筐体を低くし、部品数を減らした。
4:筐体中央部分にあった白のツートンカラー塗装を排して塗装コストを抑えた。
5:新しい砂型が低いダイキャストに取って代わることよって、リールウィンドウと配当表を除くいくつかの照明を不要とした(注・意味が半分わからない)。

という具合です。なお、1番の「ミステリー・ペイアウト」とは、1950年代から60年代にかけてのスロットマシンに見られた、オレンジ以上の当たりが出ると、配当表に書かれているよりも1枚か2枚、コインを多く払い出すフィーチャーのことです。2022年11月29日追記:「ミステリー・ペイアウト」は、ペイテーブルに記載されていない、オレンジとスイカの組み合わせでもオレンジ相当の払い出しがあったものを指すという説も新たに発見されました。Continentalシリーズではペイテーブルに記載されるようになっており、「Mystery Payout」の記述はなくなっています。

■第四世代(1967年前後~?):ウィンザーシリーズ
ウィンザーシリーズは、プレセガ時代から取り組んできたスロットマシン開発の、最後のシリーズです。筐体デザインはよりいっそう現代的に洗練され、一部には電気的に作動する機構も導入されるようになりましたが、払い出し機構はホッパーではなく、依然としてチューブ内のコインをスライサーで押し出すものでした。


ウィンザーシリーズのフライヤー。4機種がまとめられている。

ウィンザーシリーズが作られ始めた具体的な年は特定できていませんが、英国の「フォノグラフィック・イクイップメント(Phonographic Equipment)」と言うディストリビューターが、1967年の12月23日付けの雑誌(業界誌?)に、「The NEW Threesome from SEGA」と銘打って、ウィンザーシリーズのプレイボーイ、マッドマネー、ダービーの3機種の広告を出しています。

2022年11月5日追加情報:その後の調査で、ウィンザーシリーズの1966年の日付が入った開発資料が残されていることが判明しました。また、やはり66年の日付が入っているスターシリーズ及びコンチネンタルシリーズの資料もあり、並行して製造されていたことが窺われます。ただし、これがウィンザーシリーズがリリースされた年と判断できる証拠になるわけではない点には留意しておく必要があります。

フォノグラフィックと言えば、ウィンザーシリーズのうち「1dシリーズ」のフライヤーに掲載されている筐体は、前面の飾りガラスの片隅に「PHONOGRAPHIC」の文字が印刷されています。そのため、ワタシは長いことこれもブロムリー・シンジケートの一部なのかと思っていましたが、ネットを通じて知り合った方から頂いた英語表記の資料から、ブロムリーとは早くから付き合いはあったが少なくとも直接の繋がりがあるわけではないということをつい最近になって知りました。


「PHONOGRAPHIC」の名が入ったウィンザー・1dシリーズの一つ「BUCCANEER」。この他、「AZTEC」や「SEILOR」というタイトルにも同じ銘が入っている。

ウィンザーシリーズは、1970年代初頭(ウィキペディアでは1972年としている)には、スターシリーズと同様にストップボタンを取り付けて、オリンピアシリーズの最終版となる「オリンピア・マークIII」とそのスキン替えである「オリンピア・スター」にも流用されました。この中には、シンボルを麻雀牌とした別スキンもあったと聞いており、ワタシも何かの印刷物でそれを見た覚えが無いこともないような気がするのですが、現在その資料が見つかりません。ひょっとしたらワタシの勘違いでしょうか。また、日本にメダルゲームと言う市場ができた際(関連記事:「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)には、日本のメダルゲームにも転用されました。

■謎世代:ロード・セガ
これまで挙げてきた4つの世代の他に、セガは「ロード・セガ」という機種も作っています。しかし、これについては資料があまりにも少なく、製造時期など詳しいことがわかりません。ロード・セガのフライヤーには、スターシリーズ以前の特徴である「Sega incorporated」と書かれているものがあり、これはつまり、「ロード・セガ」が1964年以前の機械であることを意味していると思われるのですが、1964年と言えば米国Bally社がスロットマシンに革命を起こした年であり、ロード・セガはその影響を受けずにこれだけの機能とデザインを実現したことになります。しかし、ハイトップやダルマがロード・セガとなるにはそれなりに大きな飛躍が必要で、それもにわかには信じがたい話ではあります。「Sega incorporated」名義のフライヤーの存在が確認できないため、この部分を取り消し(2020.04.21)


ロード・セガのフライヤー。

フライヤーによれば、ロード・セガは筐体の前面が開くことが大きな特徴だそうです。と言うのも、スターシリーズのメンテナンスドアは筐体の背面にあったため、メンテナンスが必要となった時は筐体の背後に回るか、またはオプションとして提供されていた専用のターンテーブルの上に設置して回転させて背面を前に向けて行う必要があったのですが、ロード・セガは設置されている状態そのままで前面からメンテナンスができるようになったというわけです。これは確かに大きな進歩と言えましょう。ロード・セガについての謎は、今後も追及を続ける必要があります。

■最後に
結局のところ、最後までホッパーを搭載することがなかったセガのスロットマシンは、1970年頃、ウィンザーシリーズを最後に終焉を迎えました。1964年のスロットマシンに起きた革命に着いていくことができなかった他の多くのスロットマシンメーカーが比較的早い段階で撤退した中、セガは最後までよく粘った方だったと思います。これについて、故リチャード・ブッシェル氏(関連記事:歴史の語り部たちを追った話(1):ウェブサイト「コインマシンの世界」)は、自身の著書「Lemons, Cherries, and Bell-Fruit-Gum」で、「(セガは)日本で重要なコインマシン産業を確立するためにアーケードクラスのマシンに集中するようビジネスの哲学を変えた。 その最初の動きの1つは、スロットマシンの製造を完全に廃止することだった」と言及しています。

(このシリーズおわり)