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セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(3) セガのスロットマシンその1

2020年04月12日 17時38分55秒 | 歴史
これまで述べてきたように、日本のセガはもともとスロットマシンをアジア・太平洋地域に売り込むために設立された会社なので、当然ながらプレセガ期には精力的にスロットマシンを製造および販売していましたが、現在のセガオフィシャルの創立年である1960年以降も、まだ10年くらいは海外市場向けスロットマシンの開発を続けています。つまり、そのころまでのセガには、まだブロムリー帝国の影響が残っていたということだと思われます。

この時代のセガのスロットマシンには、大きく分けて4世代があったと言えそうです。そこで、今回はそのうち第1世代と第2世代のスロットマシンを見ていき、次回で第3世代と第4世代を見ていこうと思います。

■第1世代(1950年代):ベルシリーズ(ハイトップ筐体)
ハイトップ筐体とは、米国Mills社が1940年代に開発し、60年代でも稼働を続けていた筐体です。ブロムリーはその金型と権利を買い取って、セガとしてコピーを製造していました。セガのこの筐体に入った製品名の最後にはみな「BELL」と付けられているので、ワタシは便宜上「ベルシリーズ」と呼んでいます。50年代のセガは、Mills社製ハイトップのディストリビュートもしていましたが、いつごろからベルシリーズに移行したのかは判明していません。ひょっとすると時期が重なっていることもあるかもしれません。


ハイトップ筐体のスロットマシンのフライヤー。左は「Manufactured By SEGA incoporated」の社名(SEGA Enterprisesではない点に注意)が印刷されており、この時期から既に「SEGA」の名が使われていることがわかる。また、右のフライヤーには「Club Specialty」の名が印刷されているが、「Club Specialty Overseas」となっていないことには、ひょっとして何か理由があるのだろうか。もしこの両者が同一であれば、このフライヤーは1956年以降のものと言うことになる。

■第2世代(1950年代?~1960年代半ば):スターシリーズ(ダルマ筐体)
次にセガは、俗に「ダルマ筐体」と呼ばれた独自の筐体を開発しました。それがいつ頃のことなのかはよくわかっていませんが、英語の文献で「50年代末頃から60年代初頭」と記述してあるものを見つけています。ダルマ筐体に入っている製品のほとんどは製品名の最後に「STAR」が付けられているので、ワタシは便宜上「スターシリーズ」と呼んでいます。

このダルマ筐体のフライヤーに印刷されている社名には、第一世代と同様に「SEGA incoporated」と「Club Specialty Overseas」のほかに、「SEGA Enterprises Ltd.」と印刷されたものが見つかっています。つまり、1965年以降にも製造されていたことを意味するものと思われます。

ところで、「SEGA Enterprises」のフライヤーに記載されている所在地は「大田区羽田4丁目」となっていますが、この界隈は1958年に町区変更があって、「セガ・エンタープライゼス」ができた1965年時点では「羽田1丁目」となっているはずです。ただし、新しい町区が住居表示として実施されたのが1967年9月1日だそうなので、このフライヤーが作成されたのは、セガ・エンタープライゼスができた1965年から、新しい住居表示が実施される以前の1967年8月以前の間であろうと推定されます。


「SEGA incoporated」名義と「SEGA Enterprises」名義のダルマ筐体のフライヤー。右には所在地が表記されているが、町区変更の混乱がその頒布時期の特定を難しくする。

ダルマ筐体は、1964年に日本で新たに認可された風営遊技機である「オリンピア」及びその続編である「ニュー・オリンピア」の筐体にも流用されました。その風営認定の門戸を開いたのは同業者のタイトーで、セガ(当時は日本娯楽物産と日本機械製造)はその尻馬に乗ったという形であったらしく、当時のタイトーの社長、ミハイル・コーガンは、セガ(その当時はまだ日本娯楽物産と日本機械製造という二つの会社だった)に猛烈に抗議したといういきさつがあったそうです(関連記事:オリンピアというパチスロの元祖の謎)。


これはニュー・オリンピアの筐体。ダルマ筐体の胴部前面に「スキルストップ」ボタンを取り付ける改造が施されている。

しかし、オリンピア筐体には、ゲームルールが風俗営業の認可を受けていない、スターシリーズのままという個体も少なからず存在しています。そのような機種は飲食店などで違法な賭博機として稼働していたようです(関連記事:オリンピアとワタシの関わりの記録)が、セガ自身がそれにどれほど関与していたのかしていなかったのかはわかりません。ゲーム業界は、裏街道を行くアウトサイダーが暗躍することもよくある話だったので、これもそんなケースの一つだと思われます。

(つづく)