オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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スロットマシンのシンボルの話(6) フルーツシンボル「Bell-Fruit-Gum」の謎その2

2019年09月29日 20時40分27秒 | 歴史

前回は、Millsの「Liberty Bell Gum Fruit」のペイテーブルに書かれた「The Trust Does Not Manufacture or Control The Sale of BELL-FRUIT-GUM (トラストはベル・フルーツ・ガムの製造、販売統制をしていない)」という言葉の意味を調べて、「Trust」とはいくつものガムメーカーの合併(トラスト)によるガム市場を独占する勢力を指していることを解明しました。

ガム業界におけるトラスト形成の背景には、それまで各社がそれぞれで負担していた原料調達にかかる費用や設備投資、あるいは実に膨大だった宣伝費をひとつに統合できるだけでなく、市場を独占すれば熾烈な競争にさらされることもなく、商品は言い値で売ることができるというメリットがあります。

当事者にとってはおいしいことだらけのトラストですが、社会科の授業で良く聞く「アダム・スミス」は、「神の見えざる手」の言葉で有名な「国富論」(実はアダム・スミスは「神の」とは言っておらず、単に「見えざる手」としか言っていないそうですが)で、「独占による富の偏在は国の経済を弱めるだけでなく、その利益を享受した商人も本来あるべき資質である合理化や向上の精神を失う」、「スペインやポルトガルは国が衰退し貧富の差が大きいにもかかわらず、『独占商人』たちは非常に贅沢な暮らしをしている」と述べており、独占は国益を損ねるとしています。

このように、独占には社会的な問題が潜むわけですが、元々はスロットマシンを稼働するための方便としてガムの販売機能を取り付けているだけのMillsに、そこまで高い問題意識があるとも思えません。Millsはなぜガム・トラストに抵抗する姿勢を強調したのでしょうか。

と不思議に思ってさらに調査を続けていたら、Kerry Segrave氏の著書「Chewing Gum in America, 1850-1920」に、「サニタス・チューインガム社(Sanitas Chewing Gum Co., Ltd.)」という会社による広告を見つけました。そして、なんとこの広告にも「Not In The Trust」の宣言があります。


サニタス社の広告。スペースの1/3以上を使った冒頭で「トラストのメンバーではない」と訴えている。「Chewing Gum in America, 1850-1920 The Rise of an Industry」P.34より。

「Chewing Gum in America, 1850-1920」では、この広告画像のキャプションで、「1906年、トラスト(カルテル)はガム業界を含むあらゆる業界で見られた。そして独占はメディアや社会から非難されたため、サニタス社はこの広告で、同社がガム・トラストのメンバーではないという事実を最優先で宣伝している」と述べています。

なーるほど。非トラストであることの告知には、「我々はあなた方が非難する悪の構造には与していません」と言う意味が込められていたのですね。Millsのペイテーブルでの宣言にも同様の意味があったのも間違いないでしょう。

Millsは筐体でアンチトラストを宣言するだけでなく、オペレーター向けの広告でも、自身がまるでガムメーカーであるかのような論調でトラストを批判しています。


Millsのガムの広告。何に掲載されたものかは不明。この画像は、フェイの「Slot Machines America's Faborite Gaming」第6版のP.108より。

以下、Millsの広告の訳**************

ガムは庫出し価格で買いましょう

我々は「非トラスト」で有名な純粋な食品ガム「ベル・ガム・フルーツ」のみを扱っています。

ガムの莫大な利益は長年にわたって強大なガム・トラストに吸い上げられてきました。
小売り業者は、トラストが決めた価格で、トラストの卸売業者から購入するほかありませんでした。

こんな状況はもう耐えられません。今それは変わりました。我々自身と二つの東部の「反トラスト」のガムメーカーが団結して、広告費などを無くすことで、我々は市場にあるものと同等の高品質な製品を、お客様に1箱(100個入り)を60セント、1ケース(6000個入り)を35ドルと、驚くほどの低価格で提供できます。

このベルガムフルーツは、おいしい、様々な風味を詰め合わせた純粋な菓子です。1パッケージ5枚入りで、銀紙で包みパラフィン紙でラップし、外装は美しいリトグラフです。

さらに、この販売方法の一環として、我々のガム自販機に特化したデザインになっていますので、類似する他の製品では満足のいく結果は得られません。ベル・ガム・フルーツは常にMillsの機械で使用されることが想定されています。この大きくハンサムなパッケージは、顧客を喜ばせ、そしてあなたのためにお金を稼ぎます。50%の利益がパッケージごとに得られます。

Mills Novelty Co.
世界最大のコインオペレーションマシン製造者
MILLS SUILDING
シカゴ、ジャクソン通りとグリーンストリート

************翻訳ここまで

当時のガム1個の値段は5セントが一般的だったようです。ガム・トラストの小売店への卸価格はわかりませんが、Millsは「Bell Fruit Gum」を、100個で60セント(1個当たり0.6セント)、または6000個で35ドル(1個当り0.58セント)の「驚くほどの低価格」で卸しています。これを、1回5セントのスロットマシンで販売すれば、プレイヤーにとっては5セントのゲームで5セントのガムが必ず払い出されるので損はないだけでなく、ゲームの結果によってはガム以外のペイアウトもあるわけですから、どこかの店頭で買うよりも得です。

ここでまた話が若干わき道に逸れますが、某有名私立大学の出版局が出版する叢書の中の、ある一冊(1982年に出版)には、「1910年当時の初期は、まだ商品の自動販売機に似たようなものであった。つまり貨幣を入れて、当たると投げ入れた貨幣の数倍、十数倍のレモンやオレンジやその他の商品がでてくる仕掛になっていた」というトンデモな話が述べられています。

また、これほどトンデモではなくとも、ネット上には「ゲームの結果によって、現金の代わりにガムを払い出す」という言説をあちこち(日本語だけでなく英語圏でも)で見かけます。それではまるで、当時のスロットマシンは、ジャックポットを当てると大量のガムが払い出されるかのように読めてしまいますが、大量のガム獲得を夢見てスロットマシンを回す人がいるとも思えません。たしかに、純然たるガムの自販機というものは既にありました。その中には、1リールのスロットマシンのようなゲームを経て、得られるガムの枚数が異なるというものもありました。


リグレイの、スロットマシン風ガムの自販機(1897)。1つしかないリールには「Number 1」から「Number 24」のいずれかが描かれ、窓に停まった数字によって、1枚から3枚のガムが払い出された。この画像の筐体にはガムの払い出し口が見当たらない。フェイの著書「SLOT MACHINES America's Favorit Gaming Device」第6版のP.110より。

Millsやその模倣者たちがギャンブル機ではないと主張する機械では、1回のゲームについてガムを必ず1個払い出し、ゲームの結果によってはそれとは別に現金か、または「トレード・チェック」と呼ぶ商品と交換することができるトークンを、「ガム売り上げの利益をシェアする」という理屈で支払っています。


ガム以外のものも払っている機械の例。Cailleの「Operators Bell De Lux (1912)」。「利益分配のための運営」を謳い、ガムの他にトレード・チェックを払い出している。なお、この機械が販売していガムは「Liberty Fruit Gum」というようだ。Bill Kurtz著「SLOT MACHINES AND COIN-OP GAMES」のP.68より。

1回のゲームが5セントで、ガム1個のコストが0.6セントだとすると、それだけで既に12%を払い出していることになります。当時のスロットマシンが想定するペイアウト率が仮に75~80%だったとすると、ゲームの結果で払い出す現金やチェックは63~68%程度であったと推測されます。これは相当に低い数字ですが、少なくとも投入した金額に見合う価値があるとされるガムは手に入るのですから、特に文句も出ずに成立していたのでしょうか。

それにしても、ゲームした数だけガムが手に入るのだとすると、プレイヤーの手元には最終的に結構な量のガムが残ってしまうのではないでしょうか。ガムの自販機は半自動で、ガムを払い出すためにはプレイヤー自身がノブを引いたりつまみを回したりする必要があったので、これは推測ですが、リールを回してもガムを取って行かないプレイヤーも少なからずいたのではないかと思います。

なお、スロットマシンが払い出す菓子は、1920年代になると、ガムよりも賞味期限が長いミントに変わっていきました。当時のガムは時間が経つと劣化して食感が変わってしまったそうです。

**************

「Bell-Fruit-Gum」の素性を明らかにしようとこれまでいろいろと調べてきた結果、「トラスト」の意味や当時のガム業界事情やガムの値段などが判明し、スロットマシンの歴史の理解はいくらか深まりましたが、「Bell-Gum-Fruit」の正体は結局明らかにはなりませんでした。ただ、「二つの東部の「反トラスト」のガムメーカーが団結」とあることから、Mills自身がガムを製造していたわけではなさそうであることは見当が付きました(下線部分は2023年1月29日加筆)

ワタシの手元には、英語表記のため読破できていないスロットマシンの関連本が結構たくさんありますが、それらから関係がありそうなページを拾い読みする限りでは、「Bell-Fruit-Gum」の正体について述べているページは見つかっていません。この謎が解ける日は果たして来るのでしょうか。

(このシリーズ終わり)