前回ご紹介したオランダのピンボール情報サイト「PINSIDE」の掲示板に、「ポインティ・ピープルの考察-マルケとケリーへの敬意」というトピックを発見しました。その中で、「Mardi-Gras-Man」と名乗るドイツ人と思しき人が、「ジェリーが死去する少し前の2000年に彼と話した」と言って、かなり詳しい話を投稿してくれています(他のウェブサイトの情報によると、ジェリーは2002年9月に80歳で亡くなっています)。
Mardi-Gras-Man氏によると、ジェリーは自身のスタイルを「現代アートワーク(the contemporary artwork)」と呼んでいたとのことです。そしてジェリーは、1960年代の早い時期からWilliamsでシャッフルボード機のデザインをしたり、1962年以降Williamsがピンボール事業から撤退する1999年までずっと使い続けた有名なWilliamsのロゴのデザインもしていました。
ジェリーが1962年にデザインしたWilliamsのロゴ。Williamsの歴代機種のフライヤーを調べると、1962年の途中からこのロゴが描かれるようになっている。このデザインにも「ポインティ・ピープル」に通じる特徴を感じる。
ジェリーは他にもアミューズメント業界のいろいろな分野で多くの仕事をしていました。Mardi-Gras-Man氏は、彼の最初のビッグヒットはBallyの新しいスロットマシンキャビネットだったと言っています。
これはびっくり!
Ballyがエレクトロメカニカル回路とホッパーでスロットマシンに革命を起こしたのは1964年のことです(関連記事:米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(2))。この時、スロットマシンのキャビネットも、従来とは一線を画す極めてモダンなルックスに生まれ変わりました。そして言われてみれば、このキャビネットのデザインにも、確かに「ポインティ・ピープル」に通じる直線と角の強調が感じられます。
Ballyがスロットマシンに革命を起こした最初の機種「マネー・ハニー (Model 742Aシリーズ)」から使われるようになった新型キャビネット。これ以降、MillsやJenningsなどそれまで大手とされてきた他のスロットマシンメーカーはことごとく駆逐され、業界はBallyの独擅場となった。
ジェリーは、ピンボール機のグラフィック・デザイナーとしては、Williamsで「Pot 'O' Gold (1965)」と「A-Go-Go (1966)」の2機種に「ポインティ・ピープル」を描いた後は、1966年12月に発売された「Capersville」以降、1作を除いて全てBallyで仕事をしています。そしてこれが、クリスがジェリーの仕事を引き継ぐきっかけとなりました。それまでWilliamsとChicago Coinsの仕事をしていたクリスは、Williamsからジェリーのスタイルを模倣するよう要請されて、1967年から「ポインティ・ピープル」を描くようになりました。
つまるところ、Williamsで「ポインティ・ピープル」を描いていたジェリーはBallyに移ってからも「ポインティ・ピープル」を描き、これによってWilliamsにできたジェリーの穴をクリスが埋めたという形です。ただ、クリスも1968年からぽつぽつとBallyの仕事もするようになっており、ジェリーが業界からいなくなる前年の1969年以降は、WilliamsとBally(とChicago Coins)の両方に典型的な「ポインティ・ピープル」を描いています。
クリスは1964年にアメリカにやってきたフランス人でした。彼は、ピンボール業界で仕事をすることになった時に、同じフランス人の「ルイス・レイノード(Louis Raynaud、以下ルイスとする)」と言う人を連れてきたのだそうです。そして、ワタシは今まで見逃してしまっていましたが、このルイスも、「Lady Luck (Williams, 1968)」と「ZODIAC (Williams, 1971)」という2つのタイトルで「ポインティ・ピープル」を描いています。
ルイスによるポインティ・ピープルの「Lady Luck」(上)と「ZODIAC」(下)。「ZODIAC」には、リプレイ機能を無効にした別バージョン「PLANETS」があり、これにも「ZODIAC」と同じアートワークが使われている。
ルイスはこの2タイトル(別バージョンを含めば3タイトル)を残しただけでピンボール界から姿を消してしまっていますが、その理由までは言及されていません。ワタシもルイスの名でウェブ上を検索してみましたが、ほとんどヒットしないため、詳しいことは何もわかりませんでした。
Mardi-Gras-Man氏は、「ジェリーの言葉から、彼は他人の手による、彼自身がひどいと評価する「ポインティ・ピープル」作品が自分の作品と誤解されるのが不本意で、自分のスタイルが模倣されることを好んでいないように察せられた」と言っています。
一方のクリスの方については、ジェリーをたいへん尊敬していたように見えると言っています。前回の記事でも触れた、「CHAMP (Williams, 1974)」にジェリーの作品を登場させた件も、クリス最後の「ポインティ・ピープル」となる「STAR POOL (Williams, 1974)」を描く時期に、ジェリーへの敬意を込めた「Hat-Tip(原義は帽子を軽く持ち上げるしぐさの挨拶。尊敬や感謝を表す)」のつもりであったのだろうとも言っています。
Mardi-Gras-Man氏の投稿は、前回の記事を書いている時点では曖昧だった部分を多少なりとも明らかにしたただけでなく、思いもよらない新事実もたくさん述べられており、非常に興味深いものでした。これらの情報をもたらしてくれたMardi-Gras-Man氏に対して、ワタシも「Hat-Tip」しておきたいと思います。
(「ジェリーとクリスのその他の仕事&資料・その2」につづく)