オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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歴史の語り部を追った話(6):現代パチスロの祖先とバーリーの関係・その4 「ジェミニ」の構造

2018年07月15日 22時04分39秒 | 歴史
本題に入る前に、前回の記事にちょっと補足です。

前回の記事で、角野氏が「バリーの経営方針もオペレーションを主として製造メーカーとしてはあまり力を入れなくなった」と言っている部分は、「バーリーがニュージャージー州のカジノライセンスの取得に動き出したことを指していると思われる」と述べましたが、実はもう一つ、思い当たる件がありました。

1974年、バーリー(Manufacturingの方)は、オペレーション事業の拡大のため、ゲームアーケードのチェーン店「カルーセル・タイム」のオペレーター「アメリカン・アミューズメント」社を買収しています。角野氏が言っている「オペレーションを主」とは、ひょっとするとこちらの話だったのかもしれません。ただ、オペレーション事業を行うのは開発製造とは別の子会社であり、これによって「バーリーがメーカーとして力を入れなくなった」ということはなかったように思います。

余談(1) 「アメリカン・アミューズメント」のチェーン店は、買収後に「アラジンズ・キャッスル」に変わりました。1982年には、バーリーがオペレートするゲームアーケードは全米で450店舗を数えるまでに発展し、「ゲームアーケードのマクドナルド」とまで言われるようになりましたが、1980年代初めころから始まったビデオゲームブームの沈静化とともに徐々に店舗数を減らし、1993年、バーリーはオペレーション事業をナムコに売却しました。

余談(2) バーリーは1976年に「Aladdin's Castle」というピンボール機(画像と詳しい情報はこちらで見られます→The Internet Pinball Database Aladdin's Castle)を発売していますが、これが自社のアーケードチェーンとリンクした企画かどうかは不明です。ロケーションの一部には、ピンボールのと良く似たロゴを採用している店舗もありましたが、多くは全く異なるロゴを使用していたようです。

*********これより今回の本題

今回の話の出典である、「PACHISLOT 2001」に掲載された記事「伝説のパチスロ第1号 『ジェミニ』誕生秘話」の表紙部分では、このように語られています。

3メダル5ライン、ボーナスゲームという現在のパチスロの原型を作った伝説の第1号機「ジェミニ」。アメリカのギャンブルマシンだったスロットマシンにストップボタンを取り付け、さらにパルスモーターという画期的な技術を開発し(1)、風営法の基準で定められた遊技機として警察庁の認可を勝ち取った。しかしパチスロ業界の出発点となった「ジェミニ」が生まれるまでには、アメリカのバリー社の協力があった(2)ことは、これまで余り知られていない。日本のパチスロメーカーとアメリカのスロットマシンメーカーとの深い関係やホールにパチスロ併設を実現するまでの苦労など、これまでのパチスロ業界の歴史について探ってみたい (原文ママ、下線と()の数字は筆者による。引用は以下同様)

下線(2)については、前回の記事で触れたとおり、「バリー」が「Bally manufacturing」を指すのか、それとも「Bally Distributing」を指すのかが不明ではありますが、少なくとも米国のバーリー社にゆかりのある人物と交渉をして、バーリーの部品や筐体を提供してもらって開発されたものであることはわかりました。

ここまでは良いとして、バーリーのスロットマシンと決定的に異なる点となる「ストップボタンによるリール制御」をどうしたかという興味がわきます。これはバーリーのオリジナルには無い概念なので、模倣することはできません。

これについては、まず上記下線(1)で、「パルスモーター(ステッピングモーター、ステッパーモーターなどとも言う)」という言葉が出てきているほか、さらに角野氏へのインタビューの中にはこのような記述があります。

実際に「ジェミニ」を開発されたときに苦労されたのは?

角野 まず一つは法律上、個々のリールをストップボタンで止めて当てるというのが条件ですが、技術介入と人間の動物的勘と言いますか、動体視力によって必ず当てられてしまう状況になったわけです。絶対に機械の方が負けた。

―今なら設定で確率や割り数が決まっている

角野 (前略)リールをズラすということも最初は法律違反だと言われた。それで大阪大学に機械を持って行って研究チームを作り、動体視力についての大学の資料を警察にもっていき、4コマだけズラさせてくれと言って、それが認められた。だから規則で「4コマ以内」という風になっているはずです。絵柄は21ですが、パルスモーターは全部偶数です。電気機械というのは偶数でないとうまくできないんです。だからパチスロ用のパルスモーターを作るときに苦労しました(3)(後略)


角野氏自身も、ジェミニ開発での苦労話の流れの中で、下線(3)のようにパルスモーターに言及しています。ワタシはこれらを以て、ジェミニはパルスモーターで回転を制御しているものと理解し、過去「続・日本のスロットマシン」の中で、それを前提とした記事を公開したところ、ありがたくもご高覧くださったS川さまという方から、「それは違う」というご指摘とともに、ご本人が所有する「ジェミニ」の内部の画像を送ってきてくださいました。

つまるところ、ジェミニにはパルスモーターは使われておらず、アナログな機構でリールを制御しています。ジェミニのメカニズムについては、過去記事「アメリカンパチンコ」・ジェミニ」でも触れておりますのでご参照いただければありがたく存じます(今回のシリーズは、この過去記事で述べていなかった部分を補足する意味もありました)が、簡単に言えば、リールに磁石を仕込み、この磁石を検知するセンサーを取り付けることで、リールの現在位置を把握するという構造になっています。

ここで問題になるのは、この磁石を使ってリールの状況を知る方法が、マックスのオリジナルなのかどうかです。

これは出典が見つからず、今後の調査が必要な話ですが、現代のカジノで稼働するリールマシンの動作原理である「バーチャル・リール」、すなわち表出するシンボルをコンピューターで決定するという技術が初めてできたころはまだステッパーモーターがまだ存在せず、「ジェミニ」のように磁石とセンサーでリールの位置を読んでいたという話を、どこかで聞いたか読んだかした覚えがあります。それが事実であれば、早い時期から電子技術を導入することに意欲的だったサイが角野氏に与えたアドバイスの中には、ひょっとするとこのようなリールの制御方法も含まれていた可能性もあるかもしれません。

いずれにせよ、「ジェミニ」にはステッパーモーターは使われていないということが明らかで、インタビューの回答は初期のパチスロに関するいろいろな話が混じってしまっているのかもしれません。20年か、ひょっとするとそれ以上も昔の話ですので、いろいろと混乱することがあるのもやむを得ないとは思います。でも、記事にする際に多少なりとも話の裏を取る検証を行っていてくれれば、もっと良質の記事になっただろうにと思うと、多少残念な気持ちは残ります。

しかし、とは言うものの、パチスロに限らず、日本のコインマシンのメーカー自身がろくに過去の記録を残していない状況にあっては、大きなエポックの背景を伝えてくださっているこの記事はやはり大変に貴重なものです。ワタシとしては、このようなエピソードをより広く伝承する機会とするために、今後も頑張っていきたいと思います。

(このシリーズ終わり)