オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(2)

2016年03月16日 23時33分46秒 | 歴史
バーリー社の前身である「Lion Manufacturing」社が、世界大恐慌のさなかの1932年(スタインベックの「怒りの葡萄」の時代背景がちょうどこの頃ですね)に発売したピンボール機「BALLYHOO」は、7ヶ月で5万台以上を売り上げるという大ヒットを記録しました。これにより、また、人はいかなる境遇にあっても娯楽を求めるものだという、意外とも当然とも思える現実を認識させる例ということもあって、「BALLYHOO」は、ピンボール史を語る際には必ず触れられる機種となっています。その後の社名である「Bally」は、この機種名から採られたとされています。

ピンボール機BALLYHOO。2006年のラスベガスG2Eショウにて配布されていたギブアウェイより。

そのバーリーは、戦前からスロットマシンを製造していましたが、1964年、自社製品のみならず他社製品も含んで、従来のスロットマシンを完全に過去のものとしてしまう革命的な機種、「マネー・ハニー(Money Honey)」を発表します。

マネー・ハニー。2006年のラスベガスG2Eショウにおける展示。この年、バーリーは創立75周年の節目だった。

1899年にドイツ系移民のチャールズ・フェイによって発明された「リバティ・ベル」機は、3本のリールを備えたリールマシンとして世界で初めてゲーム結果の判定とコインの払い出しを自動的に行い、スロットマシン(より正確には「リールマシン」)の元祖とされています。リバティ・ベルは、バーなどに設置されて大成功をおさめ、後に同業他社によって、改良を加えた模倣品が数多く製造されるようになりました。

フェイのリバティベル。カーソンシティのネバダステートミュージアムにて。

リバティ・ベル機とその模倣品は、一切の動作に電気を必要とせず、投入されたコインの重さとハンドルを引くことで伸ばされたばねの力だけで作動していました。この芸術的ともいえるメカニズムの基本的な動作原理は、マネー・ハニーが出現するまで、約65年の長きにわたって伝承され続けていました。

バーリーは、従来のメカニカルなスロットマシンに、エレクトロニクス技術を導入して、ゲーム結果の判定を電気的に行うようにしました。しかし、電気で作動するスロットマシンは、実は戦後間もなくから既にいくらか存在しています。「マネー・ハニー」の真に革命的な点は、そのコイン払い出し機構に、「ホッパー」という、当時はもっぱら銀行で使用されていた電動式硬貨計数装置を採用したところにあります。

ホッパー以前の払い出し機構は、払い出すコインを一本のチューブに収納していましたが、構造上の制約から容量はあまり大きくなく、チューブ内のコインを払い出し尽くしてしまうことがたびたびありました。また、一度のゲームで払い出すことができるコイン数は最大で20枚程度が限界で、それを超える大当たりの払い出しには、専用のコインチェンバーを用意しておく必要があり、そしてその専用コインチェンバーは、一度払い出されたらまた人の手でコインを補充しなければならなかったので、大量のコインを払い出すようなフィーチャーを持たせることが容易ではありませんでした。

従来型スロットマシンの中身。右下の、やや斜めに見える真鍮製のチューブが払い出し用コインを収納している。

ホッパーは、バケットと呼ばれる部分に1000枚以上のコインを蓄えておくことができるので、オペレーターの手を殆ど煩わすことなく大量のコインをいつでも払い出すことができました。これはまた、事前に投入したコイン数に応じてペイアウトが増加するマルチプライヤータイプをはじめ、当たる確率が増加するマルチラインタイプ、更にはプログレッシブ、ホールド&ドロー、あるいはソロ・シンボル・ジャックポット他、従来のスロットマシンでは殆ど思いもよらなかった、より魅力的なフィーチャーを搭載する余地を新たに生み出すものでもあり、エレクトリック技術はそれらを実現する技術としておおいに役に立ちました。

バーリーの次世代スロットマシンの中身。筐体の下に見えているのがホッパー。


バーリーのホッパーユニット。

世に送り出されたバーリーの新世代スロットマシンは、そのモダンで洗練されたキャビネットデザインを伴って、瞬く間に世界のスロットマシン市場を席巻するようになります。日本でも、シグマ社が自社でスロットマシンの開発を始める1980年頃までは、メダルゲーム場に設置されるスロットマシンの殆どはバーリー製で、それ以外のメーカーのスロットマシンを見かけることは、「ゼロではない」と言う程度に珍しいほどの寡占状態でした。

ところで、冒頭に触れたスタインベックの「怒りの葡萄」にも、少しだけスロットマシンの描写があります。古くからある大久保康雄さんと言う方による翻訳では、当時はまだ日本ではスロットマシンに対する理解がほとんどなかったせいか、「三本の棒が落す五セント白銅貨の富」とか、「例の三本の棒がせりあがってきて」という意味不明な描写があり、原文を読んでみたいものだと思っていましたが、昨年新たに刊行された伏見威蕃さんの翻訳では、それぞれ「BAR印が三つそろうと山のように出てくる五セント玉ひと財産」、「BARが三つそろい」となっており、「ああ、やはり『棒』とはBARシンボルのことだったか」と合点がいきました。前者は、BARシンボルの三つ揃いで大量のコインを払い出すための専用チェンバーの描写、後者は実際のゲームでその大当たりが出たときの描写です。小説のこの前後は、ぶっきらぼうに見えるけれどもしみじみとした人情を感じさせる、良いシーンとなっています。