大徳不踰閑、小徳出入可也(子張第十九の11)
大徳は閑(シキリ)を踰(コ)えず、小徳は出入可なり
人間として立派な人は羽目を外すことはないが、人間として欠けたところのある人は羽目をはずすことがあってもいい。
これも、子夏の言。
「小徳」の定義を知らぬのだが、これを若者と解釈すれば、異論はありません。
若者がたまに浮かれて羽目をはずすことがあっても、それを暖かく見守る社会であってほしい。
しかし、いっぱしの年齢に達し、社会的責任を担う年齢になった人間の、その人がたとえ小徳であったとしても、羽目を外すような行為を社会が認めることはないでしょう。
そういう観点から、この子夏の言は説明不足ではないかと思います。つまり、100%納得、というわけにはいきません。
大徳は閑(シキリ)を踰(コ)えず、小徳は出入可なり
人間として立派な人は羽目を外すことはないが、人間として欠けたところのある人は羽目をはずすことがあってもいい。
これも、子夏の言。
「小徳」の定義を知らぬのだが、これを若者と解釈すれば、異論はありません。
若者がたまに浮かれて羽目をはずすことがあっても、それを暖かく見守る社会であってほしい。
しかし、いっぱしの年齢に達し、社会的責任を担う年齢になった人間の、その人がたとえ小徳であったとしても、羽目を外すような行為を社会が認めることはないでしょう。
そういう観点から、この子夏の言は説明不足ではないかと思います。つまり、100%納得、というわけにはいきません。