斗筲之人、何足算也(子路第十三の20)
斗筲(トショウ)の人、何ぞ算(カゾ)うるに足らん
斗筲=一升マスと二升マス
斗筲之人=度量の小さい人
弟子の子貢が、「今の政治に従っている人々はどうでしょうか?」(今之従政者何如)、と聞いたときの孔子の答え。
つまらない人たちばかりで、とりあげるまでもない。
いつの時代も、お金を、持っているか動かせる、人や組織(最終的には政界)に人は群がる。そして、群がられた人や組織は、いとも簡単に勘違いして、オゴリタカブリ、こける。歴史はこの繰り返しだ。
孔子のように、超然としてはいたいのはやまやまだが、現実に生活していくうえで、それを守ることはなかなか難しい。
この節の、そもそもは、子貢が、「リーダーたりえる人のランク」(何如斯可謂之士矣)を孔子に聞いたことからはじまる。
1番:自分の行動に恥を知っていて、使者として恥ずかしくない行動がとれる人
2番:親孝行で組織内での年長者を大切にする人
3番:行動にまちがいがなく、信頼がおける人
この3番のことを、硜硜然小人也(コウコウゼンたる小人なり=コチコチのつまらない人)、とまで言っているから、孔子は、どんなに、行いが立派であっても、恥知らずや親不孝者は論外だ、と言っている、と解釈したい。
今日の教訓
儒教では、「恥知らず」と言われることを最も嫌う、らしい。
斗筲(トショウ)の人、何ぞ算(カゾ)うるに足らん
斗筲=一升マスと二升マス
斗筲之人=度量の小さい人
弟子の子貢が、「今の政治に従っている人々はどうでしょうか?」(今之従政者何如)、と聞いたときの孔子の答え。
つまらない人たちばかりで、とりあげるまでもない。
いつの時代も、お金を、持っているか動かせる、人や組織(最終的には政界)に人は群がる。そして、群がられた人や組織は、いとも簡単に勘違いして、オゴリタカブリ、こける。歴史はこの繰り返しだ。
孔子のように、超然としてはいたいのはやまやまだが、現実に生活していくうえで、それを守ることはなかなか難しい。
この節の、そもそもは、子貢が、「リーダーたりえる人のランク」(何如斯可謂之士矣)を孔子に聞いたことからはじまる。
1番:自分の行動に恥を知っていて、使者として恥ずかしくない行動がとれる人
2番:親孝行で組織内での年長者を大切にする人
3番:行動にまちがいがなく、信頼がおける人
この3番のことを、硜硜然小人也(コウコウゼンたる小人なり=コチコチのつまらない人)、とまで言っているから、孔子は、どんなに、行いが立派であっても、恥知らずや親不孝者は論外だ、と言っている、と解釈したい。
今日の教訓
儒教では、「恥知らず」と言われることを最も嫌う、らしい。