水車ボランティア(+山家鳥虫歌)

ボランティア解説員としての見聞から始めた、ボケ防止メモ。12年目。新たに「山家鳥虫歌(近世諸国民謡集)」を加える。
 

論語(316)

2013-06-03 10:39:18 | 論語
如有王者、必世而後仁(子路第十三の12)

もし王者有るとして、必ず世にして後、仁。

聖人のような立派な方(つまり王者)が国を支配しているとしましょう。その人による仁政がしかれるまでには、どんなに短くても30年かかります。


この節は、というか「この節も」なのだが、孔子の言は示した8文字のみで、彼が何を言いたいのか、さっぱりわからない。

「子路第十三の10」で孔子は、「自分が政治をまかされたら、三年でやり遂げてしまう」と、確か、言った。

それなのに、ここでは、(一般にいう)王者が仁政をしけるのは、位を得てから30年かかる、と言っている。


言外に、「三年でやりきることのできる、私(孔子)(=とんでもない聖人)にまかせてもらえなものか」と願望しているのでしょうか?
それとも、「どんな人が出てきても、この世仁政がしかれることはありえない」といいたいのでしょうか?


最近、論語の解釈の幅は大変広い、と感じるようになりました。(「ニブサ」かげんにもほどがある、と我ながらあきれています。)
論語の各節は、どうも、「どのようにでも解釈できる」のですが、孔子はむしろ「どのように解釈してもいい」と考えていたのではないでしょうか?

だから、論語を本当に勉強しようと思ったら、朱子、王陽明、あるいは、伊藤仁斎、荻生徂徠などの注釈書を熟読せねばならないのかもしれません。

いいかげんの直感で読んでいる今、自らの読み方がいけなかったと、恥じねばなりません。