挙直錯諸枉、能使枉者直(顔淵第十二の22)
直(ナオ)きを挙げ、諸(モロモロ)の枉(マガ)りに錯(オ)けば、能(ヨ)く枉れる者を直しめん
不良集団のリーダーとして、まっとうな人間を配置すれば、その集団は、まず、よくなる。
儒教が性善説に立脚していることを、如実に示す言葉、と思う。
我々凡人は、「朱に交われば赤くなる」から、どちらかというと、不良集団を敬遠しがちだ。
しかし儒教では、どのような不良集団でも感化・善導できるように、人間性を高めることを要求している。
それが、教えの根本精神、「愛人、知人」(人を愛し、人を知る)、に繋がるのかもしれぬ。
直(ナオ)きを挙げ、諸(モロモロ)の枉(マガ)りに錯(オ)けば、能(ヨ)く枉れる者を直しめん
不良集団のリーダーとして、まっとうな人間を配置すれば、その集団は、まず、よくなる。
儒教が性善説に立脚していることを、如実に示す言葉、と思う。
我々凡人は、「朱に交われば赤くなる」から、どちらかというと、不良集団を敬遠しがちだ。
しかし儒教では、どのような不良集団でも感化・善導できるように、人間性を高めることを要求している。
それが、教えの根本精神、「愛人、知人」(人を愛し、人を知る)、に繋がるのかもしれぬ。