旅限無(りょげむ)

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減った数字

2005-09-01 00:39:41 | 日記・雑学
■農林水産省が「内々定」を出した来年度の入省予定者に東大法学部出身者が一人も含まれていない事が明らかになったそうです。

農水省の歴代事務次官は東大法学部出身者が大半。国家公務員1種試験に合格した「キャリア組」も、同省が毎年15人前後採用する中で東大法出身が10人以上を占めた年もあった。だが、最近は数人程度に減っていた。


という朝日新聞の記事が8月5日に掲載されました。「出身大学にこだわらず人物本位で採用した」と農水省は強がりを言っているそうですが、或る幹部の言葉として、「採用したかった学生の多くが、法科大学院への進学や外資系企業などへの就職を選んだ」という実態も紹介されています。

■農林省のエリート官僚から政界に入った議員が、先日自殺したばかりですが、郵政公社の次に狙われるのは「農協組織」ではないのか?という噂も流れている昨今、東大目指して必死で勉強した後で、農水省に入りたがる奇特な学生は居ないのでしょうなあ。日本中の山を荒れ放題にしておかねばならない程に農水省の予算も権限も縮小されているのですから、やりがいの有る仕事などは無くなっているのかも知れません。東大出身のテレビ・タレントだの、中退して大金持ちになったホリエモン君などが大きく取り扱われる世の中で、官僚を目指して地道に勉強する若者はどんどん減っているのは分かります。

■防衛大学卒業生の任官拒否問題は、「自衛隊反対」を新聞が公言していられた時代には、褒めるような扱い方もされましたが、やっと「ふざけるな!」という真っ当な意見が大勢を占めるようになっているようです。しかし、文官の中には東大卒の上に欧米大学での学位を上乗せしてから、あっさりと退職して外資系や国内の有力企業に転職するツワモノが続出中だという情報も有ります。「天下り」と「官製談合」が禁止されてしまえば、一つしかない事務次官ポストを生涯の目標として競争する馬鹿馬鹿しさに、早々と見切りを付けるのも当然なのでしょうなあ。賢いエリートは、国費で留学してキャリアを上げて退職する時代になっているようです。官僚ばかりが悪者にされるのは間違いで、官僚を使いこなせない無能な政治家を議会に送り込んだ選挙民の責任の方が重大なのですが、選挙民はマスコミのお客様なので、露骨にそんな事は書けませんなあ。

■有能な官僚が減少するのを心配していたら、8月7日の新聞には、「報償費、5年で6割減」という記事が掲載されましたぞ!


全国の都道府県警察が支出した捜査用報償費が激減し、総額で04年度には約15億円余と00年度の約36億円余の半額以下になったことが分かった。

というのですが、これは喜ばしいニュースなのでしょうか?03年11月に北海道警の不正経理が発覚して報償費をごまかして溜め込んだ裏金が11億円も有った!と大騒ぎになりましたが、マスコミの騒ぎ方が間違ったのではないか?と今更ながら心配になってしまいました。報償費の減り方の激しいトップ6は、


岐阜県 9280万円から395万円への96%減
徳島県 7328万円から482万円への93%減
大分県 3980万円から612万円への85%減
群馬県 5548万円から898万円への84%減
青森県 9522万円から1680万円への82%減
高知県 3424万円から621万円への82%減

という具合なのですが、比率ではなく減少額で見ると、


警視庁 8億1268万円から5億5237万円への2億6031万円減
大阪府 3億0466万円から8843万円への2億1623万円減


が目を引きますなあ。千葉県・神奈川県・愛知県は1億円以上の減額です。

報償費は少なくともそれ以前の01年度から大幅に減っているが、00年7月には神奈川、新潟、埼玉県警などの不祥事を受けた警察刷新会議が緊急提言を出し、全国の警察は信頼回復に向けて監察の強化や情報公開などを打ち出した。……04年3月には、報償費の支払い対象となった捜査協力者が匿名を望んだ場合などに認められてきた偽名領収書を、04年度からは認めない方針を警察庁が示した。
警察庁は報償費の全国的な減額について、不正経理が全国的に広がっていたことを示すものではないと否定している。


と記事は救いようも無い事を書いて終わっています。

■佐藤さんという元警官が実名告発者となったのは、北海道で敏腕刑事として有名だった元部下が麻薬や拳銃の売人までしていた大事件に心を痛めた結果でした。捜査費用が上役の裏金に消えてしまって、現場の捜査官は自腹を切って捜査をしなければならなくなっているから、ミイラ取りがミイラになってしまう危険が常に有る!という真っ当な意見が出されたのです。マスコミが騒ぎ出した時に、「裏金なんかありません」と平然と北海道警察のお偉方は答えていたものです。その裏で、裏金ではなく報償費自体を削ってしまったのですから、現場はどうなっているのか、素人でも想像は付きますなあ。


減額の理由を各警察に聞いたところ、捜査の現場が多忙になって報償費が必要な内偵捜査などが手薄になっていることや、警察不祥事の続発、不正経理問題で協力者が減ったり、捜査員が報償費の執行に及び腰になったりしているためだと説明している。……

つまり、まともな捜査は不可能だという事でしょう?

■その昔、100万都市となっていた江戸時代、江戸の治安はどうやって守られていたのかをすっかり忘れてしまったようですなあ。月ごとに交代する南と北の町奉行の下に、25人の与力と60人の同心という警察官僚が居ただけでした。そして、実際の情報収集と探索は誰がやっていたのか?というと、「目明し」「岡っ引き」「御用聞き」などと呼ばれた前科持ちの犯罪者集団です。銭形ヘイジさんや全国民が大好きな水戸黄門の旅先で活躍する風車のヤシチさんなどは、警察官ではありません。渋いところでは、『鬼平犯科帳』でも長谷川平蔵さんが手足のように使うのも同じような前科者達です。「蛇の道は蛇」というのは何時の世の中も同じで、石原裕次郎さんが元気だった頃の『太陽に吠えろ!』の山さんが、新宿中央公園で浮浪者のような風体のオジさんに、千円札を差し込んだハイライトを上げるシーンは有名ですなあ。

■しかし、町の「親分」を利用し過ぎると、捜査に依怙贔屓(えこひいき)が混ざってしまうので、八代将軍の吉宗さんは、「目明し」を使うのを禁止して「目安箱」という密告制度を作ったりしますが、結局は町の親分さん達の協力が無いと犯罪捜査は上手く行かなかったようで、制度は元に戻されました。前科者を使う治安警察を、江戸っ子達は「不浄役人」と呼んだのは理由の有ることでした。今でも、暴力団の抗争事件を未然に防いだり、犯人を逮捕したりする時には内部情報が欠かせないようですから、刑事さんとヤクザさんは持ちつ持たれつの関係を作りがちで、やり過ぎると「同業者」になってしまうとうわけですなあ。

■密告者の本名を出さないと報償金が出ないとなると、熱心な捜査官はどこかからお金を工面しなければならなくなりますが、そんな人が何人いるでしょう?ですから、ほとんどの捜査は「散歩」と同じ効果しか望めなくなるでしょうなあ。未解決事件がどんどん増えて、治安はますます増加してしまいます。検挙率がぐんと上昇して、それに伴って報償金予算も増える、それが普通の流れでしょうが、先に報償金を削減してしまったら、現場の士気は下がる一方でしょうから、有能な刑事さんはどんどん減って、立っているだけ・歩いているだけ・書類を書くだけの警官ばかりが増えそうですなあ。恐ろしいことです。

世の中には、減らさなければならない数字と、絶対に減らしてはいけない数字が有るという、極当たり前の御話でした。

これは良い知らせなのか?

2005-09-01 00:35:58 | 日記・雑学
■読売新聞の8月25日の一面記事によりますと、海上保安庁は2006年度予算の概算要求に、東京都小笠原村の沖ノ鳥島に灯台建設費用として3000万円を計上するのだそうです。

島周辺の海域では1年間に、商船だけで440隻、漁船を合わせると約1200隻が通過し、最近10年間で座礁事故も4件発生している。


と暢気な書きっぷりなのですが、こんな事で良いのでしょうか?いつぞや、テレビで浜田幸一さんが、1988年に着工された「露岩保全対策工事」は自分達が予算を付けてやらせたんだ!と吠えておりましたが、この段階でも遅過ぎたとしか思えませんなあ。東京から1740キロメートルという絶海の孤島が日本に広大な経済水域を提供してくれるのは、1973年に開催された第3次海洋法会議で提案されて1982年に採択された『国際海洋法条約』で決っていたのです。沖ノ鳥島の歴史を辿ってみると、やはり戦争に負けてから日本は物を考えなくなったとしか思えなくなりますなあ。


1931年(昭和6)7月、南洋群島委任統治により内務省告知で「沖ノ鳥島」と命名され小笠原支庁に編入されて日本領となる。
1933年(昭和8)4月、海軍水路部の測量艦「膠州」が総合調査を行なって軍極秘海図作成。6月、日本海軍の軍用船「神祥丸」が気象観測所と灯台建設のために詳細な現地調査。
1939年(昭和14)5月、施設建設工事3箇年計画着工。
1941年(昭和16)6月、7回に及ぶ基台工事。12月、対米開戦により基台のみ完成して工事中断。
1946年(昭和21)1月、小笠原諸島がGHQ/SCAPの直接統治下に。
1968年(昭和43)小笠原諸島返還!海上保安庁水路部の測量船「明洋」が調査。
1976年(昭和51)「明洋」による再調査。
1978年(昭和53)6月、東京都水産試験所の調査船「みやこ」調査。
1982年(昭和57)6月、海上保安庁水路部大型測量船「拓洋」調査。
1987年(昭和62)9月、海上保安庁水路部の調査により、東露岩東側の岩礁消滅を確認!10月、東京都は海岸保全地区に指定。
1988年(昭和63)露岩保全対策工事開始。
1989年(平成1)285億円で護岸工事完了。
1990年(平成2)観測所基盤災害復旧工事開始。
1999年(平成11)6月、露岩保護の8億円純チタン製ネット設置完了。6月24日、政令により国の直轄管理となる。


■戦前の日本は海軍が元気でしたから、作業がてきぱきと進んでいますが、戦後、「軍隊は要らない!」などと奇妙なことを言い出した日本は、同時に「領土も要らない」ような暢気な動き方をしていますなあ。お隣の中国は「予約済み」の台湾にセットとなる八重山列島も織り込み済みで、勿論、尖閣列島はとうの昔に「俺の物」になっているので、尖閣・八重山・沖ノ鳥島への直線ゾーンを海洋の回廊としてマリアナ諸島に強烈な圧力を掛けるつもりでしょう。マリアナ諸島の最南端に有るのが、世界戦略基地のグアムですからなあ。本当は、米国だって沖ノ鳥島が同盟国の日本が持っているのか、「ただの島だ!」などと失礼な言い掛かりを付けながら、露骨にポンコツ潜水艦で押し出してくる中国が取るのかで、グアムの防衛策も大きく変わらなければ行けませんから、日本が暢気な事をやっていると怒り出すのではないでしょうか?

■水没や消滅の危険は無くなったのですから、岩などと言わせないように設備をどんどん作って宇宙ステーションのようなカプセル型居住空間を作って人が住んでしまうくらいのガッツと技術力と国家意志を示さないといけないでしょう?沖縄博で造って見せたアクアポリスを復活させて海上・海底都市を建造したり出来ないのか?商業用の可潜艦艇を建造したり、観光用の大型飛行艇を造ったりしてもっと離れ島を楽しめるようにして立派な海洋国家を作りたいものですなあ。別に戦争をやるわけではないので、昔の海軍が持っていた技術をちょっと応用するだけで相当立派な物が出来るはずなのですがね。

日本の反核運動 其の参

2005-09-01 00:32:46 | 外交・世界情勢全般
其の弐の続き

■1955年5月5日に、「原爆おとめ」25人が治療の為に米国へ出発しましたが、米国にも少しは罪悪感が生まれたかと思えば、その翌日、米国はネバダ沙漠で国内最大規模の原爆実験を実施して、ぜんぜん広島・長崎を反省などしていないその姿勢を明らかにしてくれます。それは、今でも変わっていません。「真珠湾攻撃のお返し」なのだと教育されている米国の愛国者は、核兵器もちょっと「大きな爆弾」だと信じ込んで21世紀を迎えたのです。少なくとも、核兵器は燃料を満載したジャンボ・ジェット機よりは大きな破壊力を持っているのですが、他人の痛みを想像する力を人類はまだ持っておりません。「原爆おとめ」たちも、有効な治療法など有るはずも無いので、元気に帰国することなど有りませんでした。

■同年7月9日、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発表され、湯川秀樹博士やジュリオ・キュリー氏等の著名な科学者達9人が署名しました。


「凡そ将来の世界戦争において必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしている事実から観て、私達は世界の諸政府に彼らの目的が世界戦争によっては促進されない事を自覚し、この事を公然と認めるよう勧告する。」


という文面は、全面核戦争によって世界の半数が死滅して世界中で社会主義革命が成就すると公言していた毛沢東にとっては、無意味である以上に敗北主義にしか映らなかったでしょうし、米ソの政府要人や軍人達には戯言(たわごと)でしかなかったでしょう。アインシュタインは、


「第三次世界大戦で使用される兵器は不明だが、第四次世界大戦の武器は分かる。それは、石であろう。」


という名言を残していますが、毛沢東が理想とした、長征を克服し、プロレタリア精神?に燃える革命戦士は、アインシュタインが皮肉った第四次世界大戦に相応しい姿をしていました。ズック靴と布の帽子を被っていた結成当初の人民解放軍は石で充分戦えそうでしたが、間も無く貧弱な通常兵器に核兵器を付け加えることになります。

■この年の「原爆投下10周年、平和記念式典」は参加者5万人を集めて挙行され、「第1回原水爆禁止世界大会」も開催されました。この世界大会には、共産圏代表も参加していましたが、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の代表3名は入国を拒否されました。北が仕掛けた朝鮮戦争の真相はまだ多くの日本人が知らなかった時代の事ですが、東西冷戦の代理戦争だった朝鮮戦争は、日本が西側陣営の一員だという自覚を用意したのでした。9月19日、「原水爆禁止日本協議会」(原水協)が誕生して、後に大変有名になる安井郁法政大学教授が事務総長に就任しました。安井教授は、スターリン批判や文化大革命の後でも社会主義革命を信奉して、1978年に北朝鮮の金日成を崇(あが)める「主体思想国際研究所」を創立した人物です。原水協は誕生の時から歪んだ歴史観と思想性を持っていたのです。

■10月3日、中国からの原爆被害者慰問金贈呈式で、治療費250万円と福利施設建設基金40万円が贈られました。自国が核武装する9年前の事になります。戦争中に捕虜収容所で洗脳した多くの帰国者を利用して、平和攻勢を盛んに掛けていた中国共産党の安上がりの宣伝工作なのですが、日本ではとても評判が良かったようです。12月6日には、日本社会党が米英ソ3国政府に対して「原水爆禁止」を要望して、日本原水協が米ソ両首脳に水爆実験に対する公開質問状を出しています。核兵器使用の危険が有ったのに朝鮮戦争を仕掛けた北朝鮮も、密かにソ連の援助で原爆製造に励んでいた中国も、当時の日本の反核運動の眼中には無かったのです。それでも、すべての核兵器に対して反核運動は機能していました。

■1956年1月1日に、核の平和利用を目的として「原子力委員会」が正力松太郎委員長、非常勤委員に湯川秀樹が参加して発足して、日本は原子力発電事業に着手しました。元戦犯で、読売新聞・読売巨人軍・日本テレビ等々の支配者となった正力松太郎さんについて知らない人が随分と増えましたが、この時代には日本の核武装を考えていた人々が確かに日本にも居たことも忘れては行けません。水力発電と石油・石炭による火力発電で充分な余力を持っていた日本の電力事情を考えれば、この朝鮮戦争直後の「原子力委員会」発足は注意が必要な動きです。核兵器に反対しながらも、原子力の平和利用には積極的だった湯川博士の態度にも注意が必要です。

■4月18日に、ソ連が「マーシャル群島における米国の原水爆実験計画は国連憲章違反である。」と抗議すると、5月2日にアイゼンハワー米大統領から原水協に対して「計画された原水爆実験は、自身の防衛と自由世界確立の為に絶対に必要」とする返書が届きました。5月21日に、米国は再びビキニ環礁で最初の水爆空中投下実験を実施して見せます。広島・長崎の次に標的となる都市には、原爆の数十倍から数百倍の威力を持つ水爆が投下される事が決定的となりましたが、無邪気で開放的で恥知らずな米国人は、南洋諸島の住民の姿を参考にした女性用水着を考案します。乳首と陰毛だけを隠しただけの全裸同然の姿の衝撃を表現するのに、水爆実験場の名前「ビキニ」を採用してしまいました。まともな反核運動が組織できない日本人も、何のこだわりも無く「ビキニ」はファッション関係の外来語として取り入れられて定着してしまいました。被爆国の若い娘さんが「ビキニ!ビキニ!」とヘソを出して楽しそうに話しているのもどうかと思いますが、もしも、あの水着が「ヒロシマ」だったら同じように流行したのでしょうか?

其の四につづく