■日本テレビの『女王の教室』というドラマが終了しました。TBSでは『ドラゴン桜』という学園ドラマが前日に終了しました。バブル期以降、熱心にドラマなど見なくなって久しいのですが、スポンサーが降りただの、賛否両論で世間が騒いでいるのと、新聞の文化面や社会面にも記事が載る騒ぎなので、何回かは見てみました。『ドラゴン桜』の方は、もともとコミック漫画の原作をテレビで実写化した作品とのことで、主演の阿部寛さんに全面的にオンブに抱っこの印象が強く、コミックだから言える台詞にテレビが完全に頼り切っているような違和感も強かった印象です。野際洋子さんが熱演した校長先生は、オリジナル脚本ならば不可能なノイズでしかないような気もします。
■テレビの学園ドラマと聞くと、『金八先生』シリーズの嫌な印象が強いので、何を今更、と思ってしまうのですが、今回の二本は、理想に燃えて作家が現場を無視して理想の夢を見るだけの学園ドラマではなかったようです。少なくとも、商売としての私立高校という「現場」と、子供を育てる家庭が崩壊している日本の学校の「現場」を強く意識していたようなので、数回は始めから最後まで鑑賞することが出来ました。ちょっと前に、『積み木崩し』の裏話をドラマ化した番組が放送されましたなあ。舘ひろしさんのミス・キャストが響いて支離滅裂な作品になっていたようで、半分弱見ているのも辛い番組でした。しかし、週刊誌があれこれと穂積さん一家の崩壊をレポートしていた頃を思い出しながら、情報の再確認には役立ったのは確かです。『積み木崩し』という本とドラマの危険性を誰も気付かずに、出版社とテレビ局、確か映画まで作ったのではないでしょうか?貴重な脇役を演じていた穂積さんが、「教育評論家」になってしまったのを本人の責任にするのは残酷すぎる。そんな単純な事を、これだけの時間が過ぎた後でテレビでドラマ化するというのはどうなのでしょう?
■売れれば良い、視聴率さえ取れれば良い。それを反省するのも出版社やテレビ局の責務だと思うのですが、現実はそんなに甘くないのでしょうなあ。まるで他人事のように、穂積さんがテレビで罪を重ねていた頃の風景を再現して見せるテレビ局というのは、本当に恐ろしいところだと良く分かりました。話題を集めていた『金八先生』にも、学校の現場を混乱させた罪が有るはずなのですが、フィクションの強みで、小さな事件が日本中の学校で起こっても、それが『金八先生』の悪影響だとは誰にも指摘できないまま、時は過ぎ去ったようです。日教組のバイブルとなるべく書かれた『金八先生』は時が経て見直すほどに異様な作品です。何度も続編やスペシャル物も作られたようですが、正直なところ、数本の作品をじっくり見たのが日本ではなく、隣の社会主義国だった事も影響しているのかも知れませんが、金八先生に教えを受けた生徒達は、どんな大人になるのだろう?と考えると頭が混乱してしまったのを覚えています。
■中学生の妊娠問題を扱った時に、幼い母親を演じた女優さんが、大変な騒ぎを起こして人生を傷だらけにして商売にしているのは、単なる偶然なのでしょうが、それほど違和感は無いのが不思議ですなあ。実に信頼の置けない「視聴率」ですが、一応参考にすると、初回の放送で、『ドラゴン桜』は17・5%で、『女王の教室』は14・4%と記録されています。今時、「女王」などと聞いたら、「是非見よう!」と言うのはちょっとした勇気が必要だからかも知れませんが…これが第2話から逆転を繰り返しながら推移したようです。どちらも、最後のハッピーエンドを保障しない作りになっているので、再放送やらソフト化で人気が出る可能性が有ります。
■どちらの作品も、学園物(一般化して語るほど観てはいませんが)の約束事を全部捨てる事から筋が作られているので、これまでの甘ったるい学園物を制作した全ての人々を弾劾する意味を持っていると考えて良いでしょう。最後に『仰げば尊し』を小学生が発掘して合唱するという筋は、この歌を抹殺しようとした人達に説明か改心を要求しているのでしょうし、「聖職ではなく労働者だ」と言い出した人達には全話を通して疑問を投げ付けてもいるでしょう。例の『金八先生』がろくに授業もやらないで、子供にはどうしようもない「世界平和」やヒューマニズム憲法を語って聴かせる場面が評判だったそうですが、それは学徒動員や小国民教育と同じ、否、それ以上に苛烈な共産主義国家の革命家養成教育と同根の大間違いなのだと、今になって分かっても、随分と犠牲者が沢山おりまして、その犠牲者がマスコミの中で重鎮になっていたりするので、まだまだ清算は先のこととなるでしょうなあ。
■近々、どこかの月刊誌でこの二本の学園ドラマを特集してくれるでしょうが、是非とも『論座』に期待しますなあ。今まで、二冊しか買ったことが無いのですが、しぶとく自己弁護をする人達を結集してくれたら、是非とも購入したいと思っています。有能な塾教師達は、手を変え品を変えしながら、生徒に勉強の意義を語る使命を持っているので、なかなか哲学的な出し物を持っている人が多いものです。逆に、「公務員」に安住していて、聴かせる話などぜんぜん持たない学校教師が多いのも事実です。「ゆとり」教育の本当の目的は何だったのか、そして、単なる教員の労働条件改善の必要が出て来て乱暴に週休二日制度を導入した帳尻合わせで、後から取って付けた様な理屈を工夫しただけなのか、その辺の事情を検証しないと、このドラマが突きつけた問題は解けません。どちらのドラマの主人公も、自分の生活を持っていないのが印象的でした。ですから、『金八先生』ブームの轍を踏んで、作り物を理想化して本当の学校に虚像を追い求めるようなバカなことが起こらない事だけを願っております。
■この二本のドラマを実際の教員の皆さんが熱中して観ている姿は想像したくないものですなあ。それにしても、『女王の教室』の主人公は勉強してましたぞ!
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■テレビの学園ドラマと聞くと、『金八先生』シリーズの嫌な印象が強いので、何を今更、と思ってしまうのですが、今回の二本は、理想に燃えて作家が現場を無視して理想の夢を見るだけの学園ドラマではなかったようです。少なくとも、商売としての私立高校という「現場」と、子供を育てる家庭が崩壊している日本の学校の「現場」を強く意識していたようなので、数回は始めから最後まで鑑賞することが出来ました。ちょっと前に、『積み木崩し』の裏話をドラマ化した番組が放送されましたなあ。舘ひろしさんのミス・キャストが響いて支離滅裂な作品になっていたようで、半分弱見ているのも辛い番組でした。しかし、週刊誌があれこれと穂積さん一家の崩壊をレポートしていた頃を思い出しながら、情報の再確認には役立ったのは確かです。『積み木崩し』という本とドラマの危険性を誰も気付かずに、出版社とテレビ局、確か映画まで作ったのではないでしょうか?貴重な脇役を演じていた穂積さんが、「教育評論家」になってしまったのを本人の責任にするのは残酷すぎる。そんな単純な事を、これだけの時間が過ぎた後でテレビでドラマ化するというのはどうなのでしょう?
■売れれば良い、視聴率さえ取れれば良い。それを反省するのも出版社やテレビ局の責務だと思うのですが、現実はそんなに甘くないのでしょうなあ。まるで他人事のように、穂積さんがテレビで罪を重ねていた頃の風景を再現して見せるテレビ局というのは、本当に恐ろしいところだと良く分かりました。話題を集めていた『金八先生』にも、学校の現場を混乱させた罪が有るはずなのですが、フィクションの強みで、小さな事件が日本中の学校で起こっても、それが『金八先生』の悪影響だとは誰にも指摘できないまま、時は過ぎ去ったようです。日教組のバイブルとなるべく書かれた『金八先生』は時が経て見直すほどに異様な作品です。何度も続編やスペシャル物も作られたようですが、正直なところ、数本の作品をじっくり見たのが日本ではなく、隣の社会主義国だった事も影響しているのかも知れませんが、金八先生に教えを受けた生徒達は、どんな大人になるのだろう?と考えると頭が混乱してしまったのを覚えています。
■中学生の妊娠問題を扱った時に、幼い母親を演じた女優さんが、大変な騒ぎを起こして人生を傷だらけにして商売にしているのは、単なる偶然なのでしょうが、それほど違和感は無いのが不思議ですなあ。実に信頼の置けない「視聴率」ですが、一応参考にすると、初回の放送で、『ドラゴン桜』は17・5%で、『女王の教室』は14・4%と記録されています。今時、「女王」などと聞いたら、「是非見よう!」と言うのはちょっとした勇気が必要だからかも知れませんが…これが第2話から逆転を繰り返しながら推移したようです。どちらも、最後のハッピーエンドを保障しない作りになっているので、再放送やらソフト化で人気が出る可能性が有ります。
■どちらの作品も、学園物(一般化して語るほど観てはいませんが)の約束事を全部捨てる事から筋が作られているので、これまでの甘ったるい学園物を制作した全ての人々を弾劾する意味を持っていると考えて良いでしょう。最後に『仰げば尊し』を小学生が発掘して合唱するという筋は、この歌を抹殺しようとした人達に説明か改心を要求しているのでしょうし、「聖職ではなく労働者だ」と言い出した人達には全話を通して疑問を投げ付けてもいるでしょう。例の『金八先生』がろくに授業もやらないで、子供にはどうしようもない「世界平和」やヒューマニズム憲法を語って聴かせる場面が評判だったそうですが、それは学徒動員や小国民教育と同じ、否、それ以上に苛烈な共産主義国家の革命家養成教育と同根の大間違いなのだと、今になって分かっても、随分と犠牲者が沢山おりまして、その犠牲者がマスコミの中で重鎮になっていたりするので、まだまだ清算は先のこととなるでしょうなあ。
■近々、どこかの月刊誌でこの二本の学園ドラマを特集してくれるでしょうが、是非とも『論座』に期待しますなあ。今まで、二冊しか買ったことが無いのですが、しぶとく自己弁護をする人達を結集してくれたら、是非とも購入したいと思っています。有能な塾教師達は、手を変え品を変えしながら、生徒に勉強の意義を語る使命を持っているので、なかなか哲学的な出し物を持っている人が多いものです。逆に、「公務員」に安住していて、聴かせる話などぜんぜん持たない学校教師が多いのも事実です。「ゆとり」教育の本当の目的は何だったのか、そして、単なる教員の労働条件改善の必要が出て来て乱暴に週休二日制度を導入した帳尻合わせで、後から取って付けた様な理屈を工夫しただけなのか、その辺の事情を検証しないと、このドラマが突きつけた問題は解けません。どちらのドラマの主人公も、自分の生活を持っていないのが印象的でした。ですから、『金八先生』ブームの轍を踏んで、作り物を理想化して本当の学校に虚像を追い求めるようなバカなことが起こらない事だけを願っております。
■この二本のドラマを実際の教員の皆さんが熱中して観ている姿は想像したくないものですなあ。それにしても、『女王の教室』の主人公は勉強してましたぞ!
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