旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

少子化を止められるか?

2005-09-25 22:09:47 | 社会問題・事件
■少子高齢化が予想以上の速さで進んでいるのが問題だと誰もが心配している昨今、社会制度の不備や家族像の変化など、いろいろな人が原因と解決法を考えています。結婚の意味が、家社会が崩壊して個人の問題となって来ると、離婚が増加しますし、女性の社会進出が増えると晩婚化と保育施設の不足が問題となります。女性解放運動の先進国とされる米国では、昔からベビー・シッターの制度が有って、学生のアルバイトとして定着していますが、日本の子育ては「嫁取り」時代の終焉(しゅうえん)に合うようにはなっていないようです。

■訴訟社会の米国では、ベビー・シッターがお守りを頼まれた子供を虐待している疑いが有ると隠しカメラで裁判用の証拠ビデオを撮影するので、時々、それがマスコミに流出して日本のニュース番組でも放送しています。以前、日本でも鬼のような園長さんが経営していた保育園が摘発された事が有りましたが、それは非常に珍しいケースだと皆が信じていたのではないでしょうか?

■他人の子供は、自分の子供ほどは可愛くない!という感情が種の保存に役立つと言われます。最近評判の皇帝ペンギンも、餌取りから戻った親ペンギンは、自分の子にしか餌を与えず、事故に遭って戻れなかった親に会えない雛(ひな)は餓死するのが自然の掟(おきて)だそうです。人間だけは、養子縁組や宗教的な行動として、血縁関係の無い子供を育てる方法を持っていますが、商業行為としての保育が一般的ですなあ。商売は信用第一ですから、預かった子供を虐待するはずは無い、と誰でも信じているわけですが、これを疑わなければならなくなると、ますます少子化は進むでしょうなあ。


乳児虐待:「腹が立ち揺さぶった」 保育ママが供述
 東京都世田谷区認定の「保育ママ」が乳児を虐待した事件で、傷害容疑で逮捕された岡文代容疑者(42)が、2度にわたって虐待を繰り返していたことが、警視庁捜査1課と成城署の調べで分かった。岡容疑者は「泣きやまないので腹が立ち、数十回揺さぶった。乳児を揺さぶることは危険だと知っていた」と供述し、容疑を認めている。 調べでは、岡容疑者は7月12日朝のほか、6月30日午前10~11時にも、同区のマンション自室で預かっていた女児(生後5カ月)をベビーカーに乗せて強く揺さぶり、硬膜下血腫と眼底出血など「揺さぶられっ子症候群」で、3カ月以上の重傷を負わせた疑い。女児の両親が7月13日、同署に相談していた。
岡容疑者は02年10月から保育ママ事業を始め、事件当時は6月1日から預かっていた女児だけだった。これまでに12人を保育したが、別の乳幼児が左目を内出血したケースもあり、同課は同様の虐待があった可能性もあるとみて慎重に調べる。毎日新聞 2005年9月24日

■この容疑者が、出産と育児の経験をしていたのかどうかは分かりませんが、この人の母性を信じて我が子を託した人たちは、きっと大きな衝撃を受けたでしょうなあ。過激なジェンダー・フリー論者からは、女性だけに母性を押し付けるな!と出口の無い主張をしそうですが、父性と母性とで組み上げられている家族という「文化」を理論的に破壊して見ても仕方が無いのではないか、と考えてしまいます。崩壊地域社会を復活させて、リタイアした人達が地域の子育てに参加するような動きも出ているとも聞きますし、新しい保育の形を求めて活動している人達が、法改正や規制緩和を求めている記事も読む機会が増えました。

■人が人を育てるという本能自体に大きな疑義が生じている日本ですから、歪んだ幼児性愛を自分で制御できずに凶悪犯罪に走る予備軍が増えている気配を誰もが感じています。母性が崩壊するのと歩調を合わせて父性も崩壊しているのでしょうか?「保母さん」や「看護婦さん」が死語になって、体力勝負の男達が保育や医療に進出してもいますなあ。本当なら、男であろうと女であろうと、「子供は可愛い」と感じられる人間として育ってもらわなければ困るわけです。その感情が、性的な欲望の対象に転化したり、単なる金儲けの手段にしかならない時代は、遠慮したいものです。

■虐待を受けた子供が、もっと酷い虐待をする親になる、この連鎖は学問的にも確かめられているようですから、小中学校の知的レベルの低下も問題ですが、種としての人間を考えると、猿から人に進化するのを実際に追体験するような乳児から幼児へと成長する時期に、もっと注目しなければならないでしょう。地方自治体の対応が遅れていて、せっかく生まれた子供達が、共働きの核家族の中で邪魔者扱いされるような社会は病んでいるとしか思えませんなあ。子供が厄介者とされた時代など人類は経験していないのですから、今は、まったく新しい時代を迎えているという事なのかも知れません。

■地球の温暖化で自然環境がどんどん凶暴になっている時に、人間の内面も凶暴になってしまったら、人類の未来は無いと言わざるを得なくなります。『愛・地球博』の閉会式が行なわれた日に、嫌なニュースを読んでしまいました。
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新シルクロード『天空の道』に物申す 最終回

2005-09-25 13:38:46 | チベットもの
其の壱拾八の続き

■さてさて、今回でこの連載も最終回となります。文句を付けていると切りが有りませんから、後はちゃっちゃとまとめてしまいましょう。話は前回の盗掘の件の続きからです。

こうした未発掘の古墳を狙って盗掘団が暗躍しています。盗掘された現場を調べているのは文物公安という遺跡の盗掘を専門に取り締まる警察です。都蘭の古墳から盗掘されたシルクは闇のマーケットで売買され、流失しているといわれています。


■ヤラセではないかと思えるほど、装備も調査活動も素人同然としか思えない正体不明の人達が画面に出て来ました。本当に文物公安が熱心に活動しているのなら、青海省に点在するチベット仏教寺院がほとほと困っている盗難事件を解決して欲しいものです。仏具から飾りの宝石、御本尊やら仏画まで、ごっそりと盗まれる事件が多発しているのです。余計なお世話でしょうが、汚職大国のチャイナですから、この文物公安自体が闇のマーケットと一切無関係である事を祈るばかりです。頑張って下さい!

北京大学の調査によればこれらの写真に写っているのが都蘭から掘り出され海外のコレクターの手に渡ったとされるシルクです。


どうして都蘭からの盗品だと分かるのかも不思議ですが、

元々ペルシャで生まれた文様が青海の道を通って中国へ渡り当時大流行したものと考えられています。盗掘されたシルクは極めて保存状態の良い物でした。都蘭のシルクはその質の高さから海外のコレクターの間で高値で取り引きされているといわれています。


というコメントには首を傾げますなあ。本来のシルクロードは粗方(あらかた)掘り尽くした連中が、獲物が少ない場所にも入り込んで来ただけの事なのではないでしょうか?特別に都蘭から見つかる品物が上等ならば、放って置かれるはずはないじゃないですか!

華麗なシルクが行き交った青海の道---それは正しくもう一つのシルクロードでした。吐谷渾の活躍した5世紀から7世紀、この青海の道がシルクロードのメインルートを凌ぐ交易をになっていたと今では考えられています。


■高い金を払って特別に取材許可を取ったからでしょうか?大発見をした事にしないと、「受信料の無駄遣いだ!」と騒動になるのを怖れているのか、無茶苦茶なナレーションが流れましたなあ。「凌ぐ」という言葉の意味を知っていて、この台本を書いた者がいるとしたら、救いようが無い番組です。

見渡す限りの荒地の風景が何時間も続いた後、突然町の陰が見えてきました。ゴルムドです。ゴルムドは第二次世界大戦後、石油開発の拠点として新しく開発された計画都市です。今、ゴルムドはチベットへ通じる陸の玄関口となっています。


ものは言いようで、「石油開発」は最近の話で、本当はチベット人の反乱を即座に弾圧する為の前線基地でしょ?これからはウイグルへの睨(にら)みを効かせるために北方への軍事道路も作られる事でしょう。ゴルムド経由のラサ行きの高速鉄道と弾丸道路が間も無く完成します。それは石油開発を目的としたものではありませんぞ!

ここまで青海の道を西へ走ってきた車のほとんどがここからチベットへと向います。現在中国政府がチベットを統治する上でゴルムドはエネルギーと軍事の両面で重要な拠点になっているといわれています。


と取って付けたようにチベット問題に触れているのですが、これでは話の順番が逆です。

南へ向って崑崙山脈を越えるとそこはもうチベット自治区になります。私達は都蘭からゴルムドまで崑崙山脈の山裾に沿って青海の道を西へと辿ってきました。現在このゴルムドからは南へチベット・ラサへと通じる道と北へ敦煌へと通じる道が延びています。しかし、かつて東西のシルクが行き交ったこの青海の道はこのまま西へ延びていたと考えられています。


■誰が言ったのかは分かりませんが、こんなヨタ話を信じて番組の取材班は道無き道を苦労しながら進んで行きまして、モンゴル人の爺様から遺跡の痕跡らしき頼りない話を聞き、何時の時代の物なのかも分からない「腕輪や馬の鞍」が見つかったのは3年前!どうして、こんな場所にモンゴル族がいるのか?『大モンゴル』という番組のナレーションをしたツダイラさんは、トボケているのか、まったく言いません。吐谷渾が消えてからの1300年間を切り捨ててまとめようとするから、話が強引になって大量のウソが混入するのですぞ!チベットとモンゴルとの長い交流史を無視して、ゴルムドの北をうろついても何も分かりません!

■ツァイダム盆地からアルチン山脈へと、ご苦労様な旅が続きまして、タクラマカン砂漠を越えるのですから大変です。5000メートルを越えると言っておきながら、アルチン山脈越えで通った峠は3800メートル!

は、どう見ても最近になって通された「鉱石運搬用」道路を辿って、本来のシルクロードと合流するまで旅が続くのでした。古い道の痕跡も無い風景が無意味に続くのですが、ツダイラさんにはまったく不安な様子は見られませんでした。これもプロ根性と言うのでしょうか?

■何を見ようと、何を聞こうと、NHKには「天空のシルクロード」にしか見えないようなので、素直な視聴者はすっかり幻惑されて、本当にそんな物が有るような気になってしまったでしょうなあ。本当に罪作りな事です。ミーランからゼンゼンへと至り、やっとシルクロードらしい風景が出て来ます。「1800キロの旅」にはそれだけでも貴重な記録となっているのですから、余計な思い込みで引っ張っては行けませんなあ。ゼンゼン国の遺跡に仏塔が建っているからと言って、

青海の道の長い旅路、多くの人々がその旅を無事に終えた事を、ここで仏に感謝したに違い有りません。

ここまで、仏教に関連する遺跡の話がまったく無かったのに、突然「青海の道」が仏教の道になってしまいます。居たか居ないか甚(はなは)だ怪しい「多くの人々」が、どうして全員仏教徒だと断言できるのでしょう?本来のシルクロードはゾロアスター教徒とイスラム教徒が最も多く往来していたのではないのかな?モンゴル族が仏教徒になるのは、フビライの時代以降です。

悠久の時が流れるシルクロード、天空の大地には、まだ発掘されていない遺跡が無数に残されています。シルクロード、青海の道は、今でもわたくし達の知らない世界へつながっています。

ツダイラさんのナレーションはこれで終わります。何のことは無い。「未発見の遺跡が沢山ある(かも知れない)」「わたくし達(NHK取材班)が知らない世界」へとつながっているかも知れない、でもそんな世界が何処に有るのかさっぱり分からない。というオチが付いたわけです。結局、1800キロもチベット人が低地と呼ぶ「天空の大地」を駈けずり回って、何も分からなかったというだけの番組でしょう?始めから、あるはずの無い「天空のシルクロード」という昼間のお化けを探しに言ったのですから当然です。

■この番組は、間違いなく受信料の無駄遣いでした。NHKがこれまでに、世界各国に取材に入っては、撮影許可料金やら人件費、車のチャーター料、果ては有名な山の入山料まで、相手の言いなりに払い続けて相場をメチャクチャに混乱させてしまっている前科を調査する必要が有るでしょうなあ。これまで、自分の金だと思って受信料を湯水のように使って何をして来たのか?検証しない限り、体質の改善など絶対に出来ないでしょうなあ。この番組が、更に受信料の不払い運動の火に油を注がない事を祈るばかりです。合掌

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新シルクロード『天空の道』に物申す 其の壱拾八

2005-09-25 13:37:40 | チベットもの
其の壱拾七の続き

■この先はチベット人とは無関係な場所になるので、後は勝手に番組を盛り上げてエンディングまで流してしまっても良いようなものですが、もう少し付き合ってみようかと思います。

熱水大墓から出土した350点あまりのシルクは吐谷渾が青海の道で運んでいたものでした。うち8割が中国製、残りの2割は中央アジアで織られたものです。


「吐谷渾が運んでいた」という表現が、この後にも出て来るのですが、中継貿易と実際の交易との違いがツダイラさんには分かっていないようです。仮に、シルクロードのサブ・ルートとして吐谷渾が支配した地域が使われたにしても、吐谷渾自身が交易の民だったのではありません。今の世界でも、シンガポールは有数の中継貿易国ですが、シンガポール人が世界中に荷物を運んで商売しているわけではありません。時代から考えても、交易に従事していたのはソグド人やペルシア人だったはずです。

■出土したシルクの「8割が中国製、残りの2割が中央アジア製」という指摘にも疑問が有ります。素直に聞けば、中国製商品が圧倒的に市場を支配していたように思っていまいそうですが、「価値の無い売れ残り」だった可能性も有るでしょう。産地の特定にしても、デザインで判断したのか、染料や織り上げる技術によって判定したのかが不明です。番組の冒頭で、「現代の技術でも作れない」と啖呵を切っていたのですから、それが中国製なのか中央アジア製なのかも言及してくれないのは不親切です。シルクロードの歴史には、ソグド人が各地に出張所ばかりか製造所まで経営していた事実が残っているのですから、「中国製」という乱暴な言い方では意味が有りません。もっと言えば、商人価値の高い中央アジアの製品は、やっぱり本来のシルクロードを通っていて、粗雑な中国製ばかりが青海の道に流れ込んでいたかも知れませんなあ。

青海の道が日本と関係があった事を思わせるシルクがあります。あのギリシャ神話のアポロンを織り込んだシルクです。アポロンの上には天蓋が描かれています。この文様は屋根つきの建物の下に人物が配置された構図をその特徴としています。


■アポロン説については、既に書きましたが、確かに馬車らしい物に乗っているデザインなので、天を駆ける太陽神がモチーフだったとも考えられますが、天蓋付きで法界定印ですから、やはりアポロン説は却下ですなあ。

これに良く似た構図のシルクが奈良の正倉院に所蔵されています。正倉院御物の「紫地亀甲殿堂文錦」--こちらも仏殿と思われる建物の中に人物が描かれています。


この構図がそんなに珍しい物とも思えないのですが、ツダイラさんは、そんな不埒な事を考えるのを許さないように、畳み掛けて来ます。

建物の中に人物を描く文様は熱水大墓と正倉院のシルク以外には世界にも例がないといわれる珍しいものです。青海の道がユーラシアの東と西を結び付け、さらには日本にも繋がっている事を思わせます。


■正倉院は、中央アジアばかりかペルシアとも結び付いているという話は、こんな所で力説しなくても誰でも知っている事でしょうに!青海と日本との関連ならば、青海湖周辺から発掘された古い人骨が、日本の原住民と共通する特徴を持っているという話の方がずっと面白いと思うのですが、たった200年弱しか存在していなかった青海の道と日本を強引に結び付けるので精一杯なのでしょうなあ。

都蘭の周辺には3000もの古墳があるといわれています。しかし、発掘調査されているのはその僅か10分の1。手付かずの古墳がこの大地に無数に眠っています。


それだけ人が少ない場所だという事です。交易路を拓くにしても、大変な苦労が必要で、ましやて通行の安全を保障するのは至難の業です。事実、吐谷渾を併合した吐蕃王国は、役にも立たない「青海の道」などには目もくれずに、本来のシルクロードの支配権を求めて北上したのです。その御蔭で、敦煌に膨大な数のチベット語資料が残されたというわけです。「青海の道」から敦煌に匹敵する文献が出ないのは、そこが交易の富が集まる場所ではなかった事を意味しているはずです。貴重なシルクが出た!出た!それでも発掘したのは1割だけだ!要するに、発掘調査の資金援助を何処かの国に求めているだけの話ではないでしょうかな?少なくとも、日本にとっては何の意味も無い贅沢な調査ですから、別の国に頼んで下さいな!

最終回に続く

新シルクロード『天空の道』に物申す 其の壱拾七

2005-09-25 12:01:10 | チベットもの
其の壱拾六の続き

■いよいよ「鬼」の正体が明かされますぞ!

出土品を分析した青海省文物考古研究所によれば、この墓に埋葬されていたのはモンゴル系の騎馬遊牧民・吐谷渾の王族だと考えられています。


きちんと学問的な分析は必要でしょうが、あの地域に短期間ながらも勢力を張った事が有るのは吐谷渾しか考えられませんから、発掘品の調査以前に、点在する墳墓は吐谷渾時代の物であろう、と多くの人から指摘されていたようです。しかし、「モンゴル系」と言ってしまっても良いのでしょうか?遼東半島付近に居た鮮卑系部族が、五胡十六国時代に中原の北側を迂回するように西方に移動し、隋の煬帝に追われて、NHKが連呼する「青海の道」が通っていた不毛の土地に定着したという説を信じるとすると、移動中や逃走中にモンゴル系の部族と混血したとしても、吐谷渾をモンゴル系と断定するのは安易ではないでしょうか?元は同じ鮮卑系だったからこそ、隋や唐との関係にも特殊な感覚が有ったのではないでしょうか?吐蕃との勢力争いを続ける段階でも、吐谷渾は何処か吐蕃よりも気位が高かったような印象が有るのは、同族意識が有ったからではないでしょうか?それに、モンゴルというのは、チンギス汗が出現するまでは非常に小さな部族集団でしたから、唐の時代に使うのは問題が有る部族名でしょうなあ。

■本来のシルクロードの歴史でも、チャイナの歴史でも、ずっと小さな扱いしか受けていなかった吐谷渾を、この番組で光を当てて強大な姿を印象付けたいNHKは、手に入る限りの道具を揃えて頑張ります。

熱水大墓の周囲8キロメートル四方を45万メートルの上空から写した衛星写真です。真ん中の熱水大墓を取り囲むようにして点在している円形のものは全て古墳です。その数およそ200。ほとんどが吐谷渾の王族の墓と考えられています。
彼等が大きな勢力を持っていたことがわかります。吐谷渾は5世紀青海の道で活躍した交易の民です。東は四川省から西はタクラマカン沙漠に到る青海の道一帯を支配し、東西交易の全権を握っていました。


NASAあたりから入手した衛星写真でしょうが、未だに軍事施設等を地図に記載しない北京政府ですから、この種の写真を米国製であろうとも公開するには、相当の苦労が有ったかも知れませんなあ。どうして、こんな大掛かりな事をするのだろう?と考えていると、四川省からタクラマカン砂漠まで続く「青海の道」をどうしても証明したかったのですなあ。写真や地図の上に線を引くのは簡単な事です。点在するオアシスや寒村を線で結んでも、そこに本家のシルクロードに匹敵する交易路が有ったかどうかは分かりません。

吐谷渾の保護を受け青海の道を旅した人物がいました----宋雲です。6世紀、北魏の外交官僚だった宋雲はインドに赴く途中に立ち寄った都の様子を記録に残しています


■ほら、ここにも鮮卑族が出て来ましたぞ!北魏は立派な鮮卑系王朝でした。チャイナを文化的にも支配しようとして、新たしい外来文化だった仏教を積極的に取り入れて国内に広めようと努力したのが、北魏でした。雲崗や龍門などの摩崖仏が有名ですが、経典類の収集や寺院の建立など仏教が大きく発展した時代を現出させたのが、北方民族が建てた王朝でした。吐谷渾の出自や祖先についても情報を持っていたと思われる北魏ですから、そこから派遣された外務官僚であれば、名前が漢字表記だからと言っても鮮卑系の人だった可能性も有ります。

「流砂を渡って吐谷渾国に至った。途中はとても寒く、風雪が強く、見渡す限り砂ばかりである。ただ吐谷渾城の近くは他より暖かかった。この国には文字があり風俗や政治は外国風である」


ここで問題になるのは「文字」です。通常は、漢字を使っているという意味ですから、自国語の文字を持たなかった鮮卑系の民族は、漢字を学んで使いこなしていたのでしょう。「外国風」と言うのは、時期から考えて吐蕃王国の影響が入っていたか、朝鮮半島近くに居た頃からの伝統を残していたか、判断は難しいところです。

■実は、ソンツェン・ガンポ王の業績とされる官僚群の冠位制度が、日本の聖徳太子が定めたと伝えられる制度と酷似しているのは、どちらも新羅あたりの制度を参考にしたのではないか?という説が有るのです。対馬海峡を挟んで向かい合っていた大和朝廷はともかくとして、山奥の吐蕃にも新羅風の制度が伝わったのは吐谷渾の移動と関係が有るのではないか?という説です。ですから、この番組の後半に出て来る中央アジア産の布と奈良の正倉院に収蔵されている布が同じデザインだ、などという古臭いネタを出さなくても、吐谷渾と日本との関連は充分に考えられるのです。

吐谷渾は鬼と呼ばれるような野蛮な民ではなく、独自の文化を持った人々でした。強大な勢力を誇った吐谷渾は、7世紀吐蕃によって滅ぼされました。村人達は自分達の祖先が滅ぼした吐谷渾の恨みを怖れて彼らを鬼と言い伝えたのかも知れません。


何をおっしゃるツダイラさん!と叫び出したくなるような暴言です。「鬼と呼ばれるような野蛮な…」これで、何度も出て来た「鬼」の意味がはっきりしました。ツダイラさんは自分が読んでいる原稿の出鱈目さがまったくお分かりでないのでしょうか?まったく、見ている方が恥ずかしくなるような場面です!ここで「鬼」が、すっかり日本風に曲解されてしまっています。桃太郎が退治した、虎の褌(ふんどし)と牛の角で有名な赤鬼・青鬼の「鬼」と混同しているのでしょうか?余りにも基本的な間違いです。漢文を読む時に、こんな解釈をしていたらエライことになりますぞ!

■日本の鬼は昔話や童話でも大活躍で、もともとは異形の民や外国からの移住者などのイメージが膨らんで形となったものと思われますし、そこから「鬼の目にも涙」だとか「鬼に金棒」などの身体能力や強靭な精神を持った異常な存在へと変わって来ました。そこには、死者や怨霊のイメージはまったく無いのです。もしも、「あの人は鬼のような人だ」と日本人が言ったのを北京語に直訳したら、さっぱり意味が通らないか、トンデもない受け取られ方をするでしょう。ご用心、ご用意。多くの語学教育組を放送しているNHKなのですから、もう少し日本語と外国語との間に緊張感を持たせて欲しいものでありますなあ。意地悪く解釈すれば、吐蕃王国が吐谷渾を滅ぼした事を責めながら、北京あたりの助言を容れて、チベットは野蛮な民族だと言いたかったのかも知れませんが、そうなると話は更にややこしくなりますなあ。もう少しで、この連載も終わりにしたいのですが、どうなる事やら……

其の壱拾八に続く

新シルクロード『天空の道』に物申す 其の壱拾六

2005-09-25 09:46:17 | チベットもの
其の壱拾五の続き

■さあ、ここからこの番組が「皆様からいただいた受信料」を無駄遣いしなかった唯一の大スクープが出て来るところです。これは永久保存して置かなければならない、本当に貴重な映像記録となりましたなあ。他はどうでも良いです。

村人が怖れて近付こうとしないその古墳に行った事が有る人がいました。かつてその地区のリーダを勤めていた人です。


■さあ、お立会い!ここからNHKの大スクープが出て来ますぞ!

1959年人民公社の書記に古墳から薪をとってくるよう命令されました。大勢の食事を作る為にたくさんの播きが必要だったのです。古墳の木は腐っていてとても気持ちの悪いものでした。あそこには行かないほうがいい。盗掘をする人がいるらしいが、その墓に有る骨や鬼の持ち物を掘り出してはいけない。


見事です!よくぞ年号を検閲カットされずにビデオ・テープを持ち帰り、そのまま放送して下さいました。本当に有り難い事でございます。1959年は「ラサ暴動」が起こってダライ・ラマがインドに亡命した年です。その前の58年から、チベット地域全体が人民解放軍の遣り口に反感を募らせて、不穏な空気が満ちて来たのでした。アホな「大躍進運動」なども強制されて、青海一体も飢餓状態になって反乱暴動が起こったのがこの年でした。

■画面で観ても分かる通りの荒地です。そんな所に人民解放軍がどかどかと入り込んで来たらどうなるか?補給を考えずに現地調達を前提にして、かつての日本軍が馬鹿なインパール作戦というのを実施したのは有名ですが、人民解放軍は基本的にいつでも「現地調達」でした。出身が山賊だったという事も有りますが、チャイナの軍隊と言うのは大昔から略奪を楽しみとしていた伝統に従ったまでの事です。豊かな草原で、一年分の食べ物が有れば幸せに暮らしていられたチベットに、自前の食糧を持たない飢えた人民解放軍が入ったらどうなるか?ちょっと考えれば分かる事です。青海一体には、無数の野生動物が走り回る草原が広がっていたのですが、今ではほとんどその姿を見る事は有りません。多くのチベット人が、馬より早い軍用ジープが野生動物を追い回して、機関銃で撃ち殺して回っていたのを見ているのです。

■ですから、人民解放軍がこのチベット人の村長さんに命じたのは、「薪拾い」だけではなかったのです。お化けが出そうなややこしい場所から腐った材木を持ち出す前に、身近な場所に生えていた樹木を全部伐り倒されたに違いないのです。青海にも鬱蒼(うっそう)とした森に覆われた山が幾つも有りました。そこから伐り出された大量の木材は、何処に運び去られたのかさっぱり分からないという話も聞きます。貧しいとは言いながらも、食糧備蓄を知らないチベット人の村に入って来た人民解放軍は、来年までの命を保証してくれていた家畜を中心とした食料や種籾まで召し上げて、それを煮炊きする薪を取り尽くした後の話を、この爺様はしているのです。それ以外の話を付け足したりすると、カメラの横に立っているオッカナイ人が何をするか分かっているから、絶対にそんな事は言いません!

■お寺が有れば寄進されていた金銀財宝を略奪するし、男は肉体労働に借り出すし、女性は……。まあ、青海の人々にとっては、思い出したくもない酷い事があちこちで起こった時代だったのが1958年からの数年間だったそうです。

古墳は集落を離れた岩山の中にあると言います。地元の村長に頼んで案内してもらうことにしました。台形をした高さ30メートル幅160メートルもの巨大な古墳。人気の無い荒地の中にそびえています。熱水大墓です


地相を占って、人が近付かない山の麓に墳墓を営むのは珍しい事ではありませんし、形からしてチベット文化の影響が見られるとの説も有るようです。仏教が入る前の施設のようにも見えます。

熱水大墓は土と石が積み上げられて、小高い山のようになっています。墓室はその急な斜面を登りきったところに作られていました。


自然の山の頂上に石室を造って亡骸(なきがら)を弔った施設は、日本の弥生時代の遺跡として発見されていますし、巨大古墳の石室も頂上に造られました。ラサのポタラ宮でも、歴代ダライ・ラマの遺骸は屋上に廟を造っています。穴を掘って地下に埋める文化と少しでも天に近い所に葬る文化の違いは興味深いものですが、番組では特にコメントは有りませんでした。

村人が薪として古墳から取ったと言っていたのは、墓室を支えるためのこうした丸太でした。墓室は真上から見ると鳥が羽を広げたような形をしていました。村人から鬼と怖れられているこの熱水大墓の主は誰なのでしょうか


■ここでも「鬼」という言葉が意味深に使われていますなあ。「鳥の形」と付け加えているのは、鳥が死を象徴しているという説との関連を匂わせているのでしょうか?こんなに気味の悪い場所まで、薪を取りに来なければならなかった当時の村人は、死者の祟りよりも怖い思いをしたのでしょうなあ。可哀想に……。でも、材木が挟み込まれている石組み自体が崩されていないようですから、外に飛び出している腐食した部分をもぎ取って行ったのでしょう。重い石を移動させる体力など無くなるほどの飢餓に襲われていたのかも知れません。少しばかり当時の出来事を知っている者にとっては、「鬼」より怖い人民解放軍の影を見る思いがする映像です。

其の壱拾七に続く