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極楽飯店.56

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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源(ソース)との繋がりが訪れる状態。つまりは「思考」と「恐れ」から離れている状態は、思い返してみるといくつも見つかった。

その一つが、腹から笑っている時だ。

人は、思い悩みながら笑うこともできないし、恐れながら笑うこともできない。つかの間ではあるが、「笑い」というその瞬間においては、まさに思考も恐れも消え去っている。

しかも、睡眠時とは違い、「自意識が途切れる」ということもなく、その感覚を自覚することができる。

だからこそそこで、思考や恐れと引き替えに現れた、開放感や安心感、歓喜や充足感、信頼や一体感などといった、温かなエネルギーを味わうことができる。

それは言うなれば、日々「自分」を守るため必死に抱えていた盾を下げることのできる安心と信頼。緊張・防御姿勢からの解放だ。

腹から笑えるというその態度は、ある意味では非常に無防備とも言える。

時には、「笑うしかない」といった言葉が表す様に、いま目の前にある八方塞がりの状況に対しての完全降伏を意味することもあろう。

とはいえその降伏は、決して「負け」を意味するものではない。白井のインスピレーションを借りるなら、まさに「笑い声」がそのまま「神の思し召すままに」といった宣言となり得るということだ。


(その通りだよ、タクちゃん。素直な笑いにしろ、降伏を意味する笑いにしろ、そこに共通するものは「状況(いま)を受け入れる」という態度なんだ。笑いは「抵抗」を手放したところにある。それはつまり、現実創造のイニシアチブを、「分離した自己」という錯覚の自分から、「本来の自己」源(ソース)へ譲るということなんだ。錯覚で生まれた小さな自分ではなく、神や愛という本来のエネルギーが現実を紡ぎ出すことになる。「奇跡」と呼ばれる現象は、そうやって生まれるんだ)

奇跡?

(「奇跡」ってさ、よく「人智を超えた出来事」なんて言われるでしょ。「人智」は思考、この氷のことさ。神との繋がりを断っている原因を用いて奇跡は生まれない。奇跡は源(ソース)との共同作業で初めて成立するんだ。これを理解したら、これまでの君の人生全てが奇跡だったことが分かるはずだよ。どんなに小さな願いも、それを叶えてきたのは君自身(分離した自己)じゃなく、源(ソース)を起点とした「全て」が必要だったことに気付くからね)

それは、どういう意味だ?

(現実を創造する力は、神しか持っていないってことさ。「分裂した自己」がどんな願いを持ったとしても、その願いが源(ソース)に届かなければ具現化には至らないんだよ。ほら、君達はついさっき、極楽飯店でその仕組みに触れたばかりじゃないか)

え?

(料理、どれも美味しかったでしょ?)

は? いや、たしかに美味かったが……。なぜ今、その話に?

(君たち五人の心が同時に開くことで、その仕組みに触れたんだよ)


すると閻魔は、再度あの風船を指さしながら、その仕組みを話しだした。



……つづく。



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