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極楽飯店.50

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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「なぁ…」

閻魔の話が続く中、とぼけた声で新たな質問を投げかけたのは坂本だった。

「俺たちが一つの同じ源によって生かされてるってのは、なんとなくわかったんだが、それでもやはりわからないことがある。アンタが言うように『生まれる』と言うことが『新たな生命の誕生』じゃないのだとしたら、俺たちのこの感覚は一体なんなんだ。さっきのドアの向こうでなら、確かに『自他などない』と思えるが、こうしてこの部屋に戻ればやはり『俺は俺』だ。俺がいて、アンタがいる。『個としての命』が生まれないのなら、いつどこで、何がどうなって、この『分離した自分』が生まれたんだ?」

「そこで知るべきは、その分離感はあくまで『感覚』であって、『実体』ではないってことなんだ。何かとかけ離れた『坂もっちゃん』という実体が生まれたのではなく、エネルギーの滞り・詰まりによって、一見分かれているように見えるっていうだけなんだ。どう説明しようかな…」

すると閻魔は静かにコクリと一つ頷いて、また空中に何かを創りだした。

閻魔が「パンッ」と一つ柏手を打ち、右の手のひらを上に向けていると、その掌からにょきにょきと風船が生えてきた。

普通の丸い風船ではなく、大道芸人が器用に犬とかウサギとかを形作る時に使う、あの細長い方の風船だ。

五十センチほどの青い風船が現れると、その先を坂本の鼻先に向けて話を続けた。

「ねぇ坂もっちゃん。この風船、いくつに見える?」

「いや、いくつって…。そりゃ一つにしか見えんが…」

「うん、一つだよね。でも、こうすると……」

すると閻魔は「キュルキュル」と歯の奥が痒くなりそうな音を立てながら風船を捻る。

「今度はどう?風船はいくつ?」

「なるほど。確かにそうすると複数に見えるな」

「『自分がいる』という感覚はね、こうやって出来たんだ。決して分裂することの出来ない大いなる一つが、『捻れ』というエネルギーを通して『擬似的に』分裂を体験している。分離はバーチャルで『一時的なエネルギーの捻れによって、分離しているかのように見える』ということ。坂もっちゃんも元坊主なんだから知ってるでしょ。このエネルギーの捻れのことを『業(カルマ)』と言うんだよ。そして、そういう自他を分離し<個>を保とうとするエネルギーとは逆の、捻れを解消しようとする動きが『法(ダルマ)』」

「ふ、ふむ…」

「分離意識・自我の始まりは<個>を経験したいというエネルギーなんだ。<個>としての自分を保ちたいというエネルギーの歪みが生まれたとき、そこにある種の『引力』が発生する。言うなれば、<個>を保つために必要な情報を収集する引力さ。物質として独立しようとする試みや、『自分が何者であるか』という特徴付けのことだね。名前・生年月日・国籍・肩書き・性格・性別・身体状態・環境・人間関係・思考・クセ…。あらゆる情報をかき集めて<自分>を定義づけようとする。それこそが、<自分>を<全体>から引き離してしまうエネルギーとなってしまうんだ。坂もっちゃん、君がここに居るのはなぜかわかる?それは、君がいまだ『仏教徒』のままだからさ。ムネっちがここに居るのは、いまだ『クリスチャン』のままだからさ。君たちがここに居るのは、そうやって、頑なに自分のパーソナリティを守ろうとするアレコレを持ち続けようとしているからなんだ。だから君たちは源(ソース)に戻ることなく、輪廻の世界を漂い続けている」




……つづく。



←ここにも、ある種の引力を。
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