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極楽飯店.54

※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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『その自覚があろうがなかろうが、僕たちは、決して分割できない一つの同じ存在』

閻魔が話したその言葉の意味が、白井のカルマが消えた瞬間、ようやくクリアに飲み込めた。

白井の問いは俺の問いであり、その問いに対する閻魔の答えは俺の答えとなる。

奇妙な感覚の中で、理解は新たなカタチへと変わっていった。




「カルマ」という名の氷があろうがなかろうが、一つの同じ存在。

そしてその「カルマ」さえも、決して「悪」ではない。元から神の中にある、同じ質のエネルギーだ。

一つの同じ物質が、温度によってその状態を変化させるのと同じように、神の中に満ちるエネルギーの総量は、増えもしなければ、減りもしない。

風船の中にあるものを「H2O」だと例えるなら、それが気体として空間に満ちているか、液体として流動しているか、それとも、固体として形作られているかといった違いだけだ。


(そうなんだ!タクちゃん、いいところに気づいたね。まさにその通り、僕たちは一つの同じ存在として、増えもしなければ減りもしない。生まれもしなければ消えもしない(不増不減・不生不滅)。僕たちに満ちているそれは、「恐れ」によって冷やされ、愛によって暖められる。そうやって「状態」を変化させ続けて脈動するエネルギーそのもの(諸行無常)が僕たちなんだ。こう考えてみて。源(ソース)の中心に向かえば向かうほど高温になっていく。そこは、どんなに固まった氷だろうと、瞬時に気化させるだけのパワーを秘めているんだ。逆に、この源(ソース)から離れれば離れるほど、温度は低下し、気体を液体へ、液体を固体へと変化させていく。ムネっちが抱えていた氷が気化すればほら、この通り。僕たちは「ひとつ」を実感することができる。そしてまた、いまだ氷を抱えたメンバーだって、その「状態」が変化すれば、ひとつになれることが、ハッキリとわかるでしょ)



(人間が抱える「苦悩」は、まさに源(ソース)から離れようとする姿勢から生まれる。言い換えるなら、分離意識の強まりに比例して、凝り固まった思考の集積に比例して苦しみを感じる。神界(ソースの中心)から離れるからこそ不安が生まれ、神を、愛を求めだす。そして、愛を求めて彷徨い出すが、愛を見失っているがゆえに、その努力は「分離感」を増す方向に傾き、状況をより悪化させてしまうんだ)

愛を、見失っている…?

(そう。「愛」は存在の内側にある。「コミュニオン」という繋がりそのものが、もっと言えば自分という存在そのものが愛なんだ。でも、カルマで源(ソース)との繋がりを閉ざされた状態にいると、それが感じられなくなり不安へと変わる。そして、その不安を外側での交流、「コミュニケーション」で補おうとしてしまうんだ。「ひとつになる」という潜在的に知っている安心感を求め、「個」を保った状態の中で、擬似的に「ひとつ」を再現しようと藻掻く。しかし、その状態では何処まで行っても「個」という性質(「分離感」という苦悩の根本原因)から抜け出せ無い。むしろ「他」との関係性の中で、より「個」を強めてしまうんだよ)

じゃぁ、一体どうすればいいと言うんだ?

(だから、何度も言っているじゃないか。本質的な救いは、自分が神であることを思い出すしかない。愛を外にではなく、内に見つけなければならない。世界には数え切れないほどの対立が存在するけど、その原因をたどっていけば、どんな対立も同じ理由が起点となってる。それは「わかりあえない(隔たりがある)」という状況だよ。それを解決するには、その隔たりを無くさなければならないんだ。その「隔たり」とは、つまり、「カルマ」そのもの。「他」が存在するという錯覚の中で恐れが生まれ、その恐れゆえに「カルマ」という壁で防御をはかっているのが人間なんだ。そこから脱するには、「分離」という錯覚を見破るか、自らの手で築きあげた防御壁を取り払うかしかない。どちらにせよ、源(ソース)を信頼して心を開く必要があるね)


……つづく。



←神を信じるとはつまり、己を信じるということ。アナタハ カミ(じぶん)ヲ シンジマスカ?(シンジラレマスカ?)
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