犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

ダム問題>高木仁三郎『市民科学者として生きる』岩波新書を読む(3)

2017年12月09日 | ダム問題
(筆者の考え)ダム問題で市民の科学が必要か
 治水が目的であるにもかかわらず、ダムを造ることが目的となり、ダム建設を推進する研究は積極的であるが、ダム建設推進にマイナスの分野の研究はほとんど行われない。

●「基本高水の決定」について、「旧基準」では、カバー率という概念でハイドログラフ群の中から適切な基本高水を選択していたが、「新基準」では、ハイドログラフ群の最大値を基本高水とすることにした。不適切な降雨は棄却しているという条件をつけているが、これは「旧基準」にも記載されており、「新基準」を正当化するための弁明ではないのか。水文量の真値は、多数のデータの平均値に近いので、最大値を採用することは統計学の考えを逸脱しているのではないか。
●ダム計画の降雨量・洪水量の設定に「統計手法」を取り入れているが、統計手法で平均値、最大値、許容誤差の範囲を決めてその誤差を加えた数値と、それぞれの場面で適当に採用値を決めて、結果的に自由自在に洪水量を決定している。洪水量を決める科学技術が、ダムが必要となるような規模の洪水量が算定されるように導かれており、ダムを造るための手段として用いられている。この統計手法の適正な使用についての研究がなされていない。
●詭弁で誤魔化されやすい例の一つに、「発生可能性がある」との主張である。推定統計値に誤差を加えた数値を発生可能性がある数値として採用している件である。誤差は「発生がわからない」ことで、「発生がない」と「発生がある」の両方を含んでいるが、これを「発生可能性がある」と捉えるのである。
 誤差というのは信頼度をあげれば小さくなり、信頼度をさげれば大きくなる、つまり、誤差を発生可能性と捉えると、発生可能性はどれだけでも小さくなったり、大きくなったりする。このような事柄を「発生可能性がある」とし、推定統計値に誤差を加えた数値をとって算定を進めるのは、統計手法を悪用して数値をねつ造しているように思えるが適正なことだろうか。統計の基本的な考えを無視しているように思うが。
●山地の保水力に関わる研究(貯留関数法の主要な係数の一つの飽和雨量の決めるために重要)は、分野が異なることもあるが、大した根拠もなく評価が低く、ほとんど取り上げられない。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ダム問題>高木仁三郎『市民... | トップ | 辰巳ダム>兼六園曲水のつづ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
市民の科学者は学び直しをすべきである (山好人)
2017-12-10 11:43:40
市民の科学者は学び直しをすべきである
山好人
今回の市民の科学に関するブログの内容にコメントしたいと思います。
1. 学び直しの必要性
基本高水流量問題に関して市民の科学者(市民の科学を実践する人たち)は学び直しをすべきだと思う。現状では市民の科学者の活動は袋小路に入り込んでいる。いたずらに理性的なスタンスを離れ感情的なスタンスに移行せざるを得ない立場に追い込まれている。市民の科学者が雨量確率手法で、降雨より基本高水流量を決定する手法に関して主張する根拠には、国交省の主張と土俵が異なる点が多々見られる。しかもその主張は具体的な根拠を欠いており、また国交省の主張が合理性に欠ける点を指摘できないことが多い。具体的に述べると、
(1) 計画雨量は過大に設定されていると主張する。また雨量確率の確率分布の選択が恣意的であると主張する。
(2) 貯留関数法のパラメータが不適切である、特に飽和雨量が過小であるとか、飽和後の流出率1.0が過大であると主張する。
(3) 計画雨量を適切に決定し、貯留関数法のパラメータを適切に決定したら、正しい基本高水流量が簡単に決定できると主張している。少なくとも利根川の治水安全度に見合う基本高水流量の決定法についての主張がない。カスリーン台風のピーク流量の年超過確率が1/200である立証はできていない。
(4) ピーク流量群についてのカバー率に関する理解が不足している。カバー率が50%以上の流量の年超過確率は雨量の年超過確率より小さくなる(発生しにくくなる)。
(5) 国交省の総合確率法の問題点を正しく理解していない。
(6) 最近の国交省の総合確率法に関する学者の議論を参考にしていない。国交省の総合確率法を裏付けようとする学者もいるが、正しい総合確率法についての議論がされていることを無視している。
かような閉塞感にしか結びつかない主張に関して、市民の科学者は過去の経緯にこだわることなく学び直しをし、治水安全度に見合うより妥当性のある基本高水流量の決定法につき理解を深めるべきである。合理的な河川整備計画はまず合理的な基本高水流量の決定がベースになるものである。市民の科学者は国交省の河川整備計画に頭から反対であるとする姿勢を改め、国交省に正しい基本高水流量の決定法を理解せしめる必要がある。あくまで先ずは国交省の準備した土俵に上での勝負をすべきである。異なる土俵での勝負を挑むことはデベートでの手法であっても、国交省の基準に問題がある場合の争点の解決には採用すべきではない。貯留関数法は信頼できない流出解析法であるから、総合確率法は正しくないとする主張が典型例である。
2. 国交省の総合確率法の問題点とその後の進展
(1) 国交省は利根川や荒川、久慈川、那珂川などで、総合確率法なる計算法を採用した。その計算法は一定流量を発生させる雨量群の年超過確率の平均値をその流量の年超過確率に等しいとするものである。この計算法は日本学術会議河川流出モデル・基本高水評価検討等分科会でも議論されたが、降雨波形(降雨パターン)の発生が等確率である前提で妥当とされている。いわば一種の近似式として誘導されたものである。等確率で発生するとの前提条件は、分科会の委員からも異論が出されたが、国交省の総合確率法が妥当であるとするにはこの前提条件が必要なのである。
(2) その後ある河川工学者は、等確率を前提として国交省の総合確率法は近似式であることを学会誌に報告し、降雨パターンの代用特性として降雨の継続時間を採用する改善法を提案したが、降雨波形の発生シミュレータの提案には至っていない。大同大学の鷲見先生の主張のごとく、雨量とその雨量の降雨波形の発生シミュレータが分かれば、治水安全度に見合う基本高水流量は容易に決定できるのである。
(3) 長岡技術科学大学の陸先生は四国の土器川について、降雨波形の発生シミュレータを提案し、1000個の雨量に1000個の降雨波形を組み合わせ、ある流量における雨量の年超過確率とその雨量で発生する流量の超過確率の積を全雨量にわたって加算し、その一定流量の年超過確率を計算している。この同様な計算式を中央大学の吉見先生も提案している。一定雨量において発生するピーク流量群の平均値はその雨量の年超過確率に同じであるとする私の主張はこの計算式の部分的利用であって、計画雨量において発生するピーク流量群の超過確率0.5(正規分布では平均値)のピーク流量の年超過確率はその計画雨量の年超過確率に等しいとするものである。陸先生はいわば雨量に対する流量の回帰式からピーク流量の年超過確率を求めているのに対し、小生の方法は一定雨量におけるピーク流量群の確率分布にのみ注目しているものである。
(4) 雨量確率手法の引き伸ばし法は、降雨波形の発生シミュレータとしての手法を採用していることになり、その意味では引き伸ばし率を2倍程度にする、時間的・空間的に発生がしにくい降雨は棄却するなどの便法は採用すべきではない。現に国交省は利根川では31降雨を採用している。更に総合確率法の検証の計算では、62降雨を採用している。国交省は総合確率法では引き伸ばし率の制限、降雨の棄却は採用していないのである。あくまで降雨波形の発生シミュレータとしての位置づけである。従来の引き伸ばし法で引き伸ばし率を2倍程度にする、時間的・空間的に発生がしにくい降雨は棄却するなどの便法は、残されたピーク流量群の最大値を基本高水流量にするための伏線であるとする考えは捨てきれない。気候温暖化の影響を考慮した最大外力としてのピーク流量の計算では、計画雨量を1/1000とし計画雨量で発生する残されたピーク流量群の最大値を最大洪水とする方針を国交省が公開しているが、従来の方法をそのまま引き継いでいるので最大ピーク流量の年超過確率が1/1000である保証はまったくない。
(5) ちなみに国交省の31降雨の総合確率法では、治水安全度1/200の基本高水流量は22000m3/sとされ、計画雨量319mm/3日のピークの平均値は18000m3/s程度である。市民の科学者は基本高水流量が18000m3/sの場合八ツ場ダムが必要かの議論をすべきであった。更に各地のダム問題につても、計画雨量において発生するピーク流量群の平均値の年超過確率はその雨量の年超過確率に等しいとする計算法で再検討すべきである。犀川の場合でも過大な洪水を棄却することなくできるだけ沢山の降雨を対象にして統計学を考慮して計算法を採用すべきである。カバー率が50%を超えるとその流量の発生確率はカバー率50%の流量より小さくなる(発生しにくい)のである。信頼限界や範囲を論じる場合にはその発生確率(超過確率)を考慮する必要がある。
(6) 今後市民の科学者の技術的検討が進み、計画雨量の適正化、貯留関数法の適切なパラメータが確保されたら基本高水流量の値は更に低下すると割り切り、現時点では総合確率法を正しく適用することに注力すべきである。現状貯留関数法の適切なパラメータの決定をするためには、貯留関数法の流出解析の計算法をマスターする必要がある。そのような段階にまで至った市民の科学者がどれほど存在するか疑問を感じている。飽和雨量は他のパラメータとの関係で決定されるれるものなので、単純に他の河川の飽和雨量と比較すべきではない。
3. 市民の科学者は過去において基本的に反対のための反対をしてきたことを反省し、最近の国交省の方針の変更、主張の変化、河川工学者の研究状況に注意を払うべきである。運動初期の主張がどれほど国交省の土俵の上での論戦に寄与したか反省し、今でもその主張に固執している旧態依然とした頭脳の中身を入れ替えるために学び直しをすべきである。総合確率法についての議論で、正論を述べる河川工学者はいわゆる河川工学村の住民でないことを感じている。具体的には国立大学系の先生ではない。市民の科学者はそのような先生との連携を模索すべきである。河川政策に関する私の市民の科学者像は、アカデミックな河川工学者や国交省の河川技術者と一般市民との間に立つリエイゾン オフィサーの役目である。河川工学者の難解な理論を一般市民に分かりやすく伝える仕事もその役目の一端である。
以上
返信する
新基準の規定「ピーク流量群の最大値を基本高水流量にする」に関して (中 登史紀)
2017-12-14 21:15:19
辰巳ダムだけの経験の範囲ですが、
引き伸ばしの便法、そしてピーク流量群の最大値を基本高水流量にするという「新基準」が、異常に大きい基本高水ピーク流量になった原因と思っています。
山好人さんの10日の投稿のうち、以下のところに当方の関心があります。
「(4) 雨量確率手法の引き伸ばし法は、降雨波形の発生シミュレータとしての手法を採用していることになり、その意味では引き伸ばし率を2倍程度にする、時間的・空間的に発生がしにくい降雨は棄却するなどの便法は採用すべきではない。現に国交省は利根川では31降雨を採用している。更に総合確率法の検証の計算では、62降雨を採用している。国交省は総合確率法では引き伸ばし率の制限、降雨の棄却は採用していないのである。あくまで降雨波形の発生シミュレータとしての位置づけである。従来の引き伸ばし法で引き伸ばし率を2倍程度にする、時間的・空間的に発生がしにくい降雨は棄却するなどの便法は、残されたピーク流量群の最大値を基本高水流量にするための伏線であるとする考えは捨てきれない。」との投稿のうち、
①雨量確率手法の引き伸ばし法は、降雨波形の発生シミュレータとしての手法を採用していることになり、その意味では引き伸ばし率を2倍程度にする、時間的・空間的に発生がしにくい降雨は棄却するなどの便法は採用すべきではない。
について、言い換えると、
降雨波形の発生シミュレータとして採用する場合は、引き伸ばし法は可で、
(辰巳ダム計画のように)そうでない場合は、引き伸ばし法は不可と理解しました。
引き伸ばして架空の降雨パターンをつくるのは、科学的な(気象学的な)根拠のない方法だと思いますが、統計学的な考えを導入することで、科学的に根拠のある方法になるということでしょう。

②従来の引き伸ばし法で引き伸ばし率を2倍程度にする、時間的・空間的に発生がしにくい降雨は棄却するなどの便法は、残されたピーク流量群の最大値を基本高水流量にするための伏線である。
については、
辰巳ダム計画で真値の2倍ほどの基本高水ピーク流量にすることにできた根拠で、「新基準」の誤った規定と考えます。
引き伸ばし法は、架空の降雨をつくる便法です。
「新基準」では、棄却という手法をとり、一見、科学的な合理性があるように見えますが、(辰巳ダム計画では)棄却の判断の目安に、統計の考え方を装った、かなり怪しい手心を加える余地がありました。
科学的を装っていますが、恣意的な要素があり、科学的な態度ではないものでした。
少なくとも、この便法を採用するにしても、架空の降雨群に手心を加えるのではなく、統計的手法のみで(科学的根拠のもとに)処理するべきでしょう。
返信する

コメントを投稿

ダム問題」カテゴリの最新記事