朝霧大橋から望んだ、浅野川放水路入り口の様子。平成27年10月11日13時ころ。放水路のゲートが全開されている。
平成20年7月(2008)の浅野川水害時は半開であったので、水害を防ぐことができなかった。浅野川の洪水防止のために昭和49年(1974)に完成していたにもかかわらずである。水害に間に合わなかったのは、辰巳ダムに拘泥したために全開するきっかけを失ったためである。
辰巳ダムが完成していなかったので全開できなかったという言い訳を河川関係者はするが、浅野川放水路が完成した時点では、辰巳ダムは陰も形もなく、ゲートは全開することになっていたのである。
辰巳ダムを造りたいがために、犀川総合開発事業を作り直すことになったために歯車が狂った。作り直すという意味は、犀川で想定した前の計画では金沢を洪水から守れない、犀川は危険だ、浅野川放水路からの洪水を全量受けることはできないということになったからだ。こんな馬鹿なことを考える前は、浅野川放水路ができて、この負担を相殺するための内川ダムを造ったのでこれで犀川も浅野川も安心だということになっていたのである。
平成20年7月(2008)の浅野川水害時は半開であったので、水害を防ぐことができなかった。浅野川の洪水防止のために昭和49年(1974)に完成していたにもかかわらずである。水害に間に合わなかったのは、辰巳ダムに拘泥したために全開するきっかけを失ったためである。
辰巳ダムが完成していなかったので全開できなかったという言い訳を河川関係者はするが、浅野川放水路が完成した時点では、辰巳ダムは陰も形もなく、ゲートは全開することになっていたのである。
辰巳ダムを造りたいがために、犀川総合開発事業を作り直すことになったために歯車が狂った。作り直すという意味は、犀川で想定した前の計画では金沢を洪水から守れない、犀川は危険だ、浅野川放水路からの洪水を全量受けることはできないということになったからだ。こんな馬鹿なことを考える前は、浅野川放水路ができて、この負担を相殺するための内川ダムを造ったのでこれで犀川も浅野川も安心だということになっていたのである。