犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム裁判>裁判で技術の議論をする意味 つづき26

2016年02月29日 | 辰巳ダム裁判
前回、基本高水について水文統計学で科学技術的な答えがでない、と河川工学者が考えているのではないかというブログを掲載したが、読者から、わかりやすい分析をいただいた。

 「計画規模の雨で発生するだろうピーク流量群である母集団を標本がうまく代表しているか確信がもてないからだ」というものである。その分析は以下のとおりである。


「1.引き伸ばした対象降雨からのピーク流量群の平均値が最尤値※ であることに、心ある水文学者は同意すると思います。問題は、ご指摘のように計画雨量で実際に発生するピーク流量群(いわゆる母集団)を引き伸ばした対象降雨からのピーク流量群(いわゆる標本)がうまく代表しているかなのです。
 ※:最尤値(さいゆうち)とは、発生の確率が最も高い値

2.旧規準では引き伸ばし率を2倍以下にとどめ、対象降雨からのピーク流量群のカバー率50%以上のピーク流量を基本高水流量に決定する、実際はカバー率60%~80%が選択されるとしていました。ところが現実的には安全度を最高に考慮して、最大値を基本高水流量としてきました。カバー率50%は最尤値なので、カバー率50%のピーク流量を基本高水流量に決定して原理的に間違いはないのです。しかし引き伸ばした対象降雨からのピーク流量が、実際の計画雨量で発生するピーク流量群を代表しているか確信が持てず、大きなピーク流量が標本として取り込まれていないことを危惧して、カバー率を大きくしているのが背景にあると判断しています。大きなピーク流量が標本として取り込まれていないことを危惧するなら、小さなピーク流量も取り込まれてないことも危惧しなければなりません。そのように考えるならば、カバー率の大きなものを採用することもありません。

3.新基準では引き伸ばし率を2倍程度にとどめ、時間的・空間的に発生し難い降雨を棄却して、残った対象降雨からのピーク流量群の最大値を基本高水流量に決定しています。この方法は引き伸ばし率が大きな降雨、発生し難い降雨からのピーク流量群は標本として不適切として棄却しています。標本として不適切とする根拠はないのです。

4.旧規準でも新基準でも母集団を標本がうまく代表しているか確信が持てないので、安全度を考慮してカバー率60%~80%どころか最大値を選び、また棄却に恣意性を持たせたりしているのです。」

 こちら側が、50%値以上で慎重に選んで60~80%値とすれば妥当な数値を得られると主張しても、確信を持っていないことが見透かされている。裁判では「基本高水をカバー率50%値で決める科学技術的根拠はない」と切り捨てられてしまった。基本高水をカバー率50%で決めるとは主張したわけではないが、50%以上ということで50%値も含まれるわけで、50%値という根拠を攻撃されて確たる反論ができなくて、50%以上とした主張の全体が否定されたわけだ。

 基準では、統計学的な手法を持ち込んではいるが明確でない。(母集団を標本がうまく代表しているか確信が持てないので、)50%値を採用できない、ピーク流量群のすべてをカバーしないと危険な治水計画になる、だから、100%値にしなければならないということだろう。だが、目一杯ということだと際限がないので上限が設定されている。基準では、採用することが不適当な降雨は棄却することになっている(引き伸ばした降雨の超過確率が計画規模の超過確率に対して著しく差異がある場合)が、辰巳ダム計画では、その上限の決め方は、定義がはっきりしない発生可能性という理由のかなり際どい決め方でなされている。

 裁判では、この怪しげな主張に対して攻めきれなかった。統計学的な建前(50%値が真値だ)だけでは説得力がもう一つだった。母集団を標本がうまく代表しているケースとうまく代表していないケースを分けて説得すべきだったかもしれない。
うまく代表しているケース(観測流量による年最大流量群)、うまく代表していないケース(引き伸ばした降雨からのピーク流量群)と分けて説明するなどかな。理解が不十分だが。
(つづく)
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辰巳ダム裁判>裁判で技術の議論をする意味 つづき25

2016年02月26日 | 辰巳ダム裁判
河川工学者にとって水文統計学は便利な道具

 基本高水の決め方について、統計に博識の方から「ご意見」をいただいた。

「ご意見」: 基本高水の正しい決め方は、ピーク流量群の最大値ではなく、平均値を採用するべきだ。
(統計学的には平均値採用が当然。ただ、この主張を裏付ける河川工学関係の学術資料は、今のところ見あたらないとのことだった。)

 確かに、旧基準で、カバー率50%以上で慎重に決めるという規定があって、「手引き」の計算例には、カバー率50%値を採用する例が掲載されていた。カバー率50%値、つまり、中位数(≒平均値)を採用するべきという学術論文があってもよさそうなものだ。

 「カバー率50%値(≒平均値=真値) → 基本高水」という考え方には同意である。

 ただ、「ピーク流量群の平均値 = 計画規模のピーク流量の真値」であるとしても、
真値 → 基本高水ピーク流量
と考えるかどうかは、難しいところである。
基本高水ピーク流量は、洪水防御計画の基本となる数値で、自然現象の不確実性を考慮する必要から、
真値×α、あるいは真値+α → 基本高水ピーク流量
 としたいところである。

 旧基準の解説でも、カバー率50%以上で、採用は60~80%の例が多いという記載だった。「平均値 → 基本高水ピーク流量」ではなく、「平均値×αあるいは+α →基本高水ピーク流量」ということと同義である。

 統計学的には、計画規模の雨量確率と同じ流量確率は、ピーク流量群の平均値であるとすると、αを加味すると基本高水ピーク流量は、計画規模の雨量確率と違うことになる。最大値を選択するケースも計画規模の雨量確率と違うことと同じになる。この点からすると、旧基準も新基準も考え方に差はない。

 意見をよせていただいた方がその方面の権威に確認したところによると、河川工学者の共通認識は、「ピーク流量群のすべてのピーク流量の流量確率は計画規模の降雨の雨量確率と同じとすることが暗黙の了解」になっているということらしいが、旧基準も新基準でも、この考え方に変更はない。

 辰巳ダムの例では、1/100の対象降雨から求めたピーク流量群(24個、547~1741立方メートル毎秒)のどれを選んでも流量確率1/100(治水安全度1/100)とするということである。
だが、現実とは全く合わない。547立方メートル毎秒が100年確率値(おおむね100年に1回)ということになるからである。同様に、1741立方メートル毎秒も100年確率であるのは非現実的だ。

 司法の場での解釈は、
1/100の雨量は、「法が想定した枠」とすると、ピーク流量24個のうちのどれを選んでも「行政裁量の逸脱・濫用がない範囲」ということか。

 基本高水を決めるために、河川工学者は、水文統計学の超過確率概念という便利な道具を用いることにしたが、水文統計学で基本高水の科学技術的な答えがでない、と思っているのではないか。この道具を都合のよいところで便利に使用しているのは明らかだ。
(つづく)
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辰巳ダム裁判>裁判で技術の議論をする意味 つづき24

2016年02月24日 | 辰巳ダム裁判
 犀川で辰巳治水ダムが造られるまでに、基本高水が何回も修正された。
 最初の犀川ダムは、既往最大流量(雨量から推定)で基本高水を決定した。
 二つ目の内川ダムは、1/100の雨量データを中安の単位図法という流出解析法により、基本高水ピーク流量1600立方メートル毎秒。
 三つ目の辰巳ダム(当初)は、同じく1/100の雨量データからモデル降雨を想定し、貯留関数法という流出解析法により、基本高水ピーク流量1920立方メートル毎秒。
過大だという住民の批判などを受けて、石川県は見直し、新たな雨量データを加えて再検討、同じく貯留関数法を用いて、基本高水ピーク流量1750立方メートル毎秒。
 
 1/100の洪水の大きさは、1600 →1920 →1750 と変遷している。いずれの数値も国で1/100の洪水として一旦はオーソライズされたもので、科学技術的な根拠が明確であり、1/100の洪水として採用できる。

 大きくすればするほど安全度が増すと単純に考えていないのは確かで、最後の基本高水の設定にあたっては、大量の資料分析をもとに丁寧で精緻な理由付けがされている。その核心のところの一つが、「貯留関数法」である。

 基本高水の決め方は、単純化すると以下の3段階に分けられる。
 ①対象降雨量(1/100の降雨)→②降雨波形(降雨の降らせ方)→③貯留関数法(ピーク流量)
 ①は、定説のある統計手法、②は定説が無くて行政裁量、ということで、問題があるとしたら、③しかない。

 コンサルタントが作成した「貯留関数法」の数値を鵜呑みにしてきたが、これをしっかりと、こちらが中身を確認するべきだった。当初から、説明責任は行政にあるのだから、こちらが呈した疑問に行政が答えるべきと思っていたが、裁判では、訴えを起こした側に立証責任があるということなので、考えは甘く、誤りだった。

 行政の事業を監視するのは、立法(議会)と司法であるが、いずれも科学技術に関しては素人でチェックできない。だから、これを監視し、チェックするのは、利害関係のない住民だけであり、加えて、ある程度の知識が必要なので限られる。当方は、技術分野にかかわる立場において社会に属する一員として自分の努めをつくしたい。ので、遅きに失している感はあるが、「貯留関数法」に取り組むことにした。

 行政というのは、複雑な社会を機能させるための人的な組織である。複雑で高度な社会の基盤施設の事業にたずさわる行政は、技術者を抱え、利害関係のある業界、学会を取り込み、巨大な恐竜のような存在になっている。本来は、住民のための手足のような存在と思うが、手足が勝手に動いてしまっては、世の中のためにならない。
(つづく)
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辰巳ダム裁判>裁判で技術の議論をする意味 つづき23

2016年02月23日 | 辰巳ダム裁判
 多目的ダムを造る事業が創設されてこの流れに乗って犀川では、3つの治水ダムができた。ダムが最初にあって、治水は後から付けられた理由だ。氾濫被害をまず、削減しようと考えるなら、ピーク流量対策というより、堤防の強化である。なぜなら、堤防を強化して崩壊しにくくすれば、洪水の氾濫量を減らすことができる、堤防が崩壊しなければ、氾濫量は制限され、浸水被害はあっても人的被害は比較的、少ない。特に、犀川のように、ピーク流量付近の洪水が短時間の場合は、最も有効で優先して実施するべき対策である。昭和36年の第二室戸台風で犀川右岸の市街地で洪水氾濫があったが、堤防の上のパラペット(コンクリート壁)の一部が壊れて洪水が市街地に流れ込んだだけで、氾濫による被害は浸水被害にとどまった。

 現在のところ、ピーク流量対策ばかりで、堤防強化を考えて対策が行われていない。堤体は土堤防原則により、土で造られているので越水すると容易に壊れる。これを防ぐために、想定のピーク流量をより大きく設定することにとらわれており、これがピーク流量をカットするための治水ダムよる治水が最優先となっている原因だ。

 土堤防を強化すること、越水に耐えられる堤防とすれば、治水ダム優先とはならない。少なくとも、同時平行で整備されるはずだ。

 技術が未熟な時代は、流れの勢いを削ぐ工夫をするか、弱いところを造って一部を氾濫させるか、など受け身ともいえるような対策が主である。流れそのものをコントロールしようという治水ダムのような技術は取りがたい。せいぜいが、堤防の土をどんどん積み上げて、越水に対抗するくらいである。堤防を強化する方法も堤体の厚みを増すことと、堤防を踏み固めることくらいである。
 犀川では、江戸期に、中流の2流を川除(かわよけ、堤防)を造って一流とした。その始点と終点の堤防に接して神社が設けられているが、堤防上の道を参道として利用して踏み固める効果を期待したのではないか(当方の推測!)。

 国は、数時間の越水に耐えられる堤防の研究がなされたこともあったらしいが、治水ダム優先の考え方から、これをタブー視していたようだ。昨年の鬼怒川の氾濫以来、その方針の変更もあるようであるが。
(つづく)
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辰巳ダム裁判>裁判で技術の議論をする意味 つづき22

2016年02月22日 | 辰巳ダム裁判
河道の余裕高部分を流下能力の一部として見込む案は、

 提案されることがあるが、河川管理施設等構造令の規定もあり、現在のところ、代替案として公式に取り上げられることはない。

 しかし、公式に採用されないとしても、現実には、余裕高の部分の流下能力を見込んでいるという実体があるというべきではないか。というのは、1/100の洪水を防御するために造られた堤防は、1/200の洪水が起きた場合に堤防が崩壊するまでは、河道の余裕高の部分を洪水は流れる。見込む、見込まないにかかわらずである。

 平成20年7月の浅野川水害では、河道の余裕高部分も満杯になった。堤防は崩壊しなかった。コンクリート壁の切り欠き部などから浸水したが、河道の余裕高部分は、堤防として機能した。
 犀川の基本高水のように、ピーク流量付近の洪水の山が短時間である場合は、堤防がこの洪水に耐えて崩壊しないということもあるので、河道の余裕高部分を流下能力の一部として見込む案という選択肢もあることは現実の例からも明らかだ。

 また、辰巳ダム以前の状態を想定すると、河道の余裕高部分を流下能力の一部として見込む案を採用していたと見なすこともできる。
第二次犀川総合開発事業で内川ダムが造られた時点では、(辰巳ダム時点とは内容は異なるが)1/100の洪水の調節ができて犀川大橋基準点で洪水氾濫が起きないということになっていた。その時点で、犀川ダムと内川ダムの2つの治水ダムだけであり、辰巳ダムの影も形もない。

 この時点の犀川の治水の姿は、辰巳ダム裁判で争った辰巳ダム代替案の何もしない案に相当している。考慮するしないにかかわらず、内川ダム時点で計画した1/100の洪水を超える洪水が起きれば、河道の余裕高部分も洪水を流下させることになる。

 石川県が検討した辰巳ダム代替案では、ダム案240億円に対して、放水路案、遊水池案、河道拡幅案などが挙げられ、おおよそ一千億円から二千億円という莫大なコストがかかるというものであった。これに対して、余裕高の部分の流下能力を見込むという案は、代替案としてはAランクではなく、Bランクかもしれないが、コストが要らず、現実的な対応としての選択もあってもよいのではないか。このような議論は全く行われていないが。

 さらに、堤防を強化する案であれば、準Aランクとなる。裁判では、ダム代替案について争ったが、堤防の強化案は提示していない。洪水氾濫被害は、基本高水の特徴と大いに関連があるので、単にピーク流量が大きさに捉われるのではなく、いろいろな治水防御方法があってもよいのではないか。裁判を通じて現在の治水について考えさせられている。
(つづく)
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