昭和55(1980)年頃だったか、広州へ旅したことがあった。
文革が終わって自由渡航が出来るようになったころ。
まだ、貧しくてこれから経済発展だと、鄧小平が「改革開放」を始めたころ。
中国共産党政権も日本と融和的だった。
当方も各県にある日中友好協会の仲間になろうかという気分になった時もあった。
日本国民全体の心情も友好的で、
日本の国をあげて中国の経済復興に協力したといっていいだろう。
中国は米国に次いで2番目の経済大国に発展した。
めでたしめでたいとはならなかった。
経済大国になることに歩調をあわせて米国に次ぐ軍事大国になった。
経済軍事の大国になるにつれて、融和的どころか、
政治的、経済的、軍事的の多面にわたり、圧迫を加えてくるようになってきた。
鄧小平が「韜光養晦(とうこうようかい)」を主張していたのだから、内に力を蓄えれば外に力を奮うのは当たり前か(-_-;)
日本人の警戒心も高まり、日本国民の中国に対する感情が悪化してきた。
政界、経済界など過去に積み上げてきた蜜月関係を棄損したくないのか、
まだまだ、親中議員や親中経済人が多いのが懸念される。
仲良くしないといけないんだ、
一衣帯水の間柄だ、
十数億の民を持つ中国抜きで日本は成り立たない、
などと善意をもって中国に対応してきたが、関係を見直す時期だ。
文革が終わって自由渡航が出来るようになったころ。
まだ、貧しくてこれから経済発展だと、鄧小平が「改革開放」を始めたころ。
中国共産党政権も日本と融和的だった。
当方も各県にある日中友好協会の仲間になろうかという気分になった時もあった。
日本国民全体の心情も友好的で、
日本の国をあげて中国の経済復興に協力したといっていいだろう。
中国は米国に次いで2番目の経済大国に発展した。
めでたしめでたいとはならなかった。
経済大国になることに歩調をあわせて米国に次ぐ軍事大国になった。
経済軍事の大国になるにつれて、融和的どころか、
政治的、経済的、軍事的の多面にわたり、圧迫を加えてくるようになってきた。
鄧小平が「韜光養晦(とうこうようかい)」を主張していたのだから、内に力を蓄えれば外に力を奮うのは当たり前か(-_-;)
日本人の警戒心も高まり、日本国民の中国に対する感情が悪化してきた。
政界、経済界など過去に積み上げてきた蜜月関係を棄損したくないのか、
まだまだ、親中議員や親中経済人が多いのが懸念される。
仲良くしないといけないんだ、
一衣帯水の間柄だ、
十数億の民を持つ中国抜きで日本は成り立たない、
などと善意をもって中国に対応してきたが、関係を見直す時期だ。