goo blog サービス終了のお知らせ 

犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

【辰巳ダム】日本の行政の律義さ

2025年01月28日 | 辰巳ダム
 「石川県総務部総務課行政サービスセンター」という役所から、書類が送られてきた。
 公文書公開請求で足しげく通ったところだが、すでに10年近く遠ざかっていた。
 何事かと開封すると、以下の三通の文書が入っていた。

(辰巳ダム建設に係わる公文書公開請求の件)
①「審査会諮問通知書」(石川県知事→中登史紀,R6.12.16)
②「異議申立てに係る理由説明書の送付及び意見書の提出について(依頼)」(石川県情報公開審査会会長→不服申立人,R7.1.27)
③(写)「異議申立てに係る理由説明書の提出について,(別紙)理由説明書」(石川県知事→石川県情報公開審査会会長,R7.1.9)

①は、石川県から当方への案内
②は、情報審査会から当方へ、石川県の文書内容についての意見を求めたもの
③は、石川県が情報審査会へ提出した文書の写し
である。

 経過を年月日を入れて以下に示すと、
 当方が情報公開請求(H24.11.3,H25.9.13)
➡石川県が不存在との通知(H24.11.26,H25.9.27)
➡情報公開審査会に存在しているはずと異議申立て(H24.12.12,H25.10.31)
➡石川県が情報公開審査会に諮問(R6.12.16)
➡情報公開審査会が石川県に理由の説明を求める(R6.?.?)
➡石川県が不存在の理由を情報審査会へ説明(R7.1.9)

 どうも、異議申立ての文書が石川県の部署に滞留して、12年も経過して石川県情報公開審査会に諮問されたようだ。
 文書が宙ぶらりんになっていたので、最終の処置をするように迫られたか。
 良く解釈すれば、
 日本の行政の律義さ、正直さ、公務員の遵法精神が旺盛だということだ(^^;)
 すでに異議申立て理由が消滅しているのだが、不服申立て人の意見は無いという意見書を提出することにした(-_-;)
 
 ちなみに、辰巳ダムは平成24年11月(2012.11)が竣工し、稼働している。
 異議申し立ての理由は、ダム事業者(石川県)との有意義な議論の材料とするためのものだから、ダムが完工しているので意味をなさない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【日々是好日なり】久しぶりの辰巳ダム

2024年02月28日 | 辰巳ダム
 辰巳ダムの現場を覗いてきた。
 水量は、3.42m3/秒。
 清流だった。 
 【ダム提体上流側】


 【ダム湖側】


 貯水ダムは、ダム湖の水位変動する区間の壁面に植生が無くて殺風景な感があるが、辰巳ダムは治水専用で空ダムであり、滅多に湛水することはなくて、ダム湖の壁面には植生が繁殖し、周囲の天然自然に馴染んでいる。 
 壁面が荒れて自然破壊が進むと思ったがそうでもなかった。

 当初のダム計画では、湛水してボートも浮かべて景観を楽しむという目論見もあったが、周辺には5集落もあり、ダム湖の水質悪化の恐れがあり、大反対だった。
 空ダムになってよかった。
 集落の人達にとっては、橋替わりのダム、右岸側の県道に容易に取りつくことができるようになって大満足か。

 最も大きい成果は、辰己用水東岩取水口が当時のまま、残ったことだ。
 当初の計画では、150mほどの区間でダム提体の底に埋没してしまうことになっていた。
 よかった(^^)/
 辰巳用水の水門番の方が今も管理しておられるとのこと。
 管理棟からゲートの操作ができるようになっているという。
 スクリーンの前に流木等が堆積したときはダムに設置してある階段を利用して降りて取り除きをしているという(以前は、長い斜路を長い距離降りる必要があって大変だった。)
 【辰巳用水東岩取水口】


 【辰巳用水取水口から下流】

 辰巳ダムは市街地近接のダムで特徴的
 ➡ ダム湖に沈んだ民家はゼロ、条件の悪い田畑を手離し補償を受けた、
  市街地に近く(近い方が治水効果が大きい)、市街地の企業の通勤圏だったため、ダム建設で村(集落)は衰退しなかった。
 ➡ 当初の多目的ダム(利水+治水)から、空ダム(治水専用)になって、目的がはっきりし、管理運用も著しく改善された、というよりも管理不要となった。
  (ランダムな降雨、その降雨による出水、これを予測しあらかじめダム操作を行うが難しい、結果的に災害が起きると人災と責められる!)
 【ダム提体の道路と集落】


 湛水、流木のことについて、ダム管理棟の県職員の方に尋ねた。
 2,022年8月4日の大雨で、満水まで約4mまで達し、中段の洪水吐きから放流したとのこと(洪水時最高水位EL132m、ダム湖の水位が128m弱まで到達)。
 流木については、犀川で年に1,2回、流木の処分をしているとのこと。
 辰巳ダムの下段常用洪水吐き、ダム湖の上流端付近にある流木止めのところに、出水で流木が引っかかる。
 上流で取り除くので、下流の堆積がなくなり、景観上も好都合か。
(注:辰巳ダムは無人管理であるが、犀川ダムの管理担当の方々は待機場所となっていた。現在、犀川ダムまでの県道が落石のため通行止めとなっているためとのこと、場合によってはヘリなどで行き来しているとのこと。)
【流木止め】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辰巳ダム>辰巳ダム建設反対にかかわる活動の終結の案内

2020年07月07日 | 辰巳ダム
 「辰巳の会」の仲間が集まり、辰巳ダム建設反対にかかわる活動を終結することにした。昭和54年に問題が提起されて以来、約40年にわたる活動である。
2020年7月7日に「終結の案内」と活動をまとめた記録集「うつくしき川は流れたり――辰巳ダム建設反対運動記録集――」を同封して活動支援者へ送付した。

 「仲夏のみぎり、ご健勝のことと存じます。
 およそ40年におよんだ辰巳ダム反対運動は最高裁で上告不受理となり、その後の原告有志による辰巳ダム反対運動記録集の完成をもって終結となりました。
 長年にわたるご協力、ご支援に、あらためて感謝申し上げます。
 (以下、省略)」


 土木技術者(専門は下水道)である当方にとっては、土木技術の花形の一つであるダム建設については、当然ながら心情的には肯定的だ。だが、犀川の第三の多目的ダムである「辰巳治水ダム建設」の土木技術的根拠の誤りを明らかにして、ダム建設反対の活動を行ってきた。ダムは建設され、当初の活動目的は実現できなかったが、少なからず、成果もあったと自負している。
 
 水道技術者である当方にとっては専門外であったが、水道やダムなどを包含した土木技術全体の観点からは、ダム専門技術者よりもダム技術を客観視できたようにも思う。
一言で言えば、ダムは本質的に利水のためのものであり、治水目的は多目的ダム建設を促進するために付加されたもので本来、ダムは治水のためのものではない。

 いずれにしても、門外漢であったダムにかかわり、辰巳ダム建設反対にかかわる活動も含めて、約40年の間、辰巳ダムにかかってきた。ほどなくして後期高齢者の仲間入りする当方にとっては、終活の一端である。終止符を打つことができてほっとしている。

令和2年7月7日
中登史紀

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辰巳ダム>辰巳ダム建設反対にかかわる活動の終結の案内

2020年07月07日 | 辰巳ダム
 「辰巳の会」の仲間が集まり、辰巳ダム建設反対にかかわる活動を終結することにした。昭和54年に問題が提起されて以来、約40年にわたる活動である。
2020年7月7日に「終結の案内」と活動をまとめた記録集「うつくしき川は流れたり――辰巳ダム建設反対運動記録集――」を同封して活動支援者へ送付した。

 「仲夏のみぎり、ご健勝のことと存じます。
 およそ40年におよんだ辰巳ダム反対運動は最高裁で上告不受理となり、その後の原告有志による辰巳ダム反対運動記録集の完成をもって終結となりました。
 長年にわたるご協力、ご支援に、あらためて感謝申し上げます。
 (以下、省略)」


 土木技術者(専門は下水道)である当方にとっては、土木技術の花形の一つであるダム建設については、当然ながら心情的には肯定的だ。だが、犀川の第三の多目的ダムである「辰巳治水ダム建設」の土木技術的根拠の誤りを明らかにして、ダム建設反対の活動を行ってきた。ダムは建設され、当初の活動目的は実現できなかったが、少なからず、成果もあったと自負している。
 
 水道技術者である当方にとっては専門外であったが、水道やダムなどを包含した土木技術全体の観点からは、ダム専門技術者よりもダム技術を客観視できたようにも思う。
一言で言えば、ダムは本質的に利水のためのものであり、治水目的は多目的ダム建設を促進するために付加されたもので本来、ダムは治水のためのものではない。

 いずれにしても、門外漢であったダムにかかわり、辰巳ダム建設反対にかかわる活動も含めて、約40年の間、辰巳ダムにかかってきた。ほどなくして後期高齢者の仲間入りする当方にとっては、終活の一端である。終止符を打つことができてほっとしている。

令和2年7月7日
中登史紀

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辰巳ダム建設反対運動記録集ができた!

2019年09月10日 | 辰巳ダム
2017(平成29)年2月に最高裁の判断がくだされた後、記録集作成委員会で議論をしながら、進めてきた冊子『辰巳ダム建設反対運動記録集』がやっとできた。

1979(昭和54)年に金沢大学の先生が問題提起され、文化遺産である辰巳用水東岩取水口地点にダム本体が建設される計画であったことから、事業主体の石川県と学識者を中心とした住民との対話、並行して共有地によるダム反対運動も行われ、多くの金沢市民も参加するダム反対運動に発展した。石川県も一時、中止の動きを見せたが、紆余曲折があり、ダム本体建設に着手することが決定され、ダム湖にかかる共有地を収用するための手続きにより、2007(平成19)年11月に北陸地方整備局が事業認定処分を下した。この事業認定処分取消を求めて、2008(平成20)年5月に提訴することになり、2017(平成29)年2月の裁判終結まで合計で約9年間を要した。その後、辰巳ダム建設反対運動記録集作成委員会を設置して記録集の作成を続け、2019年(令和元)年8月に刊行した。

冊子のタイトルは、「うつくしき川は流れたり」として、辰巳ダム建設反対運動記録集は副題とした。
犀川のたもとで幼少期を過ごした室生犀星の抒情詩から拝借した。詩の転載等について、許諾、申請の必要はないとのことであったが、室生犀星記念館の室生洲々子さんに了解をお願いした。

ダムは建設されたが、辰巳ダム問題にかかわり、犀川の自然環境と辰巳用水の文化遺産の保護にとり組み、辰巳ダム建設反対運動を続けてきた我々の活動は無駄ではなかった。
空ダム(治水専用)に変更され、ダム位置も変更された(辰巳用水東岩取水口を避けて上流へ移動)。常時は水を貯めないので犀川本流の水の汚濁を防ぎ、文化遺産である東岩取水口も取り敢えずは破壊をまぬがれた。
辰巳の自然、辰巳用水東岩取水口をまもり、ひいては犀川の保全の一助となった。
いまもその川ながれ、うつくしき川は流れたり。

追伸:
 記録集は、国会図書館、石川県内の公立図書館に寄贈してありますので、閲覧/貸出ができます。
また、余部がありますので、記録集をご希望の方は以下へご連絡下さい。
犀川の河川整備を考える会 中登史紀(ナカ トシキ)
 メールアドレス:naka@nakaco.com
なお、頒価(500円)、郵送代(360円)です。

『記録集』の目次の紹介
はじめに    1
特別寄稿「公共事業と環境問題」               ・・・・宮本憲一 3
意見陳述書「辰巳ダム裁判控訴審最終意見陳述(2015年7月6日)」・・・・碇山洋  7
第1部
第1章 犀川の治水と辰巳ダム 11
第2章 辰巳用水保護・犀川峡谷自然環境保護とダム反対運動 20
第3章 合理的な治水政策を求めるダム反対運動 31
第4章 治水を中心に据えた裁判闘争 63
第5章 辰巳ダム反対運動の成果と残された課題 101
第2部
第6章 私と辰巳ダム反対運動 109
私と辰巳ダム反対運動(その1)
私と辰巳ダム反対運動(その2)
第7章 ダム反対運動にかかわって――専門家の立場から 119
第8章 辰巳ダムからみる私たちの社会  ・・・・・・  碇山洋 123
【私論】(千年確率の)洪水浸水想定区域図について ・・・・・・ 中登史紀 164
コラムA.平成20年・浅野川洪水の原因は辰巳ダムだ!――浅野川放水路という「切り札」を切り損なった
コラムB.虚構の文化財保護審議会答申
コラムC.北陸電力送電鉄塔移設の隠された理由
コラムD.「カチ殺せ」――現職県会議員の公式質問で出た暴言、背景には利権がらみの癒着
コラムE.治水ダムの根拠である基本高水の決定が、「既往最大洪水」主義から「確率」主義へ変わった
コラムF.辰巳ダムのマジック
コラムG.辰巳ダムの建設業者は13年も前に決まっていた ―― 巨大公共土木事業をめぐる政官業の癒着
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする