犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

【日々是好日なり】末浄水場の緩速ろ過施設

2024年02月29日 | 上水道
 辰巳ダムの帰りに、「末浄水場」に寄ってきた。
 元上下水道技術者として、案内板を見かけると気にかかるので通り過ぎるわけにもいかない。

 この浄水場の特徴は、その浄水方式にある。
 二つの方式を採用しており、注目すべき方式は、
 「緩速ろ過」といって砂のろ過層の上に繁殖させた生物膜で雑菌を取り除くというもので一見、原始的な方法であるが、自然の浄化力を利用した、優れものの浄水法である。
 ろ過のために薬品を使用しないので水質は極上である。
 だが、広い面積が必要であり、砂の管理が容易ではないので都市の浄水場では採用されなくなった方式である。
 多くの都市で採用されている「急速ろ過」は、「緩速ろ過」方式の30分の1ほどの広さで済む。
 
 稼働しているかどうか確めてきた。
 係りの方の説明によれば、稼働を続けていますとのことだった。
 日量4万トンの能力であるが、急速ろ過施設の能力を優先し、不足を補う形で運用しているとのこと。
 はっきり教えてもらえなかったが、平均的に日量1~2万トンくらいで、今日はどうも稼働していないようだった。
 冬は上水供給量が少ない。

 国の登録有形文化財にも登録されている上、金沢市の浄水場の金看板ともなっている貴重な施設ともなっている。
 写真を一枚、撮ってきた。

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【日々是好日なり】久しぶりの辰巳ダム

2024年02月28日 | 辰巳ダム
 辰巳ダムの現場を覗いてきた。
 水量は、3.42m3/秒。
 清流だった。 
 【ダム提体上流側】


 【ダム湖側】


 貯水ダムは、ダム湖の水位変動する区間の壁面に植生が無くて殺風景な感があるが、辰巳ダムは治水専用で空ダムであり、滅多に湛水することはなくて、ダム湖の壁面には植生が繁殖し、周囲の天然自然に馴染んでいる。 
 壁面が荒れて自然破壊が進むと思ったがそうでもなかった。

 当初のダム計画では、湛水してボートも浮かべて景観を楽しむという目論見もあったが、周辺には5集落もあり、ダム湖の水質悪化の恐れがあり、大反対だった。
 空ダムになってよかった。
 集落の人達にとっては、橋替わりのダム、右岸側の県道に容易に取りつくことができるようになって大満足か。

 最も大きい成果は、辰己用水東岩取水口が当時のまま、残ったことだ。
 当初の計画では、150mほどの区間でダム提体の底に埋没してしまうことになっていた。
 よかった(^^)/
 辰巳用水の水門番の方が今も管理しておられるとのこと。
 管理棟からゲートの操作ができるようになっているという。
 スクリーンの前に流木等が堆積したときはダムに設置してある階段を利用して降りて取り除きをしているという(以前は、長い斜路を長い距離降りる必要があって大変だった。)
 【辰巳用水東岩取水口】


 【辰巳用水取水口から下流】

 辰巳ダムは市街地近接のダムで特徴的
 ➡ ダム湖に沈んだ民家はゼロ、条件の悪い田畑を手離し補償を受けた、
  市街地に近く(近い方が治水効果が大きい)、市街地の企業の通勤圏だったため、ダム建設で村(集落)は衰退しなかった。
 ➡ 当初の多目的ダム(利水+治水)から、空ダム(治水専用)になって、目的がはっきりし、管理運用も著しく改善された、というよりも管理不要となった。
  (ランダムな降雨、その降雨による出水、これを予測しあらかじめダム操作を行うが難しい、結果的に災害が起きると人災と責められる!)
 【ダム提体の道路と集落】


 湛水、流木のことについて、ダム管理棟の県職員の方に尋ねた。
 2,022年8月4日の大雨で、満水まで約4mまで達し、中段の洪水吐きから放流したとのこと(洪水時最高水位EL132m、ダム湖の水位が128m弱まで到達)。
 流木については、犀川で年に1,2回、流木の処分をしているとのこと。
 辰巳ダムの下段常用洪水吐き、ダム湖の上流端付近にある流木止めのところに、出水で流木が引っかかる。
 上流で取り除くので、下流の堆積がなくなり、景観上も好都合か。
(注:辰巳ダムは無人管理であるが、犀川ダムの管理担当の方々は待機場所となっていた。現在、犀川ダムまでの県道が落石のため通行止めとなっているためとのこと、場合によってはヘリなどで行き来しているとのこと。)
【流木止め】

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【日々是好日なり】日本の「道」、漢土の「道」

2024年02月27日 | 日々是好日なり
(本居宣長「直毘霊(なおびのみたま)」より)※
神代のままに安らかな国つぃて、平和に御治めになってきた国であったから、
日本書紀の孝徳天皇の巻に、「神ながらということは、神の道にしたがって事を行われて、そこにしぜん神の道があるのを言うのである」、、、

古代には事々しく道ということを言い立てることも全くなかった。
であるから、古く「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国」(葦原の原の中の稲穂の美しく実るこの日本の国は、神代のままに事をやかましく言い立てない国である)と言っている。

道と言えばただ人の歩いて行く道があるだけであった。
ミチという語は、「古事記」に味御路(うましみち、よい道)と書いているように、山路(やまぢ)、野路(のぢ)などの路(ち)に、御(み)という接頭語を添えたもので、ただ歩いて行く路(みち)のことで、これ以外には上代には道というものはなかったのである。

物の道理やいろいろな教説を、何の道、かにの道ということは外国の沙汰である。
、、、他人の国を奪い取って、再び他人に奪われないようによく計画し、しばらく国をよくおさめて、後世の規範ともなった人を漢土では聖人というのである。、、、
その聖人たちが作為して制定しておいたことを道というのであるが、してみれば漢土で道というものも、その本質を考究すると、要するに他人の国を奪おうとする方法と、他人に奪われまいとする心構えとの二つを出ないものである。、、、
作為して残した道の外観も、いかにも立派で万事を具備してすばらしいもののように見えるが、まず第一に自分自身からその道に背反して、君を滅ぼし、国を奪った者であるから、みな虚偽であって、真実には善い人ではなく、非常な悪い人間であることだった。本来そのようなきたない心でもって作り出し、人をだまず道であるせいか、後世の人も表面は尊重し、守りしたがっているような顔をしているが、実際は一人としてそれを守ろうと努めている人はいない。
だから、国政に益することもなく、その名だけが広まって、結局全く実行されることはなく、聖人の道は、ただむなしく各時代の儒者たちが他人を避難する弁舌の材料というに過ぎないものになってしまった。
それを儒者が、単に六経という書物だけを楯にとって、漢土を道の正しい国だと言ってさわぐのは、全く事実に反したことである。
このように道というものを作って正そうとするのは、本来道が正しくないためのことであるのに、かえって偉大なことのように思ったり言ったりするのはばかげている。それも後世の人がその道のままに実行したというならともかく、そんな人は各時代を通じて一人もあり得ないことは、漢土の代々の歴史に徴しても明白ではないか。、、、、

※直毘神(なおびのかみ、なほびのかみ):神道の神。穢れ(けがれ)を払い、禍(まが)を直す神。
 日本神話の神産みにおいて、黄泉から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったときに、その穢れから禍津日神(まがつひのかみ)が生まれた。
 この禍津日神がもたらす禍を直すために生まれたのが直毘神である。
 宣長はこの神の働きである「直」という力(直毘の霊力)を非常に重んじた。古道に帰り、日本精神は何か、それは直毘神の霊力であるとした。


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【日々是好日なり】国民の魂の礎、確たる日本精神があったればこそ、

2024年02月26日 | 日々是好日なり
亜細亜精神の両極の思想並びに文明を吾有(わがもの)にすることが出来た(^_^)

(大川周明『日本二千六百年史』より)
さて総ての国家は、プラトンが明瞭に説示せる如く、
「不動の巌の上に建てられたる家にたぐうべきものに非ず、国民の魂を礎とし、かつ国民の魂を以て組み立てられたる家」である。
従って日本国家を創造し、かつ現に創造しつつあるものは、端的に日本精神、または大和魂である。
それ故に吾らは、日本歴史を学ぶに当たりて、先ずその基礎たり同時に材料たる目的精神の本質について反省するであろう。
日本精神の数ある特徴のうち、その最も著しきものは、入り来る総ての思想・文明に「方向を与える」ことである。
それ故に吾らは日本精神を偉大なりとする。
そはまさしく一切の支流を合せてその水を大海に向かわしめ、かつ之によりて己れを豊かならしむる長江大河の偉業である。
吾らは先ずシナ思想及び文明と接触して之を吾有(わがもの)とし、次いで印度思想及び文明と接して之を吾有とした。
亜細亜精神の両極ともいうべきこれらの思想並びに文明は、実に日本精神によりて正しき方向を与えられたが故に、今日までその生命を護持し長養されて来た。
シナ思想の精華、従ってシナ文明の根底は、孔孟の教えではないか。而してその教えが日本に活きてシナに死んだのだ。
修身治人の学問としての儒教は、ついに道徳的にシナ民族を向上せしむることも出来ず、また政治的に之を発達せしむることも出来なかった。

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【日々是好日なり】(古は学問と言えば)修身治人

2024年02月25日 | 日々是好日なり
の道を究めることだった。
学問が知育偏重になり、
身を修めていない輩が政治に携わるから、
政治が堕落し、地に落ちる!

(大川周明『日本二千六百年史』の序論より)
吾らは永遠より永遠にわたる日本的生命の一断面である。
意識すると否とに拘わらず、吾ら国民総体としても、はたまた個々の日本人としても、実に日本歴史の全体を宿してこの世に立っている。
今日の日本を知らずして、明日の日本を察し難き如く、過去の日本を知らずして、今日の日本を知るべくもない。
吾らの現に生きつつある国家を、並びに吾ら自身を、正しく把握する為には、必ず国史を学ばねばならぬ。、、、

歴史はまさしく吾らの如実の姿を知るべき鏡であり、歴史を学ぶことは真個の自己を知る所以である。
真個の自己を知ることなくしては、正しき行動ももとより不可能である。
それ故に東洋に於ては、古来経史のニ学を士人必修のものとした。
経学は即ち哲学であり、※
史学は文字通り歴史である。

古(いにしえ)は学問と言えば修身治人の道を究めることであり、而して之を究めるために経史を学んだ。
修身治人とは、道徳並びに政治の意味なるが故に、修身治人の道とは、取りも直さず私人並びに公人として正しく世に処する道ということである。

※(Webより) 経学:中国古代の聖賢の教えを述べた書物(儒教の経典、経書、四書・五経・十三経の類)についての学問。
※(Webより) 哲学:人生・世界、事物の根源のあり方・原理を理性によって求めようとする学問。▷ ギリシア philosophia (=知への愛)の訳語。「哲」は叡智(えいち)の意。


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