犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム>ダムのすぐ下流の左岸に娚滝がある

2013年11月30日 | 辰巳ダム
 11月も今日で最後。今年も後1ヶ月を残すのみとなった。
「光陰矢のごとし」、「少年老い易く学成り難し」、60数年間、脳裏に浮かぶのは相変わらずのこの慣用句、成長していないなあ(^_^;)

 昨晩はミゾレまじりの雪の中、悪いコンディションだったけれど、辰巳ダム裁判「結審へ向けての報告集会」には少なからぬ人たちが集まった。演壇者ばかりではなく、参加者全員が、いままでの辰巳ダムとの関わり、建設され運用が始まったとはいえダム問題は終わったわけでないこと、地すべりの懸念など問題を抱えたダムとどう対処していけばいいのか、などそれぞれの思いと決意を述べあい、充実した、気分のいい雰囲気で終わった。

 今朝は起きて晴れて気持ちのいい日となったこともあって8時過ぎに辰巳ダムへ出かけた。金沢の自宅(7年ほど前から柳田在住、月に2,3回金沢滞在)は辰巳用水の近くにあり、辰巳用水を8kmほど遡ると辰巳用水東岩取入口(辰巳ダムと同じところ)に至る。

 上辰巳のバス停(だったと思うが)で県道とダム堤頂を通る相合谷集落への道に分かれるところがある。覗(のぞき)といって昔は大きな目印の一本松があったという。そこから、ダム堤頂を通る相合谷集落への道を少し降りた途中で車をとめると目の前に2筋の滝がある。娚滝(めおとだき)と言われる。冬は水量が多く目を引く。


 下の写真の娚滝の左側のところにダム管理棟が建っているが、そのあたりには、戦国時代一向一揆の将平野神右衛門拠った鷹ノ巣城の付砦である相合谷城跡があった。その遺構を調べた調査記録もあり、石川県遺跡地図にも登載されていた。自然の地形を利用した砦であり、特別の城壁はなかったようである。自然にできた深い溝があり、平生はわずかに水が流れているところが、いざというときには娚滝の一筋をせき止めて水を貯め防御のための水堀にしていたらしい。


 ところが、辰巳ダムが立地され、この遺跡が邪魔になったらしく、突然、相合谷縄文遺跡も相合谷城跡も遺跡地図からなくなった。相合谷城跡は別の場所に移動し、相合谷縄文遺跡は抹消された。理由を記載した文書あるいは専門家が議論をした委員会審議記録などを公開請求したが不存在という。文化財課が河川課の立場をおもんばかったか、あるいは河川課が圧力を掛けたのは定かではなく、藪の中である。
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辰巳ダム裁判>結審へ向けての報告集会の案内

2013年11月18日 | 辰巳ダム裁判
 平成20年5月の提訴以来、すでに5年が経過し、長期にわたった裁判も半年ほどで終結する見通しとなっています。
 今後、12月19日の最終弁論があり、来年の3月頃には判決がでるのではないかということです。
 ついては、原告団/支える会/辰巳の会による報告集会を開催します。
 場所、日時等は以下のとおり。

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