犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

李登輝/日本精神

2021年11月18日 | その他
 李登輝先生が亡くなられた。
 台湾生まれだが、当時、日本であり、日本の教育システムで育ち、22歳まで日本人であり、京都帝国大学で学んだ。
 
 先生いわく、
 日本の教育システムには、「人はどのように生きるべきか」、「公と私は」、明確な指針があった。素晴らしいものだったが、戦後の日本にはそれがなくなった。
 また、戦後の日本人は伝統や文化の重みを軽んじ、伝統文化の否定からくる価値観が混乱している。日本人特有の精神である、「大和魂」あるいは「武士道」という最高の道徳規範が、見向きもされず、足蹴にされている。単に精神、生き方の心得であるというだけでなく、日本人の心情、気質、美意識である、勇気や決断力の源泉になるものであり、生と死を見つめる美学、哲学である。
 日本精神とは、、、勇気、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法、清潔、、、、。

 先生の指摘を受けるまでもなく、現在の学校教育は、知育偏重である。「どうしたら得になるか」。そのための教育である。「いかに生きるべきか」という徳育は無い。だから、いかがわしいところへ通っていた、文科省のトップがいまだに教育について語る。

 現日本人の精神が実利に片寄りすぎている。健全な日本人の精神はどこへ置いてきたのか。

真子内親王の婚姻について考えた

2021年05月13日 | その他
 以前の当方のブログで述べたが、
 真子さまの婚姻について、真子さまご本人の意志のみで結婚を決めることができるという、憲法の規定を適用することはできない。

 日本国憲法は一般国民に適用されるもので皇室には適用されるものではない。
日本という社会は、日本人で構成され、日本人は、天皇という特別の存在と国民という2つの身分でなりたっている。天皇を中心とする皇室は天皇に属するグループであり、平等であるという国民の範疇に入らない。

 憲法の規定(第24条)によれば、本人の意志、個人の意志のみで決めることができる。親が何を言おうと、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するのである。
 秋篠宮も真子内親王の気持ちを思いやられたようで、この規定に言及されたが。

 憲法の規定以前に、根本的な考えがある。
人は自分だけで生きているわけではなく、人々の支えによって生かされている、社会的な存在である。個人の意志のみで決めるというのはそもそも根本的原理に反している。少なくとも、最も支えを受けた親兄弟、家族の考えを十分配慮した上で自らの判断を下すのが道理である。

 道理にしたがえば、この規定は「婚姻は、両性の合意を尊重して成立」するとした方が適切である。

 家族法の専門家によれば、「結婚が家同士の身分の領域から、個人同士の契約へと傾いている」という。憲法の規定は、この考え方に準じており、結婚は家長あるいは家族の合意で決めるのではなく、個人が決めるということを強調している。個人主義的思考が強くなれば、家族のつながりを基本にした日本的共同体を壊していくことになりかねない。

 そもそも、家族生活について「両性の合意」であろうが、「家族の合意」であろうが、このような部分まで国が規定することが適当なのか疑問である。「両性の合意のみに基いて成立し」の部分は削除するべきである。
 この憲法第24条の規定は、米国が日本の日本的家族の仕組みを壊そうと目論んだのではないか。日本という国家を弱体化させるために。

第二十四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
1 婚姻は、(不要)両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本
として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。
2021.5.13,naka

2020年米国大統領選挙の感想

2021年01月17日 | その他
 史上、最も人気がないといわれるバイデンが八千万票の得票を獲得して大統領に選ばれ、一方、過去の大統領選挙と比べて最も多くの支持がされて7千4百万票を獲得したトランプが敗者となった。

 大規模な不正が行われたことは自明だが、不正はなく、公正な選挙が実施されたとして、州議会、連邦議会でも承認された。

 理解に苦しむが、法律上は、裁判所で「不正」という司法判断がなければ、「不正」はないということになるらしい。
 法治国家では、「不正」(「公正」あるいは「正義」もか)は、司法の場で判断が出されてはじめて「不正」か否かが確定する。それまでは、「不正」はないことになる。

 「不正」が無いのであるから、バイデンが選ばれた選挙は、公正に行われたのであり、「今までに最も公正な選挙が行われた(米国の高官の弁)」ということになる。

 偽善であるが、法秩序で成り立っている社会、法のみによって秩序を保っている社会の限界である。

 米国は、理念/観念で形成された社会であり、さらに言えば、理想郷信仰(現世にユートピアができると考えること)と個人主義(全体よりも個人が大事ということ)に基づいている社会である。

 正しいと個人が信じた思想が支えであり、異なった他人の思想を受け入れることができない、異見を排除する社会だ。
これを補完し、社会の秩序を維持するために、法治があり、法治しかない。

 自由だ、平等だ、民主主義だ、人権だ、環境だとと理念によって議論するが、それぞれが言い放つだけで相手を受け入れ、調和することはないようにみえる。言論の自由だといっても、思想の異なる人の言論の自由は認めないことになるようだ。

 法治といっても、歴史が浅く、文書の形式しかもたない「法治」は、解釈をめぐって千々に乱れる。

 人の考え、人為など浅はかで愚かなことだという謙虚なところに立たないとうまく運ばないように思える。

 歴史、伝統、文化、先人の叡智の蓄積を踏まえ、の上にで慎重に判断して試行錯誤しながら徐々に進む。保守の考え方である。
 わが日本に振り返って想う。先人がいて、先祖があって現在の自分という存在がある。家族、知人とともに共同社会を生きる。先祖は御霊となり、共同社会を見守る。
 同時に、自然から学び、自然秩序を重んじ、自然に霊性をみる。御霊信仰がある。人為は及ばない、恐れ多い存在である御霊の信仰である。

 自然の御霊、皇祖(最も古い家)から現在に続く先祖の御霊の護りのもと、われわれ日本国は「君民統治」ともいうべきか。
 法治だけではないのである。
 くだけて言うならば、この国ではお天道様が見ているということで不正はしない。

 2020年米国大統領選挙の状況を見ての感想は、つぎのとおり。
 理念による統治(頭の中で考える統べる方法、法治)は、正しい(と信じる)理念のためには手段をえらばず、理念が達成すればよいのであり、個人の意思を無視して全体が治まればいい、全体主義と同類ではないだろうか。
2021.1.17,naka

その他>アメリカ大統領選挙に思う

2020年11月18日 | その他
アメリカの大統領選挙はかなり混乱しているようだ。
国民の分断は、160年前の南北戦争以来ともいわれる。共和党と民主党だけの政治の争いではなく、行政、司法、経済、マスコミ、教育界、宗教界など国内の隅々で対立が深まっているようだ。

アメリカという、個人を尊重した民主主義国家の土台が揺らいでいる。民主主義国家である所以である選挙が信用できず、もう一つの心棒であるキリスト教的な信仰心も衰退すると、この国をまとめてきたものが失われ、バラバラに分解される。

一方、わが国は、戦後、連合国占領軍の政策でアメリカ民主主義を拝受させられた。例えば家庭・学校・社会において、封建主義的な身分の拘束から解放され、個人が尊重されて、女性が自由になったなどというものである。個人の尊重が過度になると、十人十色だから、現状の米国のようにバラバラになりがちだ。

わが国では、戦後、経済一本槍で国をまとめてきた。一億総中流で豊かになった。高度成長の時代はこの要因でまとまってきたのだろう。明解である。一段落して経済停滞すると分解しかかったが、大災害や天皇の譲位で再結束した。二千年におよび継承されてきた潜在的な「国の伝統と文化」の力である。二百数十年の伝統の米国にはない。

その他>李登輝/日本精神

2020年09月18日 | その他
 先日、李登輝先生が亡くなられた。
 台湾生まれだが、当時、日本であり、日本の教育システムで育ち、22歳まで日本人であり、京都帝国大学で学んだ。
 
先生いわく、
 日本の教育システムには、「人はどのように生きるべきか」、「公と私は」、明確な指針があった。素晴らしいものだったが、戦後の日本にはそれがなくなった。
 また、戦後の日本人は伝統や文化の重みを軽んじ、伝統文化の否定からくる価値観が混乱している。日本人特有の精神である、「大和魂」あるいは「武士道」という最高の道徳規範が、見向きもされず、足蹴にされている。単に精神、生き方の心得であるというだけでなく、日本人の心情、気質、美意識である、勇気や決断力の源泉になるものであり、生と死を見つめる美学、哲学である。
 日本精神とは、、、勇気、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法、清潔、、、、。

 先生の指摘を受けるまでもなく、現在の学校教育は、知育偏重である。「どうしたら得になるか」。そのための教育である。「いかに生きるべきか」という徳育は無い。だから、いかがわしいところへ通っていた、文科省のトップがいまだに教育について語る。

 現日本人の精神が実利に片寄りすぎている。健全な日本人の精神はどこへ置いてきたのか。