犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

【日々是好日なり】追伸 「高砂」について

2023年06月03日 | 日々是好日なり
 「高砂」とは、河口で砂が堆積して盛り上がった山で「たかいさご」、変じて「たかさご」となった。
 ある人いわく、
 「高砂」の山は、長い年月をかけて出来上がった時間の堆積物、過去の人々の事績に喩えられる。
 そこに先祖の魂が集まる。
 だが、砂山だけに、極めて脆く、移ろいやすく、儚く、無常である。
 人々の力の及ばないところであり、神仏の加護を求める所以である。

 ちなみに「古墳」もまた、そうした装置という。
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【日々是好日なり】能「翁」

2023年06月02日 | 日々是好日なり
 能「高砂」は、ワキ役で主役ではない、主役を引き立てる役である。
 主役は、能「翁」。
 この能は滅多に行われない。
 特別な祝言の時に行われる「能」である。
 演者は「神」。
 天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈祷する舞を舞う。
 翁(老人※)の姿で 詞(ことば)無し、単独で舞う。

※ 老人とは、年老いて心身ともに衰えた気の毒な人ではなく、長寿を得、徳があり、目出度い人のことで敬われる対象である。

 聖徳太子の時代の秦野河勝以来、歴史的にいろいろあって、
 現代の能「翁」は、
(老体の神が寿福を祈願して舞う)三番一組の曲で、①千歳の舞・②翁の舞・③三番叟(さんばそう)の舞の順に舞う。
 式三番とも言う。

 千歳の舞は若者が、翁の舞は老人が、三番叟の舞は狂言方の老人が舞う。
 千歳は露払いの役割をし、
 翁は面を付けて翁の神となる。
 三番目の三番叟は狂言方が演じ、今風のパントマイムをように舞う。※2
 野村萬斎の三番叟は必見!
 ユーチューブで全編を観賞できたが、残念ながら「この動画は再生できない」になった。
 一部は、検索すれば観賞できる。

※2 三番叟が素面で「揉(もみ)の段」を舞い、次に「鈴の段」を舞う。「揉の段」は最初に達拝(たっぱい)風の型をし、続いて露払い風の軽快な舞を舞う。「鈴の段」は黒尉面をつけて鈴を振りながら舞う呪術(じゅじゅつ)的な舞である。「鈴の段」の型は種下ろし、種播(ま)きを表現したものだという解釈もある。(出典:日本大百科全書(ニッポニカ))
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【日々是好日なり】謡曲「高砂」(4)

2023年06月01日 | 日々是好日なり
 ところで、日本の伝統的な「お祭り」について再確認、
 人の力ではどうすることもできない「自然」のやさしさ厳しさの中で、人々ができることは、
 ①神々を祀ること、祀り、祭祀であり、
 ②生きるための労苦を慰労して楽しむこと、祭礼、いわゆる全国各地で行われる「お祭り」、※
 である。

 別の言い方をすれば、
 ①神々と人々の仲介役で専門職の神官と関係者だけで行う儀式 
 ②神官を含め、人々全員参加で行う慰労

 「能」に当てはめると
 ① ⇒「翁」
 ①’ ⇒「脇能」
 ② ⇒「脇能のほかの能」
 とでもなろうか。

 ちなみに、「翁」のつぎには、必ず「脇能」が演ぜられる。
 主役「シテ」と主役をたてる役「ワキ」の関係から、「翁」のつぎに演じられる能を「脇能」とするようになったとするのが最も理解しやすい。

※ 神仏が現れない、単なる商業的なイベントも「お祭り」というようになって不届き千万であるが^_^;
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【日々是好日なり】謡曲「高砂」(3)

2023年05月31日 | 日々是好日なり
 「能」には、別格の「翁(おきな)」という演目がある。
 これは特別な時しか行われない儀式のようなもの。
 一人でセリフもなくて演ずる。

 通常に行われる能は、仮面をつけた演劇で、
 主役(シテ)の違いによって5種類の番組に分けられている。
 神・男・女・狂・鬼(しんなんにょきょうき)という。
 主役(シテ)が神様である物が「脇能(わきのう)」と呼ばれる。

 「高砂」は脇能である。
 演劇といっても物語性はほとんど無く、脇役(ワキ)の僧あるいは神官が旅の途中で出会った相手が、実は神様であることを告げて一旦は姿を隠し、後段で神の姿で現れ、神舞を舞い、平和に治まる御代をことほぐというのが大体のパターン。
 つまらないといえば、つまらないが、主役が神様だけにぞんざいに扱えない。

 「高砂」の作は世阿弥。
 舞台設定には凝っている。

 「自然信仰」が伝統の神様が主役で、「祖霊信仰」の日本神話にもとづいている。※
 脇役(ワキ)は、阿蘇神社の神主であるが、旅の道程は、初代天皇の神武東征のルートをなぞっている。
 ①⇒②、③⇒④、
 さらに、第14代天皇・仲哀天皇の皇后である神功皇后※2 の三韓征伐に由来があるところが、4カ所もでてくる。
 ②、③、⑤、⑥

 ①阿蘇神社 神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を有する古社。
 ②高砂神社 ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)。神功皇后が外征のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげられた。帰国の途中、この地に船を寄せられ、国家鎮護のため、大己貴命をまつったのが高砂神社の起源。
 ③尾上神社 神功皇后が三韓征伐の際に、この地に上陸したが長雨のために船を進めることが出来なかったため、「鏡の池」で潔斎沐浴して晴天を祈願し、住吉大明神を勧請したことが起源。
 ④住吉大社 住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神、そして鎮斎(神おろし)の神功皇后
 ⑤生きの松原 壱岐神社の周辺の松原、地名は神功皇后が新羅遠征の際、戦勝を祈って挿した松の枝が根づいたという伝説による。
 ⑥檍が原(あをきがはら)あるいは、阿波岐原(あわきがはら) 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉の国から帰り、檍が原の海で禊をすると行う底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神が現れた。

※2 神功皇后は、別名を気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)といい、地元の松波神社の御祭神。
※ 「能」は、
 ・自然信仰、祖霊信仰がもとにあって、神官が神々をまつらい、五穀豊穣、国土安寧、天下泰平を祈念する儀式が基本。
 ・加えて人々に楽しみを提供する演劇としたもの。
 ・「翁」が儀式、「脇能」が準儀式、その他の演目が演劇。
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【日々是好日なり】謡曲「高砂」(2)

2023年05月30日 | 日々是好日なり
 待謡の前段では、高砂の松の落ち葉を掻き掃いていた老夫婦がいる。
 実は、老女は高砂の松の精、老いた男性が住吉の松の精であることを明かした後、※
 二人は住吉に先に行っているからと言い残して小舟に乗って行ってしまった。
 後を追いかけて住吉にいくところが、待謡の場面であり、
 住吉大社に行ったところ、住吉明神が現れてあらたかな舞を舞う。
 住吉明神が舞うと、差す手で悪魔を除け、引く手で寿福を招く。

 高砂の松のところで落ち葉を掃き、掻いていた老夫婦は神様であり、
 箒をもった姥(うば)は、過去のことを祓い清める神様。※2
 熊手をもった尉(じょう)は、先からやってくる寿福を搔き集める神様。※3

 神様が演じる老夫婦のように、末永く仲睦まじい相老の老夫婦が理想の夫婦像であるという話が「高砂」である。
 寿福を招いてくれる神様のところへ行く場面が、「待謡」のところ。 
 結婚式で謡われるわけだ^_^;(つづく)

※ 所は離れているが、相生の松だとしている。
※2 姥(うば、老女)は、嫗(おうな)とも。
※3 尉(じょう、年取った男)は、翁(おきな)とも。
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