犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その25)

2017年01月25日 | 辰巳ダム
(2000:冊子『金沢の治水を考えるキーワード21』作成)
 ダムを造りたい人たちは、あることないことを言い立ててダム建設を推進しようとする。
 その中の一つが、内水対策と外水対策の混同である。
辰巳ダムは、外水をコントロールするもので、内水による浸水はダムで直接的に排除できるわけではない。にもかかわらず、犀川下流の低地の浸水被害を防ぐためには辰巳ダムが必要だという主張を繰り返している。すでに、同様規模の既存の治水ダムが2カ所も設置されているにもかかわらずである。
 犀川で、石川県は治水対策、金沢市は浸水対策の不始末のツケを辰巳ダムに持っていこうとしていた。
 犀川の治水、浸水を考えるためのヒントとして、冊子『金沢の治水を考えるキーワード21』中登史紀/著,2000年(平成12年) を作成した。
 以下のURLでアクセスできる。
http://www.nakaco.com/keyword.htm
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辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その24)

2017年01月24日 | 辰巳ダム
(2000年(平成12年)5月,『ダム関係者必読書「砂漠のキャデラック」を読む』中登史紀/著を刊行)
 (治水)ダム神話を否定した書を紹介。
 「砂漠のキャデラック」とは、「過疎地のダム御殿」というような意味である。

「『砂漠のキャデラック』は、アメリカの水開発政策の問題点を総括した著作であり、アメリカ水開発政策転換の一つのきっかけともなったと言われる。また、環境問題を扱った書物としては、レーチェルカーソンの『沈黙の春』に匹敵する書とも評される。
 「キャデラック」とは米国の高級車のことをさし、富の象徴という意味をもつ。それとは逆に「砂漠」は富とは無縁の不毛の環境を表す。不毛の地であった砂漠に豪邸が建ち並び、駐車場にはキャデラックが納まる。アメリカ水開発政策の問題点の象徴を「砂漠のキャデラック」に例えたものであろう。わが国に当てはめてみれば、「過疎地のダム御殿」と言ったところだろう。」
 
「『砂漠のキャデラック』は、アメリカの水開発政策全般にわたる壮大な内容となっており、必ずしも、「治水」と「ダム」に焦点を絞っているわけではなく、また、土木技術的な面から治水のため役に立たないことを立証している技術専門書でもない。しかし、河川を分断してせき止めるダムの本質的な欠陥をズバリと指摘している。ダムは未来の人たちに富を与え続ける遺産であることは幻想であり、逆にダムは負の遺産であることが的確に説明されており、アメリカがダム建設を止めるようになった理由を知ることができる。」

 以下のURLでアクセスできる。
http://www.nakaco.com/caderac.htm
(つづく)

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辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その23)

2017年01月23日 | 辰巳ダム
(1995-1999:中の活動)
 中は、ダム建設反対の「辰巳の会」に加わらず、土木技術的観点から、問題提起を続けた。
1995年(平成7年)7月,『犀川総合開発事業「辰巳ダム計画」の土木技術的問題点 』中登史紀/著 において、基本高水が過大!と指摘した。
 以後、単独で、石川県および石川県河川課に対して、ダムに関わる治水・利水に関して、提案、公開質問、申し入れなどを通じて議論を深めた。
1998年(平成10年)3月,『転換期の私的・土木技術論考 : 辰巳用水と辰巳ダムから明日の土木を考える』中登史紀/著 を刊行し、それまでの辰巳ダムについての考え方をまとめた。
 いわく、「《辰巳用水》が良い土木事業の典型例とすると、《辰巳ダム》は悪い土木事業の典型例である。」。
以下のURLでアクセスできる。
http://www.nakaco.com/k_txt5.htm
 さらに、某大学の有識者の辰巳ダムに関する意見を批判して、
 1999年(平成11年)11月,『「犀川水系辰巳ダム治水計画に関する所見」(平成11年8月■■大学工学部工学博士■■■■)についての意見と反論および問題提起』中登史紀/著
を刊行した。
(つづく)
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辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その22)

2017年01月22日 | 辰巳ダム
(1994年:辰巳ダム建設促進期成同盟会の設立)
 少し、時間を戻す。
 1994年(平成6年)、石川県の辰巳ダムの早期完成を目指し、地元県会市会議員などで構成される「辰巳ダム建設促進期成同盟会(会長:金沢市長)」が設立された。ちなみに、ダムが完成した2012年(平成24年)度末に解散した。
(1994年:辰巳の会の設立)
 ダム建設に反対の立場の人たちは、「兼六園と辰巳用水を守り、ダム建設を阻止する会(辰巳の会)」を設立して対抗した。県内の自然保護関係の15団体に参加を呼び掛け、団体の長を理事に迎えて、辰巳ダム問題に対処するための体制を整えた。
ダム反対のために会を設立した人たちは、辰巳ダム問題を石川県の環境問題の象徴として取り上げるように動いたが、会全体で一致した協力を得ることには成功せず、うまく機能したとはいえない面があった。
(1998年(平成10年):共有地運動(第二次))
 しかし、成果としては、1998年(平成10年)に、共有地としての土地の提供を受け、辰巳の会の中に下部組織として「辰巳ダムを止める土地共有者の会(事務局長:碇山洋)」を作り、98年10月、辰巳ダム建設計画を阻止するための共有地運動(第二次)を開始。呼びかけ人は、五十嵐敬喜さん、宇井純さん、高橋治さん、宮本憲一さん、山下弘文さんの連名で。1998年~2000年にかけて。第一次の共有地運動は、1984年頃から。
 詳細は、以下のURLで。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~saigawa/981001.html
(つづく)
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辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その21)

2017年01月21日 | 辰巳ダム
(2000年(平成12年)の新年の挨拶で谷本知事が)
 意見交換会、石川県公共事業評価監視委員会の提言などを受けて、「高い授業料だったが、辰巳ダムを中止してはどうか。」という主旨の発言をしたという記憶があるが、どうも調べても手がかりがない。新聞で報道されたはずだということで、北国、北陸中日、読売の地方版を調べたが、発見できず。
(つづく)
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