不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

その他>戦後七十年は、戦後日本の転換点だった

2015年12月31日 | その他
(馬鹿な目にあっている)
 「日本は戦争に負けて馬鹿な目にあっている」時代が延々と続いてきたが、やっと、戦後70年にして、方向転換がなされているようであり、いまだに負けた戦争のつづきをやってきて本当にやめる節目の年だったのではないか。

(馬鹿な目の一つ)
 南京大虐殺や従軍慰安婦の強制連行などの歴史問題がやっと日本国内では敗戦後にねつ造された嘘であることが浸透してきた。修正された新しい歴史教科書の採用も進んでいる。南京大虐殺のユネスコの記憶遺産に登録されたが、一次資料は3点ほどで簡単に反論できるもののようだ。年末には、いわゆる従軍慰安婦問題も「最終的かつ不可逆的な解決」という日韓合意ができて韓国の日本に対する歴史外交カードの一枚は解消された。

(いわゆる従軍慰安婦の問題)
 いわゆる従軍慰安婦の問題であるが、単なる慰安婦の問題で貧困から生まれた売春ビジネスにすぎないが、強制連行という要素が付け加えられて戦争被害者だということになった。2000万人の朝鮮で20万人の若い女性が連行されたというが、今の日本にたとえれば、120万人の若い女性が連行されたことになる。連行された時に抵抗しないで、戦後70年も経って抵抗し、慰安婦の証言だけで一遍の証拠もなくて、嘘に決まっているが国際的な外交カードにされつづけた。いわば、実際の戦闘が終わって身の安全が確保されてから、いいがかりをつけて戦争しているようなものだった。戦争ごっこにつきあわされ続けてきた日本は、脇の甘さもあるがいい迷惑だった。

(日本軍が悪い)
 巷間、よくいわれることであるが、「United Nations」は文字通り、連合国であるが、日本人はこれを国際連合と訳して、あたかも世界の国々が参加して戦後の平和な国際社会を作るための組織と誤解した。実際は、戦勝国が自分たちの都合がいいような国際社会を維持するために作った組織で、ドイツと日本を敵性国として扱うためのしくみである。一言で言えば、日本軍が悪い、というものだ。

(アメリカの戦後統治)
 戦後、戦勝国は、日本が悪かったというストーリーを日本国民に植え付けるような政策を取った。日本軍が悪いといわなれば、新聞が発行できなかった。連合国を、アメリカを、GHQを、中国を、朝鮮を批判してはいけないとタガをはめられて、日本軍が悪かった、侵略した、植民地にした、周辺国に多大な迷惑をかけた、ということを言わされて続けてきた。20万人の公職追放がなされ、日本が悪かったということを主張する人たちが、マスコミにも教育界にも登用されていわゆる左翼的思想を持った、進歩的文化人の思考で埋め尽くされた。当方も、朝日新聞が日本の良心であり、クウォリティペーパーだと信じ込まされてきた。

(もう止めよう)
 戦前の日本は侵略国家であり、植民地支配で周辺国に多大な迷惑をかけた、というものであり、いまだに言わされ続けている。これをもう止めにして後世の子孫がいつまでも負担とならないようにしようとしたのが、戦後七十年の首相談話である。
安全保障に関して、集団的自衛権の行使容認した安全保障関連法案が成立した。困った時は助けてほしいが、相手が困っても助けないでは、安全保障が成り立たない。それに、沖縄普天間の海兵隊基地が辺野古移設に向けて工事が始まり、日米の懸案事項が解決に向けて動き出した。
 戦後の最大の懸案として、アメリカが日本を武装解除するために作った憲法の改正が残る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その他>日本は弱者と強者が共存する社会(その2)

2015年12月29日 | その他
(日本は弱者と強者が共存する社会である)
 その事情は裏社会でも同じだ。やくざの世界は、当然ながら、強者が弱者に対して、誠意を見せろとお金を脅し取ることが仕事である。人の宿命として、生理的にいつまでも強者でいられないから、いずれ、弱者になる。そうなると日本では弱者となって表社会に復帰できるのである。やくざといってもマフィアじゃない、一応、法治社会の構成員だ。戦後、在日朝鮮の人たちが裏社会に進出して伝統的な義理人情の裏社会も攪乱されたようだが、伝統的な裏社会が存続しているようだ。いわずもがなではあるが、弱者と強者の世界を行き来できて、弱者になっても生きられる日本がいいようで、在日やくざも朝鮮には帰りたくないようだ。

(中国も朝鮮も弱者が生きがたい社会である)
 朝鮮半島も中国大陸でも、弱者は徹底してたたかれる。強者の側につかず、弱者の側につくと一生、たたられる。池に落ちた犬は徹底して棒でたたかれるという。
 中国では、死者の墓があばかれる、朝鮮半島では、凌遅刑といって長時間かけて命を奪う刑罰がある、弱者を徹底してたたくのであり、弱者になれば一生うかばれないである。日本人同士なら、「敵ながらあっぱれ」と「互いに讃えあう」ことがあるが、そのようなことはないようだ。

(朝鮮は強者であるヤンバンの国であり、弱者が半分ほど占めていた)
 朝鮮半島では、白丁という奴隷が人口の一割程度、類似のがあわせて4割程度を占めていたという。身分制度の最上位のヤンバンが奴隷を使用して特権的な生活をしていた李王朝時代が近代まで500年ほど続いてきた。長期にわたり、弱者が半分ほど占めて弱者が支えて安定した社会で、強者の社会だった。

(弱者の身分を取り除いた社会にしたが)
 朝鮮の安定した状態を混迷させたのが、日本の統治とアメリカの朝鮮半島の解放である。よかれと思って日韓併合を行い、身分制度の廃止を進めたおかげでいまだに日帝35年の植民地支配などといわれのない非難をされつづけている遠因となっている。
 アメリカも、人権思想の押し売りで、朝鮮半島の人民を解放するための正義の太平洋戦争だ、朝鮮半島を日本帝国主義から開放するという名分を立てて、朝鮮半島に乗りこんだ。この流れに悪乗りしたのが、アメリカが後見人になっていた、ヤンバンの李承晩である。対日抗争を戦い、光復軍が日本軍を倒して日帝35年の植民地支配を打ち破って大韓民国を樹立したという虚構にもとづいて憲法(ファンタジー)を創った。李承晩政権の正統性の名分のために、日韓併合時代の35年間を徹底して批判する反日政策としたが、強者になり損ねて国を追われた。その後、軍事政権になって強者の論理で統治すると社会が安定したが、金大中のような弱者の政権になってまた社会が不安定になった。北朝鮮は、強者が徹底して弱者を支配して安定した社会を作っている。

(強者しか生き残れない)
 朝鮮は、強者が支配しないと安定しない社会なのであり、「弱者の哲学」が生まれようがない。朝鮮人同士は、必ず、強者の側に立とうと相手と対立する。日本人に対してもそうである。
日本は朝鮮に対してよかれと思って進めた身分制度の廃止が朝鮮半島のヤンバン達に恨まれて、いまだに絡まれている状態だ。朝鮮は、強者と弱者が共存する社会ではなくて、強者が弱者を支配して安定する社会であり、強者しか生き残れない。

(追伸)
 差別問題も、慰安婦問題も、強者になろうとする現れだ。慰安婦は貧しさ故にお金で身売りされたのだから、弱者の典型であるが、強制連行されたという名分が立つと人権侵害された被害者の立場となり、道徳的に最強の立場となるようだ。慰安婦の人たちは、マスコミや講演会の公衆の前や裁判所の法廷では「娘時代を奪われた!」などと泣き叫ぶことで自己主張するがこれも同じ意味のようだ。有名大学の学問的権威も慰安婦の前で土下座をしなければならないことになる。強者の立場に立てば一生、怖いものなしである。

(追伸その2)
 日本は、アメリカが日本を再び強敵とならないように武装解除するために強制した憲法9条に苦しめられているが、韓国も自ら創った憲法(ファンタジー)に苦しめられている。米国に棚からぼた餅のように国を樹立してもらったもので自らの力で獲得したものではない。もちろん、朝鮮は日本だったのだから、日本軍と戦ったという事実はない。そのため、いくらかは現実に日本軍と戦ったという事実がある北朝鮮の工作にあおられると、容易に立国の精神の土台がぐらつく。不安定を改善するためのテコが反日政策(竹島占拠、靖国神社参拝、強制徴用、いわゆる従軍慰安婦問題など)である。日韓関係は悪化する一方である。結局は、自分で自分の首を絞めていることになるになるが、これも最大の原因は、憲法(ファンタジー)である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その他>日本は、強者と弱者が共存する社会(その1)

2015年12月28日 | その他
(日本は超安定社会)
 中東の紛争、テロ、移民問題などの西欧社会の混迷を見聞きするにつけ、振り返って日本社会の安定がいかにも得難いものに思われる。日本は、世界中で希なる安定社会なのではないか。
 わが国の大神主さまが、正月元旦早朝の四拝の儀式を初めとして、国内と世界の安寧を祈念しておれられるからかもしれない。
二千年来、大神主さまの御代が続いている超安定社会であるが、この思うに、強者と弱者が共存できる社会で歪みがたまりにくいからではないか。

(強者と弱者が共存できない社会)
 中東では、フセインやカダフィという強者が弱者を徹底して弾圧していた時代は安定していたが、排除された途端に一気に混乱状態に陥ってしまった。強者が徹底して強くないと安定しない強者の世界であり、強者と弱者が共存できない社会である。
西欧社会の覇者であるアメリカは、いわずもがなの力を信奉する軍事国家である。腕力、知力、経済力等々何事にも力が強ければ、アメリカンドリームをつかむことができる。弱者を救うための仕掛けはありそうだが、弱者が居心地良さそうには見えない。

(日本は弱者も居心地がいい)
 一方、日本は、強者も弱者も居心地よく生きることのできる社会である。例えば、田舎暮らしをするとよくわかる。集落毎に産土型の神社があって共同体の安寧と五穀豊穣を祈る祭りがあって団結し、弱者を集落全体で相互扶助する。弱者を意識することもなく、平穏に暮らすことができる。人は、赤子の弱者で生まれて、成人して強者に育ち、年寄りの弱者になって生きることを全うするので、強者も弱者も居心地よく生きられる社会がいい。

(日本には、弱者の哲学がある)
 弱者が心地よく生きることができる、日本の居心地のよさはどこにあるのだろうか。
日本文化の本流に、漫画、アニメ、オタク文化、コスプレファッション、おばけ、妖怪などがあり、この日本文化が世界中に浸透している。桜井洋(早稲田大学教授)によれば、これは、「強者の哲学」から来る権力や制度、金でどうにでもなるものではなく、感性の感受性から来る「弱者の哲学」によるものであるという。
「弱者の哲学」と「強者の哲学」について「漢字」と「ひらがな」という表現方法を対比させて説明している。

(日本は強者と弱者の哲学の二重世界)
 日本独特の「強者の哲学」と「弱者の哲学」からなる二重性の世界が形成されているという。
「強者の哲学」の世界とは、随唐を真似て作った王朝時代の律令国家であり、儒教による道徳と規範のディシプリンにもとづき、制度、論理、統一、支配などの言葉で説明され、「漢字」が使用される男性的な官僚機構の世界である。
「弱者の哲学」の世界とは、本居宣長が「もののあわれ」と表現し、感性、感情、感覚を第一と考え、論理的、概念的からこぼれおちるものに心を寄せ、男性的な権力からはずれたところで、千年以上前に創られた、女性的な「ひらがな」表現の源氏物語や和歌などの女流文学に代表される、女性的な世界である。

(弱者あるいは強者の哲学が生まれる理由がある)
 日本において、弱者の身分や立場にたった人たちが悲惨であれば、「弱者の哲学」が生まれがたい。このような考え方が生まれたことは、その背景に歴史的な背景があるはずである。これに対して、アメリカでことさら、強者の論理が信奉される理由は国の成り立ちに起因していることは明らかだ。

(アメリカの弱者の身分あるいは立場の人たちが楽しく生きることができなかった)
 開拓者である白人たちは、弱者の立場であった1千万人ほどの先住者アメリカンインディアンを駆逐してアメリカをつくったが強者の世界そのものである。また、つい150年ほど前までは、弱者の身分の多くの黒人たちが奴隷として酷使されていた。弱者が楽しく生きることができない社会にならざるをえない。

(日本には弱者の身分のものがいなかった)
 一方、日本では、弱者の身分の奴隷はほとんどいなかった。
で、類似の奴隷制度はあったが、首輪、足輪をつけて強制的に働かせた奴隷はいない。戦争奴隷もいくらかいたらしいが、ほとんどは、債務奴隷か、犯罪奴隷であったようだ。また、対外的に戦争に負けて国土が侵略されて戦争奴隷になるというようなことも幸いなことになかった。奴隷という、弱者の身分のものがほとんどいなかった。

(弱者がいなかった日本社会)
 社会的な弱者の身分、立場の人たちがいなかったことが、「弱者の哲学」の世界が生まれた背景なのではないか。そして、「強者と弱者がともに居心地がよい社会」ができあがった。

(ただ、気にいらないアメリカのお節介)
 日本人自身が「強者と弱者がともに居心地がよい社会」と自負していない理由の一つは、アメリカのお節介がある。
 アメリカには奴隷制度という負い目があって、戦後の日本統治で、ことさら、人権、人権と言いつのり、必要以上に日本人を精神的に追いつめた。
 さらに、アメリカは、キリスト教国家であり、一神教で感じ方の根本に父があり、父は力と律法と義とで統御するという考え方が支配する国家であり、押しつけがましいところがある。
 そもそもキリスト教自体がお節介教であり、キリスト教宣教師のフランシスコザビエルは、キリスト教以外は邪教であり、地獄へ堕ちるという考えを持ち、頼まれてもいないのに日本人を救うために日本を訪ねてきたことからもわかる。
 戦後、日本国民が必要以上に自虐的となり、アメリカは民主主義国家だ、日本は人権侵害の国だ、日本は侵略国家だった、日本軍が悪かった、周辺国へ多大な迷惑をかけた、日本国憲法は平和憲法だなどなど、日本を否定する反日日本人が進歩的文化人であることを強制されてきた。

(強者も弱者も居心地がいい日本社会)
 戦後、70年経過し、アメリカのお節介の呪縛が解けつつあり、日本人の自覚を取り戻しつつあるようだ。強者も弱者も居心地がいい社会は、民主主義国家であり、人権尊重の国であり、まして侵略国家であるわけがない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする