真淵は、日本民族は、男らしい、
宣長は、逆に日本民族は、女性的だ、と分析した。
先の戦争では、日本人は勇猛果敢で男らしい民族と言う印象だったが、
現在の若者は、戦争になったら逃げるという者が多い様で逆になっている。
いざとなったら、
平生、男らしい態度をとっていてもいざとなったら、逃げだすものもいれば、
平生、頼りない態度をとっていてもいざとなったら、立ち向かうものもいるので、
どちらがいい悪いはいえないが。
賀茂真淵は古語に古代人の心が表れているとして、『万葉集』に古代の精神を求めて、
本来の日本人は、益荒男振り、男らしい、心身のすぐれた強い男子であるとした。
対して、本居宣長は、真淵を大人と仰いでいたが、この考えに同調しなかった。
本居宣長は、本来の日本人は、手弱女振り、優美で繊細な感情が勝り、女性的であるとした。
「益荒男振り」は、中国から、漢心(からごころ)とともに入ってきたものとした。
中国では、男尊女卑、女性的な感性を賞賛する文化はない、したがって女流文学などない。
対して日本では、古今集以後に広くみられる詠みぶりは、優美・繊細、女性的であり、女流文学も発展した。
だから、大和民族の本質、大和心は「手弱女振り」とした。
宣長は、逆に日本民族は、女性的だ、と分析した。
先の戦争では、日本人は勇猛果敢で男らしい民族と言う印象だったが、
現在の若者は、戦争になったら逃げるという者が多い様で逆になっている。
いざとなったら、
平生、男らしい態度をとっていてもいざとなったら、逃げだすものもいれば、
平生、頼りない態度をとっていてもいざとなったら、立ち向かうものもいるので、
どちらがいい悪いはいえないが。
賀茂真淵は古語に古代人の心が表れているとして、『万葉集』に古代の精神を求めて、
本来の日本人は、益荒男振り、男らしい、心身のすぐれた強い男子であるとした。
対して、本居宣長は、真淵を大人と仰いでいたが、この考えに同調しなかった。
本居宣長は、本来の日本人は、手弱女振り、優美で繊細な感情が勝り、女性的であるとした。
「益荒男振り」は、中国から、漢心(からごころ)とともに入ってきたものとした。
中国では、男尊女卑、女性的な感性を賞賛する文化はない、したがって女流文学などない。
対して日本では、古今集以後に広くみられる詠みぶりは、優美・繊細、女性的であり、女流文学も発展した。
だから、大和民族の本質、大和心は「手弱女振り」とした。
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