モーセのチン発言。
神から、ファラオを説得してユダヤ人をエジプトから去らせるよう命ぜられたモーセは、こう答えた。「 どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか 」( 出エジプト記6、12 )。
・・・こんなこと、神に対して言っていいのか。「 わたしの唇は包茎です 」 と言っているのと同じではないか。だが、神は怒らないのだ。もしかしたら、チンチンについての考え方が、今と当時とでは全然違うのかもしれない。
古代エジプトにも、こんな話がある。厳しい任務に耐えかねた兵士たちが、ナイル川の上流目指して集団脱走する。ファラオが彼らの後を追い、こう問う。「 家族を国に残して、どこに行くつもりなのか 」。すると兵士のひとりがチンチンを出して、こう答えた。「 コレさえあれば、どこに行っても家族がつくれる 」( ヘロドトス 「 歴史 」)。
これはもしかしたら、ファラオを嘲っているのではなく、ただ素直に自分の考えを述べているだけなのかもしれない。
これら2つのエピソードは、果たして、「 同根 」 なのだろうか。