「インドのバス強姦殺人 死刑執行」、か。
インドでこの手の事件が多いのは、もしかしたら「輪廻転生」、「因果応報」といった伝統的な考え方の影響なのかもしれない。
たとえばアリを踏みつぶした人間は、死んだ後アリに生まれ変わって、人間に踏みつぶされる。では、強姦殺人の場合はどうか。事件の被害者は、前世では強姦殺人の犯人で、その因果により現世で強姦され殺されたことになる。
このようにインドでは、「善と悪は連続している」、と考えられている。個人の責任、主体性といったものは、単なる心理現象でしかない。すべては宇宙の原理に支配されているのだ。
このような考え方は、日本人には奇異に思われるが・・・。たとえば日本で一番有名なインド人はガンジーだが、二番目はタイガー・ジェット・シンだ。この事実が、「善と悪は連続している」という考え方を理解するヒントになるのではないか。
植松被告(死刑囚になるのか)が相模原の障害者施設を襲撃した時、職員は止めようとしたが、できなかった。
健常者と障害者の間だけではない。そもそも健常者どうしでさえ、「意思疎通」はできないのだ。そのことに、彼は気づくべきだった。
相模原事件の植松被告に死刑判決、か。
彼は、とことん「障害者に関わろう」とした。見て見ぬ振りをしていればいいものを、深夜に自分が勤めていた施設を襲撃し、大量殺人を行った。自分の命と引き換えに、だ。
「見て見ぬ振りをするのは加害者と同じ」という言い方は、もうできない。遺族からすれば、放っておいてくれた方がよっぽどありがたかっただろう。
「新型ウイルスは米軍が武漢に持ち込んだ」、だと。
そうだとしたら、それを許した中国共産党政府の無能さが非難されるべきだ。
このような言説が中国人から出ることを、どうして習近平が放置しているのか。不可解にゃう。
近所のスーパーでふつーに買えた。トイレットペーパーに関しては、もう、月曜以降は全国的に平常に戻るんじゃないか。
だが、マスクはこうはいかない。「マスクでウイルスは防げない(ほとんどの人は本心では防げると信じている)」、「マスク着用はしょせんマナーの問題でしかない」。政府が積極的にアナウンスして、マスクなしでも平気で電車に乗れるようにしないと、もうじき社会がマヒしてしまうのにゃ。
マスクに続いて、トイレットペーパー、米、カップラーメン、か。そうやって、コロナウイルスと戦っているつもりになって、「安心感」を得る。
だが、自分で自分の首を絞めている。
「感染した人(証明不能だが)が他人にうつさないためにマスクは必要」、「引きこもり生活のために食料が必要」といった、デマを正当化して転売屋を利する言説に乗らないことだ。
そうしないと、いつまでたっても品切れは終わらないことになる。