談話室滝沢

2005-03-30 06:05:31 | Weblog
 今月末で閉店だとか。

 読売新聞の夕刊に載っていたけど、閉店の理由は「全寮制でウエートレスの接客マナーを鍛えてきたが人材が集まらなくなり、このままサービスが低下するよりは」、ということらしい。

 「全寮制でウエートレスを鍛える」。なんて素晴らしいアイデアなんでしょう。これを、メイド喫茶に応用できないものでしょうか?
 ウエートレスたちは、勤務時間中だけでなく、寮でも先輩にしごかれて、「キャラに応じた」生活を強いられる。女子高生、ナース、戦隊もの、三國志など、さまざまなジャンルが各部屋で展開されることになる。全員が女性なので、「百合」の要素が入ってくるのは言うまでもない。彼女たちの中からナンバー・ワンに上りつめた者が、今度は秋葉原の女帝を目指して、ライバルのメイド喫茶との戦いに臨む。

 ・・・・・こんなゲームがあったら、という話ですよ。
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わたしの「エコーズ」

2005-03-28 08:12:59 | 音楽
 中学の頃
 ピンク・フロイドの
 20分を超えるこの曲を
 よく聴いていた
 真昼間
 カーテンを閉め切り
 勉強机に突っ伏して

 始まりは
 途切れ途切れの
 エレピの音から
 わたしの中に
 海ができて
 命が生まれる

 3分たつと
 ようやく弱々しいボーカルが
 人の誕生を告げる
 
 でも
 だんだんにそれは
 バックの音に呑み込まれて
 11分過ぎには
 完全な混沌が訪れる
 人を超越した存在がもたらした
 ひとつの終わり

 復活を告げるのは
 16分のオルガンの旋律
 秩序が生まれ
 18分にはギターのリフがはじけて
 再び歌が始まる

 でも22分
 全てはまた
 混沌に包まれる
 果てしのない繰り返し
 わたしはここにいながら
 ここにいない

 何年もたってから
 この曲の訳を読んだ
 アホウドリが空を飛び
 世界は決して
 崩壊しない
 
 「エコーズ」の終わり
 
 ロジャーのばか


(初台のDOORSで、マグノリアを観ながら、これを考えていました。彼女たちのライヴが退屈だったのではありません。わたしのイマジネーションを刺激したのです。その証拠にこれを書いているあいだ中、わたしの頭の中ではマグノリアの音がずっと響いていました。歌詞を思い出せないのが残念です。・・・・・そうだ、思い出せないのなら、わたしが作詞しよう。作詞しよう、作詞しよう、作詞・・・・・・・・・。)



 
 

 
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脳ゲーム(NO GAME)

2005-03-22 20:20:50 | Weblog
 「ゲームが少年犯罪を起こす」、と世論が騒いでいる。ゲームの内容規制へと、政府が動き始める。

 困り果てたあるクリエーターが思いついた。
 「ならば、『ゲームの影響で殺人を犯した現実の少女を主人公にしたゲーム』をつくってみてはどうか?」
 
 2枚の鏡の間には何も映らないというトリック。
 「ゲームが少年犯罪を」ではなく、「少年犯罪がゲームを」規定する。
 もう世論は怖くない。

 彼は同級生を刺し殺した女子中学生の取材を始める。すると、彼女がプレイしていたゲームの中に、見たことのないタイトルを発見した。
 「脳ゲーム」。
 やってみるとそれは、
 「悪魔的なゲーム・クリエーターに洗脳された少女が殺人を繰り返し、それがゲームの素材にされる」
という内容だった。

 クリエーターは思い悩む。ゲームの製作を打ち切るべきか。それとも、入れ子細工のように「脳ゲーム」を組み込んで自分のゲームを完成させるべきか。

 ・・・・・・・これは、あなた自身のゲームです。どちらを選択しますか?
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竹島

2005-03-21 19:34:49 | Weblog
 「政府に北方領土に対するのと同じくらいの関心を持ってほしい」、というのが県議会の条例制定の理由だとか。
 だとしたらこれは、「国内問題」なんじゃないかな。拉致被害者の家族が日本の政府に経済制裁を求めるのと同じで。
 国際司法裁判所に提訴して判決が出ても、強制執行できるわけじゃないしね。
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夢の肉弾三勇士(流山児★事務所)

2005-03-20 20:14:55 | 演劇

 原作・流山児祥、脚本・高取英、演出・天野天街、音楽・珠水、振付・夕沈。

 見慣れた月蝕歌劇団の脚本・演出・高取英、音楽・J・A・シーザー、振付・森永理科という組み合わせと、少年王者舘のチームとの違いがどう出るかに期待したが、一応歴史ものということもあってか、天野演出がいつもよりおとなしめ。言葉のかき混ぜ方が足りない感じ。
 忍者がアメリカ・インディアンと組んで白人と戦おうとする、というのは明らかに「高取スペシャル」だろう。

 夕沈さんが観に来ていたけど、オーバーオールを着て、歩き方もなんだか「王者舘ダンス」が入ってるみたいで、やっぱり変わっていた。
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永遠について

2005-03-17 18:50:27 | Weblog
 また見つかった なにが 永遠が

 太陽

 海

 砂

 愛

 血

 詩

 思想

 でもぼくたちは

 永遠を体験できない

 100年もしないうちに

 永遠はぼくたちを

 置き去りにしてしまう

 ぼくたちにはただ

 永遠に

 という想いがあるばかり

 今日もまた

 日が暮れる

 5秒間の永遠
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奨学金

2005-03-16 19:16:23 | Weblog
 春だねえ。春になると、「進路」ということについて、考えてしまう。

 「中学に入ったら、学費は奨学金でまかなうようにする」、と親に言われたのは、私が小学5年か6年の時。ものすごくショックだったし、イヤだったなあ。うちって、そんなに貧乏だったのか、これからは、お金を節約しなくては、と、強烈に思い込みました。お金を節約するということは、時間や手間を節約するということとイコールです。奨学金の話は結局実現しなかったけれど、その時の意識だけはずっと残っていて、本当に自分がやりたいことかどうか、ではなく、手っ取り早くできることかどうか、が、今だに私の行動を決める時の基準になっています。

 なんでうちの親はあんなことを言ったのか。子供の自立心を育てようとでも思ったのか。本当に貧乏ならともかく、自分の子供のしあわせが大切なら、軽々しく「奨学金」という言葉を口にするべきではない。学校を卒業して社会人になったのに奨学金を返さない人が大勢いて、その合計は巨額になる、という記事を読んだことがありますが、子供本人ではなく、親が奨学金の利用を決めているのだから、そうなってしまうのは当然です。ていうか、奨学金は返すものだと知らされなかった人が大勢いる、ということなのかもしれませんね。
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馬賊 矢吹丈

2005-03-14 01:37:11 | 演劇

 月蝕歌劇団の公演を土日に観に行った。この2日間だけ森永理科さんが出演するので。

 土曜の昼間観た彼女は、正直、メロメロだった。ハードスケジュールで、稽古量が不足しているのだろう。水曜から公演に入っている他の役者たちから取り残され、舞台に一人だけ部外者が混ざっているような。

 だが、夜の部に入る前の「詩劇ライヴ」で思い切り歌えたことが、いい気分転換になったのかもしれない。それ以降は、普段の、刃物のような鋭さを彼女は取り戻した。兄の敵の矢吹丈を狙う売春婦という役だったが、汚いせりふも彼女が発すると、新しい輝きを帯びて私の胸に突き刺さってくるのだった。
 演技に加えて、「火吹き」という芸もクライマックスで披露してくれた。声優がこんなことをしていいのか。かっこよかったから、いいのだ。

 森永さんのことばかり書いてきたけれど、劇そのものは、リングでの丈の死を認めずに彼を探し続ける白木葉子(一ノ瀬めぐみ)と、彼女の望みに応えて血塗られた物語をつくりあげる詩人(保鳴美凛)、この2人の狂気のぶつかり合いが本筋。高取英得意の、壮大なホラ話なのだった。
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止揚がない

2005-03-11 21:22:47 | Weblog
 いよいよ書くネタがなくなってきました。ちょっと古い話になりますが、前から書いておきたいと思っていたことなので。
 
 マイケル・ムーア監督の「華氏911」が公開された時、オウム真理教をテーマにした映画で知られる日本人監督が、「最初からブッシュを悪者と決めつけているのが気に入らない。自分なら多くの対立する見方を取り上げて、それらを止揚し、最後はブッシュの憂いに沈んだ表情で締めくくるだろう」、と、東京新聞でおっしゃっていました。

 「止揚」と聞いて、私が思い出すのは、「海に行くか、山に行くか、さんざん悩んだ末に、山の中の湖に行く。それが止揚だよ」という、ある宗教学の先生の言葉です。今考えると、「さんざん悩んだ末」というのは実は演技で、この人は最初から山の中の湖に行くつもりだったのではないだろうか、いや違う、ということを実証するのは不可能なのではないか、などと思えてきます。
 この日本人監督の場合も、「止揚する」と言っておきながら、どうして「ブッシュの憂いに沈んだ表情」などという結末を最初から予想することができるのか、不思議でしかたありません。実際に映画を作り始めないことには、止揚もなにもあったものではないはずですが。

 「止揚」という言葉。どうも胡散臭いですね。
 
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イラク

2005-03-10 18:42:20 | Weblog
 殺した相手がイタリア人だから騒ぎになるんだろうな。
 無警告で発砲するのが、アメリカ兵にとっては一番安全なやりかただし、ルーティーンになってるんだろう。間違いでイラク人を殺しても罪に問われないできたことが、今回の事件の原因じゃないかな。
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イギー・ポップ

2005-03-09 20:31:50 | 音楽

 ストゥージズの再結成ライヴのDVDを観る。
 やっぱり彼は違う。暗転中に舞台から客席に落っこちる役者はたまにいるけれど、彼は明転中にそれをやっちゃうからなあ。
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パンチラ論

2005-03-07 20:51:05 | 下ネタ

 ある声優さんが、ネットの番組で熱く語っていました。

 私は、パンチラそのものよりも、パンチラを隠そうとする少女のしぐさにむしろ惹かれますね。駅の階段を昇るときにカバンを後ろにまわす、アレです。パンティはしょせん大量生産のマテリアルにすぎません。それに対して、しぐさはその少女固有のものであり、まさに今だけの、旬(瞬)のものです。

 また、しぐさは、少女の隠された歴史を教えてくれます。短パンを穿いていないということは、自転車ではなく、徒歩で家に帰るのだろう。つまり、家は駅の近くの一等地にある。一軒家なら、かなり昔からある家かもしれない。おばあちゃんが同居していて、小さい頃から箸の使い方とか、座り方とかを躾けられてきた。もちろん、和室もあるに違いない。

 ・・・・・・こんな妄想をかきたてる場合があるので、パンチラは隠さないほうがいいかもしれません。
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国歌

2005-03-05 18:31:18 | Weblog
 今年もシーズン到来です。でも、卒業式で国歌を歌うことと、たとえば反戦集会で「イマジン」を歌うことの間に、どれだけの違いがあるのでしょうか。
 「君が代」も「イマジン」も、魔法の呪文ではありません。歌うだけでは、何かを証明したり、変えたりすることはできないのです。歌うにしろ歌わないにしろ、大騒ぎするほどの問題ではない。

 ところで、あなたは国歌をいくつ知っていますか?私は日本、アメリカ、フランスの3つだけです。アメリカ国歌はジミ・ヘンドリックスのウッドストックでのパフォーマンス、フランス国歌はビートルズの「愛こそはすべて」によるところが大きい。その他の200近い国歌は、歌詞はもちろんメロディも全く知りません。スポーツの国際試合でいくつか聞いているはずですが、全く記憶に残っていません。世界的に見たら、国歌の聴衆なんてほとんどいないのではないでしょうか。にもかかわらず国内で大騒ぎするのは、ばかげたことです。

 だれも聞いていないのにああだこうだと騒ぐ。なんだかこのブログみたいですね。アハハハハ。


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ハウルの高い城

2005-03-03 21:22:33 | アニメ・ゲーム

 「ハウル」のメイン・キャストがプロパーの声優ではないのは、なぜなのでしょうか。

 「声優グランプリ」を見ると、売れっ子の声優は、同一クール内で2つも3つも違ったアニメに出演していることがわかります。もしもこれがテレビ・ドラマだったら、「別のドラマとだぶって見えて集中できない」などという投書が新聞に載ることになります。声優は声だけだから、気にされない、ということなのでしょうか。

 でも、同一期間内に別の作品に出ても問題にならない声優の存在感って、何なんでしょう?また、特定の声優に頼りがちな製作者側も、似たような作品(というかキャラか)ばかりつくっている、と批判されるべきではないでしょうか。

 出演作品数はすごくても、この人は何者なのかが一般には認知されていない声優が多い。だから宮崎氏は、キムタクを起用したのではないでしょうか?あるいは彼は、最近のアニメをほとんど観ていないのかも。宮崎氏をうならせるようなアニメ、声優の登場を期待します。

 ・・・と言っても、私は今のアニメ、声優の全てを否定するつもりはありません。「新しい妖精」をいつも考えていますし、オープニングが「月詠モード」だとしあわせだったりします。あと、植田さん、いつも日記を拝見しています。これからも「りかねこ」をよろしくお願いしますね!!
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森永理科

2005-03-02 22:37:08 | 演劇

 このブログを始めるきっかけになったのが、彼女の「隠れ家」です。詳しくはホームページを念入りに見てみて下さい。すぐに検索できるはずです。

 森永さんは、アングラ演劇の「月蝕歌劇団」の中心メンバーの一人で、役者であり、振付師でもある。この劇団は、「暗黒の宝塚」と呼ばれる通り、女優が男役や少年役を演じる。J・A・シーザーの音楽による歌や踊りがアクセントになっていて、どの芝居でも必ず戦いの場面があり、血糊が飛んで、人が死ぬ。戦いというのは、未成熟な若者と、既成の権力や価値との戦いだ。彼女はそんな劇団のシンボル的存在。身長150センチに満たない、年齢、性別不詳の、人形のように端正な容姿。それでいて、時には血糊にまみれて、暗黒舞踏のような激しい動きを見せる。それに、何といっても声。硬質な、美しさ、鋭さ、冷たさを備えた刃のような彼女の声は、特に少年役でその特徴が発揮される。一度、「ポーの一族」のエドガー役を観てみたいものだ。

 森永さんは、ある有名事務所に所属している声優でもある。アニメ、ゲーム、ラジオのパーソナリティとさまざまな活動を展開している。

 森永さんは、バンドのボーカリストでもある。作詞も担当していて、月蝕での活動の延長線上にあると思われる、ドロドロした世界観がステージでは窺える。

 森永さんは、モデルとして雑誌に載ったことがある。寺山修司についての驚くべき知識がある。80年代の日本のロックのマニアである。キャラクター・グッズの蒐集家である。・・・・・・いくら谷川俊太郎のマネをしても、彼女の実体に追いつくことはできないだろう。彼女はいつでも、一歩先にいるのだから。
 
 これから先、森永さんは、劇作家になるかもしれない。演出家になるかもしれない。ゲームをつくるかもしれない。それとも・・・。寺山修司が今も生きていて、ネットや、ゲームや、コスプレを知ったら、何をやるだろう。そんな問いに対する答えが、彼女から出てくるかもしれない。
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